第38話 這いよる違和感

「ようアオイ。学校生活、エンジョイしてるか?」


 カイがそう言って笑うと、アオイは露骨に嫌そうな顔をした。

 兄との再開が嬉しくないわけではないが、突然の登場はアオイの望むところではない。


「げぇ……なんでここに兄さんがいる……?」

「お前に会いに来たに決まっているだろう。……んでんで、スカイドラゲリオンはどこだ!? 早く覚形を見せろ!」

「ちょっとうるさいって! わかったからわかったから! ここ、貴族の街なんだよ!?」


 興奮気味のカイがアオイを押しのけ、肩を掴んで揺すり始める。

 アオイは必死になってカイを抑えた。


「いい? 兄さんはただの一市民なんだ。シロハが側にいるならともかく、今は絶対にダメだって。通報されてもみろ、速攻でアルヴェルトからつまみ出される」

「ふーん」

(あっ、この兄、弟の忠告の意味をまったく理解してていないぞ)


 心ここにあらず、という状態のカイは興味なさそうに相槌を打つ。実にものわかりの悪い兄だ。


「まぁ確かに、アオイの言う通り焦る必要もない。しばらくはゆっくりするか」

「是非ともそうしてください……。あ、そうだ。丁度お昼時だし、兄さんに行きつけのお店を紹介するよ。美味しい料理を出すんだ」

「ほほう、そりゃいいな!」


 アオイは学園の塔の大時計を見て言う。確かにランチと洒落こむにはいい時間帯だ。


 予定が決まった二人は仲良く並んで歩き出す。


(なんか……懐かしいな……。昔はよくこうして二人で遊んでいたっけ……。でも、最近は全然会っていなかったから変な感じがする)


 アオイは鼻歌まじりに自分の隣を歩くカイの横顔を見た。

 すると、視線を感じたのか、カイがこちらを見つめ返す。


「ん? どうしたアオイ? 」

「いや、なんでもないけど……」

「そっか。それより、どんなお店をご紹介してくれるんだ? 」

「ああ、俺が働いている店だよ。手紙にも書いていたでしょ?」

「あ~なんか書いてたな。弟がお世話になってますって言わないと」


 カイが頭を掻きながら苦笑いする。

 そんなカイの様子を見て、アオイが呆れたようにため息をついた。


 アルヴェルトの街中を舞台に久しぶりの団らんが紡がれる────と、その時だった。


「キャッ!?」

「おっと」


 カイが曲がり角を曲がった瞬間、一人の少女と出会い頭にぶつかった。

 しかし、カイは尻もちをつきかける少女の手を掴むとぐっと引き寄せる。


「大丈夫か?」

「ちょっと! 私が通るんだから周りをちゃんと見……ッ!」


 カイに助けられた少女は不機嫌そうな声を上げたが、すぐにその表情が変わる。

 視線はカイに向き、呆然とした様子で固まってしまったのだ。


「おいおい、本当に大丈夫なのか?……どこか怪我とかしていないよな?」

「えっ、あっ、はい。ありがとうございます……」


 カイの言葉など耳に入っていないようで、少女はカイの顔をじっと見るばかりだ。異性とぶつかった焦りのせいか、体が震えている。


 その一部始終を見たアオイは、まるで珍獣でも見るような目になった。

 そして、ぼそりと言う。


「……フィリス様、何をしてらっしゃるんですか」

「えっ……な、なななななんでアオイがここにいるのよ!」


 フィリスはカイの隣にいるアオイを視認すると、両手を前に突き出すようにして身構えた。

 髪を猫のように逆立たせ、臨戦態勢に入る。


「あんた、今日は私の時計を直す日でしょうが! 何を町をぶらぶらとしてるのよ!」

「今日は急用ができたので直せなくなりました。すみません。……それとフィリス様、さっきの顔は」

「あーあーあー! つべこべ言わずに黙ってなさいよアホ!」


 赤面したフィリスがその場でうずくまる。

 そして、恥ずかしさを誤魔化すかのごとく怒鳴り散らした。


「大体っ、この人は誰なのよ!」

「俺の兄ですよ」

「兄ぃ?」


 フィリスがカイのことをジロリと睨む。

 そしてカイとアオイの顔を見比べ


「確かに似ていると言えば似ているけど、髪の色が、まったく違うじゃない」

「俺の髪は母譲りらしいんですよ、知らないですけれど。兄さんは父譲りらしいです」

「へぇ」

「おいアオイ、そこの人はまさか……」

「兄さんのお察しの通り、『炎獄』フィリス様だよ。この学校に来てから何かとよくしてもらっているんだ」


 アオイがため息をつきながら言うと、カイは目を丸くした。


「ホントか!? あのクランベルジュの操縦者の!?」


 カイが驚いたように叫ぶ。

 そしてフィリスの手を掴んで激しく揺さぶり始めた。


 身長差でフィリスの体が浮く。


「弟がいつもお世話になっております! フィリス様のことはアオイからの手紙によく書いてあって……あっ! そういえばスカイドラゲリオンの覚形の件でもアオイに助言を下さったとか!」

「ちょ、ちょっと近いです近いです! 顔が近いですぅ!」


 カイは興奮気味に話すが、一方、それをされる側のフィリスの顔は真っ赤。照れているのか、怒っているのか、あるいは両方か。


 焦ったアオイは間に無理やり割って入り、カイをフィリスから引きはがす。


「兄さん! 何やってるの! 相手は貴族なんだよ!?」

「……あっ、いっけね。完全に忘れてた」

「勘弁してよもぉ! フィリス様すみません! なにぶん兄は常識知らずなので!」


 アオイはカイの肩を掴みながら頭を下げた。

 フィリスの不興を買おうものならアオイの首が飛ぶ。それだけは避けなければならない。


 しかし、一方のフィリスはというと、先程までの威勢の良さが嘘だったかのように大人しくなっていた。

 そっぽを向きながら人差し指に髪を巻き付ける。


「いいわよ。別に怒ってないし」

「本当ですか? ありがとうございます!」

「だから気にしなくていいわ。私は人の無礼にいちいち怒るような心の狭い女じゃないから」

「んー?」


 フィリスが柔らかな笑みを浮かべながらそう言った。


 アオイは彼女の発言に思わず首を傾げてしまう。フィリス様、自分の短気さ、わかっておられます? と。

 日々の彼女を知るアオイにとって、今の発言は理解しがたいものがあった。


 その言葉を喉元まで出しかけるアオイを尻目に、フィリスが咳ばらいをしてスカートのすそを払う。


「すみません、お見苦しいところをお見せしました。私の名前はフィリス。私もアオイさんとはいつも仲良くさせてもらっています。お会いできてうれしいですわ」

「こちらこそ。これからも弟をよろしくお願いします」

「………」


 和やかな二人の会話を見ながらアオイは思う。……今日のフィリス様、悪い物でも食べたのかな、と。

 アオイの知るフィリスは、決して物腰柔らかな発言をしないし、淑女のような振る舞いをしない。


「えっと、あなたの名前を聞いてもいいですか?」

「あっ、申し遅れました。俺はカイといいます」

「フフッ、とってもいいお名前ですわ。カイさんとお呼びしてもよろしいでしょうか」

「もちろんです。……アオイ、いい友達を持ったな。貴族の学校だからずっと独りぼっちなんじゃないかと心配していたが、それは俺の杞憂だったようだ」


 カイはしみじみとつぶやいた。


 アオイはそんな兄の姿を見て、なぜか涙が出そうになる。

 それは決して感動の涙なんかではない。アオイは今、フィリスに対して恐怖にも似た感情を抱いていた。

 今日は厄日だ。


「ところでカイさん、今からアオイさんとどこへ?」

「ん……ああ、アオイが行きつけのお店を紹介してくれるってことで、そこで昼食をとろうと」

「あら、そうなんですの? アオイさん」

「は、はい」


 引きつった顔のアオイが答えると、フィリスは少し考えるような素振りを見せたのち、「では」と切り出した。


「もしよろしかったら、その昼食に私も同行させていただけませんか?」

「へぇ!?」


 突然の提案に、頓狂な声を上げるアオイ。

 何故だろう、とんでもなく嫌な予感がする。


「駄目でしょうか?」

「い、いえ。しかし────」

「あんたみたいなアホに拒否権なんかあると思ってんの?」

「ひぃん」


 小声で囁くフィリスの言葉を聞き、アオイが情けない悲鳴を上げた。

 なんでカイと自分とでは扱いが雲泥の差なんだと己の不運さを嘆く。


「アオイ、せっかくの提案だ。俺も友達からお前のことを色々と聞きたいし、一緒に飯を食っても別に何かが減るもんじゃないだろ」

「に、兄さんがそう言うなら……」


 結局、アオイはカイとそのうしろで笑顔で圧をかけてくるフィリスに押し切られる形で承諾してしまった。

 それは同時に安寧の終息を意味する。


(うう、どうしてこんなことになるんだ……)


 アオイはカイにすり寄るフィリスを見ながら雲ひとつない空に嘆いた。

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