第36話 もう一つの後日談

「へぇ、よかったじゃないですか。一件落着というわけですね。よくわかりませんが、とりあえずおめでとうございます」

「うん……。ありがとう」


 エルは祝福の言葉をアオイに送る。だが、アオイその顔色は優れない。


「どうしました? 浮かない顔をして。もしかして、まだ何か心配事でもあるんですか?」

「……実はこの話、続きがあるんだ」

「続き? きれいな終わり方じゃないですか。一体何が問題であると?」

「それはな……」


 そう言って、アオイはカバンから弁当箱を取り出す。

 アオイは普段弁当を作る者ではない。しかし、ある理由によって持たざる負えなくなっているのだ。


 その理由を知っているエルはもちろん目を丸くする。


「えっ、なんで……まさか!」

「ああ……そのまさかだよ」


 そう言って、アオイは二つ目の後日談を語りだした。


 ***


 それはアオイがバイト先のレストランへと出勤したときのことだった。


(あれ、なんかいつもよりも静かな気が……)


 静まり返ったレストランを不思議に思いつつ、アオイは従業員用の更衣室に入り、着替えをしながら店内を見渡す。

 確かに同僚は少ないが、開店直前なのにここまで静寂に包まれているのは不自然だ。


「あっ、店長。おはようございます」


 厨房の方から出てきたのは、アオイが働く店の店長だった。


「おお、アオイ君。今日もいい天気だね」

「はい。……あの、他の人はどこに?」

「……」


 アオイが店長に問うと、店長は無言で厨房を指差す。

 店長のやつれた顔にドン引きしながらアオイは恐る恐る耳を澄ませた。


 トントントン


「…………」


 アオイは一定間隔で刻まれる包丁の音に聞き覚えがあった。

 ここしばらく、嫌というほど聞いた音である。


「どうして……」


 なぜここにいるのかと疑問に思うアオイだったが、疑問は別としてやるべきことは分かっていた。


「じゃ、俺はホールに行きますんで! 担当ですから!」

「待ってくれ!  頼む、助けてくれ!!」

「嫌ですよ! フィリス様の話じゃここを離れるだろうって話だったんですよ! もう身も心もお腹いっぱいです!」

「そこをなんとか!  お願いします!  このままだと俺の首が飛ぶ!」

「そこをどうにかするのが店長ですよ! 一アルバイトに店の運命を握らせないでくれませんか!?」


 アオイは必死の形相で懇願してくる店長の肩を掴み引きはがしにかかる。

 だが、店長は諦めずにアオイにしがみついた。

 そのままホールで不毛な押し問答を続ける。


 ―――と、悲劇が起きた。


「あら、アオイさん。数時間ぶりですわね」

「「……」」


 アオイは目の前の光景に絶句した。

 それもそのはず。なぜなら、目の前には料理服に身を包んだアイーダが立っていたのだから……。


「……どういうことです?」


 アオイは困惑の表情を浮かべながらアイーダを見る。

 すると、アイーダは得意げな笑みを見せてきた。


「ですます調はやめてくださいと申し上げましたよね? ……まぁ、入り用ですよ。少しばかり懐が寒くなりましたのでここで働く期間を延長させていただきましたの。本当はアオイさんを手に入れた時点でこの仕事は辞める予定でしたけれど、その目的は失敗に終わりましたので」

「……つまり?」

「これからもよろしくお願いしますわ。アオイさん」

「……マジすか」


 アオイは額に手を当てて天を仰いだ。


 ***


「勝ったのに……試合に勝ったのに何も変わらなかった……!」

「それは………ご愁傷さまですね……」


 エルは同情するような目でアオイを見た。

 しかし、アオイはその視線から逃れるように弁当箱を手に取り蓋を開ける。


「でも、いいんだ。この千切りキャベツをエルが食べ」

「ボクは食べませんよ。自分で食べてください」


 エルは微笑む。その笑顔はとても眩しく辛辣だった。

 しかし、エルはそんなことを気にしない。


「まぁ、なるようになった。ボクとしては物事がこじれずに着地できたことに対して十点をあげたいくらいですよ。頑張りましたね、偉いです」

「十分にこじれてると思うんだがなぁ……」


 エルの言葉にアオイは苦笑いするしかなかった。

 しかし、エルはアオイの反応を無視して言葉を続けた。


「あっそうそう。なら、僕のプレゼントを開けてみてくださいよ」

「ん? なぜだ」

「今の先輩が喉から手が出るほど欲しいものが入っていると思いますから。気配りができる後輩のささやかな心遣いです」

「俺が……欲しいもの……?」

「そうです。アオイ先輩の日頃のつぶやきから選んできました。はい、どうぞ」

「そ、そうか……。じゃあ、早速……」


 アオイはエルから受け取った包みを丁寧に剥がしていく。

 そして、中に入っていた箱を取り出した。

 その中身は……


「………………」

「僕の家が使っている最高級ドレッシングです。アイーダ先輩の千切りキャベツに使ってみてください。きっとおいしいですよ」


 アオイはエルのプレゼントに二つの意味で涙を流した。


 ***


 少女はとても、上機嫌だった。


 面白い、面白い、面白い。好奇心が彼女の足にステップを踏ませる。

 やっぱり先日の試合は楽しかった。想起するだけで白い歯が口から覗いてしまう。


「────でも、足りない」


 彼女は思った。まだまだ彼はまだ成長すると。

 覚形を発現させただけじゃ面白くない。もっと……もっと機を伺わなければ。


 どうやって熟れた果実を刈り取り、咀嚼しようかと少女は顔をほころばせる。

 手間をかけるほど、あの竜機手は美味しくなる。底なしの成長に期待が募る。


 「次はどんな手でいこうかな……」

 「……成程ねぇ。アイーダをけしかけたのはお前か。よくやるよ、まったく」

 「ッッ!?」


 誰もいないはずの街道に声が響く。

 その声に反応して少女は素早く振り向いた。


 しかし、そこには誰もいない。


 ………と


「こっちだよ。木の上」

「…………ライザ」

「正っ解っ!」


 枝の上に立つ影がギラリと笑う。

 少女は警戒するように一歩下がった。


「お前に気づかれず背後をとるには木の上によじ登るしかなかったぜ。さすがに警戒心が強すぎんよ、お前」

「……何か用」

「用があるからこうして接触したんだろ」

「……」

「安心しろ。オレは別に喧嘩を売りに来たわけじゃない。……回答次第では喧嘩になるかも知れないが」


 少女は眉根を寄せ、ライザを見上げる。

 その顔には気分を害されたということに対する露骨な苛立ちが現れていた。


 しかし、ライザは少女の剣呑な視線に臆することはない。


「あのなぁー。オレもこういうことは言いたくないんだぜ? あの竜機手に手を出したくなる気持ちも十分わかるし、オレもアイツと人工竜機に興味はある。……だが、それでアオイが嫌な思いがするのは少し違うだろ」

「……何の話をしているのかわからない」

「おいおい。とぼけんなって。お前だって分かってんだろう?  今回の騒動の原因が誰なのかってことくらい」

「知らない」


 少女はぷいっとそっぽを向き、ライザの話を聞こうとはしなかった。

 しかし、ライザは構わずに話を続ける。


「じゃあ質問を変えよう。……お前、何が目的だ。何を考えている」

「……」

「だんまりか。まぁいいけどな、大体予想はついている」


 少女はライザの言葉にピクリとも反応しない。ただただ無言で不機嫌そうな表情を浮かべているだけだ。


 しかし、ライザがアオイの名前を憶えていることについては少し意外だと思った。

 ライザが名前を覚えるのは、本当に自分が興味があるか自分が認めた相手だけ。それに、ライザが興味ある人間というのはとても珍しい。


 ライザはそんな少女の様子をじっと見つめながら言葉を続けた。


「お前の目的はアオイと戦うことだ。……違わないな?」

「……」


 少女は答えない。しかし、否定しないということは肯定しているのと同じだった。


 ライザはその様子を見て肩をすくめる。


「やっぱりそうか。お前がここまで直接的な行動に出るのは竜機関連しかないからな。それ以外だと基本、お前は行動を起こさない。……むしろ、行動は起こしたくはない、だな」

「……だから何。ライザには関係のない事」

「まぁ、そうくるよな」


少女がライザを突き放す。あともう少しというところで、少女の計画をライザに知られるのだけは避けたかった。


顔を変えず、ライザをにらみつける。これ以上首を突っ込むな、と。


────しかし、ライザから返ってきたのは少女の想像を超えるものだった。


「……じゃあさ、オレもそれに混ぜてくれよ」

「?」

「その思惑、オレにも一枚噛ませろ」


 ライザの言葉を聞いて少女は目を丸くした。

 そして、驚きのあまり言葉を詰まらせる。


「どうして」

「おいおい、言っただろ。……オレもアオイには興味があるって。主義は違っても利害は一致してんだよ。オレとお前は」


 その返答を聞き、少女は息を飲んだ。

 ライザの目的が分からなかったからだ。


「……理解できない。本来なら協力する必要なんてないはず」

「まぁ、普通に考えればそうだろうな。でも、今回は別だ。オレはお前がアオイに不幸が降りかからない範囲で動くなら協力する余地はある。……それに、お前は今のままじゃ不完全燃焼だろ。アオイの実力を測りたいんじゃねーの?  お前は」


 少女は口を閉ざしたまま何も言わなかったが、それは図星だということを物語っていた。

 ライザは少女の反応を見てニヤリと笑う。


「どうだ? いい話と思うんだ。お前はアオイの当て馬としてオレを利用できる。オレはお前がアオイに向ける害を抑制できる。……あの人工竜機がどういうものなのか、オレも調べておきたかったしな」


 ライザの提案は理に適っているように思えた。

 少女としてもライザに協力を仰げるのは望外な提案だ。


 しかし、それでも躊躇してしまう理由があったのだ。


 それこそが、ライザという人間の性質である。

 彼女は自由奔放。十二機神姫のイレギュラーと揶揄されるほどの傍若無人さを誇る。

 その性格のせいで、少女の計画にズレが生じる可能性が十分にあった。


「……」


 少女は黙ったまま、ライザの目を見つめた。


 そしてしばらく考えたあと……答える。


「……わかった。協力する」

「へぇ……。意外とあっさり受け入れるんだな。もっと渋るかと思ってたんだが、気が変わらないうちに言質を取れてよかったぜ」

「勘違いしないで。あくまで利害が一致してるから一時的に手を組むだけ」

「へいへい、それで構わねぇよ。……じゃあ、気長に見ててな。演技派女優のオレが見事な当て馬を演じてやるぜ。……ま、当て馬が実は暴れ馬で、主人公をぶっとばしましたなんてシナリオもは全然アリだとオレは思うがな。ハッハハハ!」

「……くだらない。好きにして」


 少女はそう言うと、ライザに背を向けて自身の家へと帰っていった。


 ライザは一人、木の上から降りてにやりと笑う。


「これにてもう一つの事件も一件落着だな。さすがオレ様、欠点一つななく完璧すぎるぜ」

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