第26話 公爵令嬢と千切りキャベツ 後編

 その日、アオイの仕事場は混沌としていた。


「ねぇアオイさん。『ばいと』というものは何をすればいいんですの?」

「ちょっ、アイーダ様。近いですって」


 顔を近づけるアイーダから逃げるようにアオイは距離を置く。


 麗しの美貌の下はエプロン姿。誰の目から見ても明らかに異質であった。


 何を隠そう、このエプロンはアイーダが強権を使い店から借りたものである。

 つまり、アイーダはこの店で働く気満々なのだ。


 店の人たちはというと厨房に引きこもりアイーダを恐れて出て来ない。事実上、店の命運は新入りのバイトに託されたのである。


 手汗がべたべたのアオイはエプロンの端を握りながら覚悟を決める。


「どういう風の吹き回しかは知りませんがアイーダ様、本当にこのお店で働くおつもりですか? 早く寮に帰りたいとおっしゃっていたのに?」

「ええ、気が変わりましたの。このような面白そうなこと、やらない手はありませんわ」

「は、はぁ……」


 アイーダの傲慢にアオイは心の中でため息をつく。

 まったく、貴族の思考は分からない。どうなったらそんな飛び入り参加で働けると確信するのだろうか。


「で、アオイさん私は何をすれば?」

「え、ええ……」


 アオイの視線がぐるぐると回る。

 店長に視線を送るもさっと隠れられ、先輩の従業員には視線をそらされる。

 それでいいのかッ!とアオイは頭の中の壁を叩いた。


 しかしまぁ、まずは客の目につかないところにアイーダを誘導するのが優先だ。

 と、なると


「ま、まずは厨房に行きましょう」

「ええ、分かりましたわ」

(よしッ!)


 アオイを含めたホール担当の従業員がガッツポーズを決め、店長を含めた厨房担当が阿鼻叫喚となる。


 ひとまず厨房に押し込めば客入りに支障は出ない。アオイのファインプレーだった。


「それではアイーダ様、こちらへ」

「フフッ、アオイさんはエスコートがお上手ですのね」


 厨房では様々な食材が山のように積まれ、注文される料理の下準備がなされていた。

 アイーダはその光景に目を輝かせて、目の前の食材を手に取る。


「なかなかいい食材を使っていますわね」

「ああっ、アイーダ様! まずは手を洗ってくださいっ!」

「え?」

「食材を触るのはまず手を洗ってからです! それが飲食店で働くうえで需要なことなんですよ!」


 石鹸を差し出すアオイにアイーダはきょとんと目を丸くする。


「何故ですの? どうせ加熱すれば大丈夫でしょうに……」

「そういう甘えが後々大変なことになるんですよ! 食中毒なんて起こしてしまえば貴族の権力でこの店はあっという間に閉店です! ここで働く人は命がけなんですよ!」


 アルヴェルトで働くということはすなわち常に貴族にいかに気に入られるかの戦いである。


 貴族の不興を買えば即座に店をたたむ羽目になる。故にアルヴェルトで生き残るにはより品質を向上させ、不祥事を起こさないかがカギになるのだ。


 それに、アオイはシロハという貴族に店をつぶされそうになった過去がある。あんな過去を繰り返さないためにも不祥事の原因には人一倍敏感なのだ。


「へ、へぇ……」

「……あっ! す、すみません! 過ぎた真似を……」

「いえ、その心構えは真剣で素晴らしいと思いますわ。先ほどの行いは私が迂闊でしたわね。アオイさんの言う通り手を洗うべきでした」


 アイーダが朗らかにほほ笑み頭を下げる。

 同時に「た、助かった……!」とアオイは安堵。


 アイーダに石鹸(新品)を渡し、きれいな所作で手を洗ったのを見届けたところでアオイは次に自分のすべきことを考えた。


「アイーダ様、お料理の経験はおありで?」

「そうですわね……私、生まれた頃から箸より重たいものは持ったことがありませんの。包丁なんてもっての他で……」

「お、おう……」


 それは冗談で言っているんだよなぁ!?とアオイは心の中で絶望する。

 なんのためアイーダを厨房に連れてきたんだ。料理経験がないんじゃ何もできないじゃないか。


 またもや窮地に陥り、アオイはなにか手立てはないかと厨房を見渡す。

 すると、まな板の上に置かれた切りかけのキャベツを見つけた。


「アイーダ様、キャベツを切りましょう! キャベツの千切りです!」


 キャベツの千切り、それは素人にもでき、なおかつ料理をしている実感が湧く作業である。


 アオイはアイーダに包丁を握らせるとまな板の前に立たせた。


「いいですか、このキャベツを細く切るんですよ。細く」

「どのくらい細くですか? 私、初めてする作業で分かりませんの」

「えぇ……」


 千切りキャベツをどれくらい細く切ればいいのか。アオイはアイーダの問いを反芻し困惑する。

 細くと言えば細くだ、としか言いようがない。そもそもアオイは千切りキャベツの細さを気にしたことがない。


 すると、困るアオイを見かねたのか、アイーダがほほ笑む。


「ではアオイさん、ここで私の手を握って実演してみてください」

「ええっ!?」

「私、何事も体で覚えるタイプですの。アオイさんから教えていただければ必ず理解できると思いますわ」


 アオイの額に汗が滲む。

 自分が、アイーダの手を、握る?


 ……。


(ボディタッチは実質的な死刑だろうがぁあああ!)


 思わず喉元まで心の叫びがこみ上げてしまうアオイ。

 女性の手に意図して触れる。ましてや憧れの存在で貴族のアイーダの手を。

 それはアオイの理性にとって最大の攻撃だった。


 涙目になりながら店の人に視線を向けるも、店員達は目をそらすか死地に向かう仲間を見送る兵士のような目を向けている。

 この裏切り者っ!とアオイは殺意にも似た感情を店の仲間たちに送った。


「どうしましたのアオイさん」

「い、いえ。少し庶民的な邪念と戦っていただけです。アイーダ様が知るほどのものではありませんよ」


 全てを悟ったアオイはこの現実を夢だと無理やり断定し、自分を待っていたアイーダの手に触れる。


 アイーダの手は、思ったよりも柔らかかった。


(助けて兄さん。兄さんなら女の扱いなんてお手のものだろ。イケメンなんだから)


 ここにはいない兄にこじつけのような助けを求めつつ、アオイはアイーダの手を持ち上げキャベツに刃をいれる。


 ザクッ。


「アオイさん! 切れましたわ! キャベツが切れましたわ!」

「お、おめでとうございます。とてもお上手ですよ……」


 キャベツと共に精神力が削られゲッソリとするアオイを尻目に、アイーダは自身が切り落としたキャベツをもって感激する。

 どうやら、アイーダの気に召したらしい。


「フフッ、これが働くということなのですわね! 楽しいですわ!」

「あ、ああ……そうですよ」


 もういいや、めんどくさい、とアオイは投げやりな返事をする。


 すると、アイーダは自分が本当に才能があるのかと勘違いし


「……アイーダ様。何をしていらっしゃるんですか?」

「キャベツはもっと必要でしょう? ならば私が切って差し上げます。はぁ……働くって素晴らしいですわね」

「……」


 まずい、貴族特有の変なやる気スイッチを押してしまったかもしれないとアオイは自身の軽率な言葉に目を覆う。


 その間にも、キャベツの山はみるみると高くなっていった。


「……私、決めましたわ」

「え?」


 突如、アイーダは包丁を置いてアオイの手をとる。


「私、アオイさんと一緒にこのお店で働きます!」

「え、ええ!?」

「働くことの大切さに私は気づきました! それにこれはいい社会経験、きっと私の今後に大きく役立ちます!」


 アイーダにぎゅっと手を握りめられ、アオイは理性を吹っ飛ばす。


(わわわわアイーダ様が近いぃいいいい!?)

「アオイさんからも私がこのお店で働けるよう説得してください!」

(くぇrちゅいおp!!?)


 更に顔を近づけられ、とっさに店長に助けを求める。

 職場に十二機神姫がいるなんて集中できない。アオイにとってその事実は最悪である。

 しかし、涙目に映った景色は非情で


(……仕方ないね)

(どうしてだよぉおおお!)


 店長の立てた親指に、アオイは絶望するのであった。

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