第21話 advance and evolution

 短く嘆息して、アオイは目の前でニコニコしている後輩を見やる。

 その手には分厚くなった財布、アオイの勝利によって得たエルの配当金がぎっしりと詰まっている。


「いやー、アオイ先輩。鮮やかな勝利、本当におめでとうございます。途中ひやひやして、今夜眠れるかなと心配していましたが、無事に気持ちよく熟睡できました。見てください、この髪のつや。どれもこれも先輩とスカイドラゲリオンの頑張りのおかげです」

「いいご身分だな。昨日の試合で一番得をしたのは実はエルなんじゃないか?」

「そんなにひがまないでくださいよ。だからぜひご馳走したいとボク行きつけの料理店を紹介しているんじゃないですか。本当は教えたくない、結構な穴場なんですよ、ここ。……あっ、あと約束のヤキソバブレッドです。昨日はアオイ先輩が人だかりに囲まれていて渡しそびれちゃいました。どうぞ」

「あ、ああ……」


 アオイはエルから渡されたヤキソバブレッドに何とも言えない目を向ける。

 見方によっては、このパンのせいで自分が苦労する羽目になったとも言える。

 そう思うと、アオイはこの諸悪の根源を食べる気にはなれなかった。


「ささ、着きました。ここは学園都市であるアルヴェルトの中では珍しく、郷土料理を出している店なんです。貴族はこういうありきたりな料理は好まないことが多いんんですが、ボクはこのどこか懐かしい味が好きなんです。きっとアオイ先輩も気に入ると思いますよ」


 そこは、こじんまりとした趣のある店だった。

 しかし、アオイにはなじみ深い、平民街の暖かみが感じられる。

 一カ月もの間貴族社会にもみくちゃにされたアオイにとって、それは非常にありがたいものだった。

 エルの粋な遣いに、思わず顔がほころんでしまう。


 ────と


「あっ! フィリス、見つけたぞ! アオイだ!」

「えっ……待って! 引きずらないで! せっかく特注した靴がすれちゃうから!」


 後ろの喧騒にアオイとエルが振り向くと、シロハが猛スピードで走ってくるのが見える。

 フィリスの首根っこを掴んでおり、慣性の法則でフィリスが宙に浮いていた。


 シロハはアオイの前で急ブレーキをかけ静止する。


「アオイ、突然で悪いんだがフィリスの話を聞いてくれないか」

「お、おう……」


 アオイがたじろぎながら頷くと、シロハはフィリスを前に押し出し目配せする。


「ほら、話をする機会を作ってやったぞ。言うんだ」

「話が早すぎるわよ! ……あー、話って言うのはね。ちょっと機能の件で……」


 フィリスは途切れ途切れになりながらも口を動かし言葉を紡ぐ。


「その件で謝りたいなって言ったらシロハが『なら今すぐ行こう!』ってアルヴェルト中を駆け巡らされたの……。で……何が言いたいのかって言うと……」


 フィリスが赤面する。それがフィリスの内心を言葉よりも詳しく表していた。


 一言を言おうとし、思いとどまる。それを繰り返す。


 スカートのすそを掴んで素直になれない自分を律するも、その決意はすぐにほどけていった。


 何とも言えない、気まずい空気が流れる。


「────あげます」

「……え?」


 突然アオイに言葉を投げかけられ、フィリスはうつむいていた顔をあげた。

 目の前には、念願だったヤキソバブレッドが差し出してある。アオイが食べるはずのものだ。


「俺、そこまでこのパンに興味を持っているわけではないんで。エルがいいって言うなら、俺はフィリス様にこのパンを差し上げますよ。……エル、すまんがいいか?」

「全然かまいませんよ。ボクはただアオイ先輩と食事をしたかっただけですから。実を言うと、その目的はこの店で達成できちゃいますからね。止める理由も止められる術もボクにはありません」

「……だ、そうです。今思うと、最初っからこうすればよかったですね」


 アオイは呆然とするフィリスにヤキソバブレッドを握らせた。

 その様子を見ていたシロハが、そっとフィリスの肩に触れる。


「フィリス、その時はその時で言うことがあるだろう? 謝罪の言葉よりも、言いやすい言葉が」

「あ……あ……」


 フィリスはヤキソバブレッドを握りしめて、その言葉を頭の中に思い浮かべる。

 ドキドキと速まる鼓動が胸を締め付けた。

 しかし、言わなければならない。その事実はフィリスも理解していた。


「あ……あ────」

「「「あ?」」」


 アオイ、シロハ、エルに見守られながら、フィリスは言葉を発する。


「あ────あ、あんたなんかにデレるほど軽い女じゃ、な、ないんだからねっ!」


 その日、三人はフィリスの強靭なツンデレ魂を思い知った。





「エル、よかったのか? 二人に奢っても」

「いいですよ。一緒に食べる人は多い方がいいですから。ついでに言うと、重たい財布を持っていると居心地が悪いんですよ。なんか自由じゃないみたいで」

「そうか。それならいいんだが……」


 アオイは目の前に座り、料理に舌鼓を打つシロハとフィリスを見て、一か月前では考えられない光景に人生の奇妙さを感じていた。


 あの後、エルが「ここであったのも何かの縁です。ぜひお二人にもご馳走させてください」とシロハとエルを誘ったのだ。

 やはり人は予想外に大金を持ったら増長してしまうんだなと、アオイは強く思う。


 それからしばらく四人で歓談していると、話題はスカイドラゲリオンの話に変わった。


「それにしてもあの人工竜機の精密性、反則よね。それだけでも十分な脅威よ。今でもあの精密性がなければ勝てていたと思っているわ」

「いや、それはないな。フィリスはまだアオイに奥の手を出させていない。……まぁ、私はそれを出させたがな」

「はぁ!? 何よそれ! まるで私がシロハよりも弱いみたいじゃない!」


 にたにたと笑うシロハをフィリスが揺さぶる。

 二人とも貴族のはずなのにとても行儀が悪かった。


「アレはすごいぞ。アレがあーなってアレするんだ」

「代名詞ばかり使うんじゃないわよ! ただでさえシロハは知能指数が低いのにもっと低くなってどうするの!」

「何だと!? 胸も背も脳みそも足りていないフィリスには言われたくない!」

「何ですって!?」


 二人の背後に雷が落ちた。

 これはもう一回試合ルートかもしれない、とアオイは呆れながら料理を口に入れる。

 自分は関わりたくないと天に願いながら。


 と、その様子を見ていたエルがこんなことを呟いた。


「……それって、本当にアオイ先輩の本気なんですかね?」

「「「……え?」」」


 シロハとフィリス、そしてアオイまでもがその場で固まる。

 エルは食事を止めることなく、まるで日常会話のように自分がそう思った理由を話し始めた。


「だって、スカイドラゲリオンはホワイトフォーゲルやクランベルジュとは違って、まだ覚形を発現させていないじゃないですか。シロハ様の話を聞いていても覚形関連の話をしませんでしたし。昨日の件でもアオイ先輩は一度も覚形を使いませんでした」

「なに? もしかして私たちがこのアホになめられているとでもいうの?」

「いえ、そうではありませんよ。ぶっちゃけ覚形を発動させた相手、ましてや十二機神姫の覚形に生身の竜機で戦うなんて死にに行くようなものです。それはおそらくアオイ先輩もわかっているはず。多分ですが、スカイドラゲリオンの強さにはもう一段階上があると思いますよ。もし、あの人工竜機が覚形を発現させたら、それはそれは恐ろしい強さになるでしょう。少なくとも十二機神姫レベルだとボクは予想します」

「だが、覚形を発現させられる竜機手はほんの少しだけだぞ? そもそも人工竜機に覚形があるのかすらもわからない」

「多分ありますよ。あの竜機は天然の竜機とほぼ変わらないじゃないですか。そうなると、あとは竜機手アオイ先輩次第ってことになりますね」


 エルの言葉に、アオイはスカイドラゲリオンの覚形について考える。


(スカイドラゲリオンの覚形……考えたこともなかったな。兄さんは天然の竜機の部品をそのままスカイドラゲリオンに使っているって言っていたから、構造の大部分が普通の竜機と一緒のはず。そう考えるとスカイドラゲリオンが覚形を発現させる可能性も十分にあり得るのか。いったいどんな覚形なんだろうな)


 そんな妄想に思いをはせながら、アオイは料理の最後の一口をほおばった。




 少女は少し、上機嫌だった。


 面白い、面白い、面白い。好奇心が彼女の足を軽やかにする。

 昨日の試合は楽しかった。想起するだけで口角が上がる。


「────でも、足りない」


 彼女は思った。まだまだ彼は未熟だと。

 もっとできるはずだ。もっともっと強くなるはずだ。

 自分が彼の前に姿を現すのは早い。


 そんなことを思いつつ少女が竜機格納庫を歩いていると、長身の令嬢があの人工竜機に熱い視線を向けていた。


「ハァ……何度見てもうっとりしてしまいますわね。あの洗練された戦いぶり、あの軽やかな躍動。全てにおいて最高で、久しぶりにときめいてしまいました。ああ、フィリスさんが羨ましい」


 彼女は思った。同感だと。

 なかなかの慧眼だと、彼女は目の前の少女、アイーダを褒めたたえた。


「────でも、足りない」


 しかし、そこで満足してしまうアイーダとは違い、彼女はどこまでも貪欲だった。

 早い、もう少し熟成させないともったいない。

 そのためにも、彼には強くなってもらわないと。


 だから、彼女は自身がたてた計画を進めることにした。


 全ては、そして


 そして彼女は────アイーダに声をかけた。

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