第50話・けもののけはい
三人は森に入る。
プロムスが前に立ち、その後ろにエルアミル。最後はアルプ。
エルアミルは自分が先頭に立つと言い張ったのだが、「主の無事を守るのは執事の仕事」と押し切られたのだ。アルプは自分が先頭に立つと練習にならないと何も言わず後ろへ回る。
エルアミルとプロムスが探しているのは、四牙猪の獣道だ。
何度も通った森、沼の場所もわかっているが、四牙猪の足跡が見つからない。
「前に来た時は足跡があったのに……」
「獣の足跡すらありませんな」
一瞬エルアミルがアルプを見るが、アルプは首を横に振る。自分は何も言わないよ、という合図だ。それでこれが試験だということを思い出し、エルアミルは視線を沼に戻す。
「向こうの丘の沼かもしれない」
「行ってみますか」
二人は歩き出す。その手にはくくり罠の仕掛け。
泥浴びをする習性のある四牙猪は、沼から沼へと渡り歩く。一ヶ月近く毎日この森へ来て、沼の場所も四牙猪がいそうな場所も記憶している。
「ん?」
プロムスがぴたりと足を止める。
「どうした?」
「いえ。……これを」
プロムスが指した場所には、明らかに猪より大きい足跡。
「なんでしょう……これ」
アルプの鼻が、ひくりと動く。
(あぶない、な)
だけど、言わない。
ヴィエーディアに教わったこと……すべてを手助けすることがその人の為になるとは限らない、それが正しいと今はアルプも思う。
ここでアルプが何か判断すれば、彼らはそれに従うだろう。でも、それではダメだ。自分の行動は自分で決めないといけないのだ。でないと、自分がいないと彼らは判断を下せなくなる。
黙って見守るのも、必要なのだ。
「足跡が……僕の掌くらいあるな」
「この爪具合からして肉食系ですな」
「こんな大きな肉食獣や魔物がこの森にいるなど聞いたことがないが」
「聞いていないがイコールいないではありませんよ。森は閉鎖されているわけではないのですから」
「そうだな……この足の大きさからして、体は
「あの大きさの肉食系ですか……」
プロムスは難しい顔をする。
「今の私たちでは太刀打ちするのは難しいですな」
「う~む……」
エルアミルとプロムスが顔を見合わせ、悩む。
今度はプロムスがチラリとアルプに視線を送るが、アルプはこれにも首を横に振る。自分で考えろ、という意味だ。
「今少し様子を見てみよう」
エルアミルがそう判断した。
再び沼を、今度はその周囲を含めてじっくり確認する。
「これは……」
坂道が苦手な四牙猪を探すので見ていなかった崖側で、猪の足跡と、肉食の足跡が入り乱れていた。
そして、血の跡も。
「この赤黒色の血は……四牙猪ですな」
一度アルプ先導で捕らえて
「まずいですな」
「まずいね」
四牙猪は仲間同士食い合いをするほど獰猛で狂暴。そんな猪を襲った獣。
「……無理、ですな」
「ああ、できるだけ早くここを離れよう」
エルアミルとプロムスは頷きあい、足跡を残さないように注意しながらアルプのいる場所へ戻る。
アルプは何も言わない。アルプの仕事は彼らを見守ること。彼らの判断についていくだけ。
エルアミルとプロムスは、足音を立てないように沼を離れる。
アルプもそのあとをついていく。
沼から距離を取り、沼独特の泥臭さが消えた時点で、エルアミルははあ、と息を吐いて座り込んだ。
「なんだったんだ、あの威圧感……」
「エルアミル様も感じましたか」
「ああ。沼を離れようとした時、背後からひどく恐ろしい気配を感じた。逃げ出したい気分に駆られたが、ここで逃げれば追われると思った」
「追われなくてよかったですな」
「ああ。沼地は歩きにくい。猪を襲った獣の足跡には滑ったり足を取られたような跡はなかった。獣は泥の上でも自在に歩けることになる。そんな相手と沼地で戦うのだけは避けたかった」
「そうですな」
「とりあえず獲物を得たから追ってこなかったのか、背後から襲われずよかった」
「とにかく足元のしっかりした場所に出ないと、勝ち目はないと思いましたからな」
チラリ、チラリと自分たちがいた方向を見ながら、反省会は続く。
「もう少し早く気付き、判断すべきでしたな。かなり危険な位置に入り込んでいたものだと思います」
「すまない、僕が獣の足跡を見つけた時点で引き返すべきだった」
「いえいえ、私もお止めするべきでした」
エルアミルはもう一度振り返る。
「四牙猪はどうしましょうか」
「命あっての物種だ、ヴィエーディア殿には申し訳ないが明日以降に持ち越してもらおう。取ってこいと言われたが、今日中ではない」
「そうですな。せめて食用になる獣でも狩って帰りましょうか」
仕方ない、と判断して、二人は森の浅いほうへ歩き出す。
アルプは無言でそのあとについていった。
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