第26話・おうじょののぞみ

「御猫様は塔から逃げましたヨ」


 その報告を聞いたフィーリア王女は、楽しそうに笑った。


「その時まで陛下も重臣も誰一人、うたぐっちゃいなかったとか。ショックでしょうねェ」


「ショック程度で済んだら困りましてよ」


 大鍋でぐつぐつと青色の液体を煮立たせながらフィーリア王女も楽しそうに笑う。


「どんどん絶望してもらわないと、わたくしの怒りを思い知ってもらわないと」


 パラパラパラ、と金色の粉を少しずつ混ぜながら、フィーリア王女は満開の笑顔を浮かべる。塔では決してみられなかったものだ。少年のように短く切った髪が、かえって今の悪戯いたずらっぽい笑顔に似合う。


「で、アルプさんは?」


「大回りしてこっちに向かうそうですヨ。一直線に来ることもできるけどそれだとレグニムとブールにバレるからと」


「アルプさんは気も行き届いていますわね」


「全くですナ。チラッと姫様のふりしてるところをうかがったんですがネ、完璧姫様でしたワ。まあ御猫様が言うには、全然娘としての姫様を見ていなかったということになりますがネ」


「アルプさんの言う通り」


 ふつふつと泡を立てる液体をゆっくりかき混ぜながら、王女は憤慨ふんがいする。


「わたくしに魔法薬の才能があると知った日は、お父様も純粋に喜んでくれましたわ。薬師にめられるほどだから、きっと世界一の魔法薬師になると。わたくしはお父様が喜んでくれたことが嬉しかった。……でも、わたくしが魔法薬師として名を馳せていくごとに、お父様は商人の顔になったのですわ」


「商人。国王じゃなくて?」


「国王としてみてくれたのであれば、わたくしも仮にも王家に生まれた身、国のためと思ったでしょう。でも、違いましたわ。あれは商人の顔でした」


「なるほどね、姫様を、娘でも王女でもなくて、商品……金の卵を産むガチョウを手に入れたとでも思ったんですナ」


「ええ、そう。薬をどれだけ高く売るか。どれだけ稼げるか。お父様の頭の中にあるのはそればかり。わたくしの薬で命を救える子供を前にしても、大国が高値で作る薬を作れと言った。あの時から、わたくしはお父様を国王とは認めなくなりました。国民を守るのではなく金を守る……商人でなくて何でしょう」


「それについては全く同感」


「わたくしはわたくしの薬を本当に必要としている人たちのために、薬を作りたいのです。アルプさんのように、わたくしの薬で治った方が笑顔を向けてくれるのを見たいのです」


「姫様がそれを望むなら、旅の魔法使いと薬師もいいでしょうナ。旅の薬師は尊敬されますヨ」


「それもいいですわね」


 ぽちょん、と液体を一滴垂らした瞬間、金色の煙が噴き出した。


「これで、金のハートを王子の体から切り離す薬はできましたわ」


「本当ですか」


 それまで祈るように薬を調合するフィーリアを見ていたエルアミルは、顔を上げた。


「ヴィエーディアは?」


「はい、金のハートを収める器はここに」


 箱のようなものをヴィエーディアは持っていた。


「じゃあエルアミル様、これを一息で飲み干してくださいな」


 青い液体を前にエルアミルの顔に不安が浮かぶ。


「味は保証いたしませんわ」


「……でしょうね」


「ですが、効果は万全ですわ。魔法猫の魔法力を反発する成分を流し込み、体の外へ弾き出す」


「……どこから出るか伺ってもよろしいでしょうか」


「口から流し込むのですから、口から。それとも別の穴から噴き出したほうがよろしくて?」


「……失礼しました、口からで充分です」


 ヴィエーディアの魔法道具を前に、エルアミル王子は盃に入った青い液体をにらみ……一息で飲み干した。


 途端、王子が白目をむき、がぱ、と口が開く。


 そこから溢れんばかりに金色の光が噴き出してきた。


「よしっ」


 ヴィエーディアは魔法道具のボタンを押した。


 しゅうしゅうと金の光は弧を描いて箱の中に吸い込まれる。


 ぐたっと突っ伏したエルアミル王子の口元から金の光が時折漏れては箱の中へ。


 箱自体が金色を帯びて、机の上に鎮座している。


「王子は大丈夫ですかネ」


「一応人体には可能な限り害がないようにしましたから、明日の朝には意識を取り戻しているでしょう。出来ればそれまでにジレフール様の薬を作り上げたいですわね」


「気が弱くはありますが、純粋に妹を愛するいい兄ですからネ。妹を助けるために権力争いを利用して、最終的には王位継承権を放棄してまで病に苦しむ妹を助けてやりたいと望むお兄ちゃんは助けてやりたいですねェ」


「わたくしのお兄様なんて、わたくしの作った薬を勝手に持って行ったりするんですもの。それに比べれば、善い兄ですよ、エルアミル様は」


「だから、薬を作って差し上げたいと思ったのでしょう?」


 フィーリア王女は頷いた。


「わたくしは、わたくしにしか作れない薬で、わたくしにしか救えない人を救いたいのですわ。魔法猫のように」


「そうでしたネ。自由な魔法猫は姫様の憧れ」


「ええ。だからあの夜、アルプさんが来たときは、本当に心臓が止まるかと思いましたわ」


「運命の出会いですかネ」


「どうなるかはこれから次第ですけど……わたくしも王女などではなく魔法猫に生まれたかったですわ」


 フィーリアは魔法の箱から少しずつ金のハートを鍋の中に流し込みながら、肩をすくめた。


「誰かの幸せの為に生きる……そんな生き方をしたいのですわ」

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