第33話 ゲシュタル家没落

 その日は雲ひとつない晴天で、呑気に餌を探している動物たちがやけに目に入る。

 いつもは訓練している兵士の掛け声やらで賑やかな広場の方も今日は静かで、どうしようもなく寂しさが込み上げてくる。

 このゲシュタル家にとってがどれほど重要だったのかを思い知らされるようで釈然としないとこもあるが、自分自身でさえ心にぽっかり穴が空いたような感じなのだからどうしようもない。


「リリカさん、お茶ですよ」


 リリカはその声を聞き振り返ると、いつものようにいつもの時間にお茶を運んでくる執事長のヨルドがいつの間にか立っていた。

 アイツがいなくてもお茶入れてくれるんだ、とリリカは思いながらもいい香りのお茶を口に運んだ。ハーブの香りが鼻を通りお腹が温まると、リラックスしてきたのか体がぽかぽかしてきて心地いい。


「ふふ。旦那様も、そんな顔するんです」


 ヨルドが窓の外を眺めながらそういった。リリカはあまりに気を緩めた顔をして居たかと一瞬恥ずかしくなったが、ヨルドが見ていたのは自分じゃなくアイツなんだと気づき、ヨルドが寂しそうな顔をしているのがやっと目に入った。


「アイツ、帰ってくるかな」

「どうでしょうか…。

 今度このゲシュタル家領には新たな貴族の方がやってくるそうです。ゲシュタル家は事実上没落。この地もこの地に住む者も皆、新しい貴族の方が統治することになります」

「兄貴はどんな貴族が来るかによっては、ここを離れるかもしれないって言ってた。安全とは限らないからって」

「そうですか…残念ですが懸命な判断かと思います。レージェストさんも、あの後から見なくなりました。もうこの地にはいらっしゃらないかもしれません」

「そうだな…」


 アイツ──この土地の領主デロンド・ゲシュタルが、突如やってきた国の騎士団に連れて行かれて数日が経った。あれだけ暇そうにしていたアイツがこの地からいなくなっただけで、ここにいるみんなの活力が失われた。まるで繋がっていた数珠の紐がプツンと切れたようにみんながバラバラになってしまった。

 領民のみんなもアイツが連れて行かれたと知った日には、どうにか連れ戻せないかと屋敷に押し寄せてきた。示し合わせた訳でもなくこの広大な領地の領民がみんな一斉にやってきたのだ。

 しかし国の力が働いている以上、彼らの力でどうにかなるわけもなく、事態が明確になるまではいつも通り働いてもらうようヨルドはみんなを説得していた。事態が把握できるようになるかさえわからない。この件はうやむやに終わって、俺たちには各々が新たな生活が始まり、アイツの存在がどんどん希薄になっていくのかもしれない。

 でも俺たちは時を待つしかできないのだ。


 ◇


「兄貴、アイツってもしかしてすごいやつだったのか?」

「アイツってゲシュタル様のことか?」

「うん。アイツがいなくなってからみんな元気ないっていうか…」

「ゲシュタル様が成し遂げようとしていたことは、成し遂げることができたとしたなら、この国を大きく動かすことになっていたんだ。もちろん成し遂げることはなかったが、その考えを貴族が持つこと自体が本当に貴重なことだった」

「奴隷制度をなくすってやつ? そんなの口先だけだろ?」

「現にこの土地の領民は大半が元奴隷だったというのを知っていたか?」

「! 領民のみんなが!?」


 エルヴァネはこくんと頷く。


「あんな方はそうそう現れない。かつて同じような方が1人いたが、その方も今は捉えられてしまった」

「そうなんだ」

「そう。だからなんとかしたいんだが…」

「難しいの?」

「ああ。調べたところゲシュタル様は、ここに来るまでに多くの過ちを犯してきた。決して間違いで捕まったわけじゃないというのが問題だ。

 しかし腑に落ちない。あの方がなぜこれまで悪事に手を染めていたのか。以前見たゲシュタル様と今のゲシュタル様はどうにも雰囲気が違う気がする」

「兄貴、以前アイツに会ったことあるの?」

「! い、いやこっちの話だ気にしないでくれ」

「?」


 ◇


 なんてゆっくりした時間なのだろうか。

 私がこれほどゆったりとくつろいでいるのは、久しぶりかもしれない。

 旦那様が変わられてから、このゲシュタル家はめまぐるしい変化を遂げた。奴隷を季節ごとに買い替え、いらなくなった奴隷は薬に犯し使い捨てる。武器や薬の横流し、奴隷狩り、汚いことはなんでもしてきたデロンド・ゲシュタルがある日、ケロッと変わった。

 天の悪戯かと思ったが、私にとってはそれは奇跡だ。

 あれがなければ死ぬまで一生をその汚い仕事を横目に、共犯のようなことする人生になるかもしれなかった。

 そうだ。旦那様が罪で囚われるなら、私こそ囚われるべきなのだ。

 あの方は、こんなところで終わっていい方ではない。


「ヨルドさん、皆様が揃われました」


 メイドのアンがヨルドの執事長室に入ってくる。

 ヨルドは椅子から立ち上がると、胸のネクタイを締め直した。


「今行きます」


 作戦会議をするような大きめの楕円の机が中央にある部屋へ入ると、席にはすでに皆が座っていた。

 エルヴァネとリリカの兄妹にメイド長のポピィ。メイドのアンは壁ぎわで立っている。それにここにどうしても居て欲しかった獣人のレージェスト。彼を見つけ出すのは大変だったが、エルヴァネの協力もありこの場に呼び出すことができた。


「皆さんに話したいことがあります。と、その前に」


 ヨルドがそういうと、ヨルドが先ほど入ってきた扉が開かれ1人の女性が入ってきた。その女性を見るや、皆の目がカッと開く。


「このゲシュタル家を旦那様に代わり、統治することとなられた、隠れた北の虎フレアーヌ・ナディリシア様です」

「皆様お久しぶりでございます。先日は突然お邪魔して申し訳ありませんでした」

「どういうことだ」


 レージェストがこの状況に黙っているわけがなかった。


「先程言った通りです。ゲシュタル家領の統治をこれからしていただきます」


 ヨルドがそういうと、エルヴァネがそれに続いた。


「ゲシュタル家程の大きな家の後を継ぐ者が小貴族のわけがないとは思っていましたが。王もよほどナディリシア家を信用していらっしゃるのですね。

 ゲシュタル家をナディリシア家の次期当主に預けるとなればナディリシア家の力は倍に膨らむことになります。国の半分には届かないまでもそれに近い領地を一つの家が持てば、王族家としても厄介だと思うのですが」

「王はナディリシア家が裏切らないと信じておられるのです。そして私たちナディリシア家ももちろんそんな曲がったことをすることはありません。

 しかし他の大貴族家はどうでしょう。どこも黒い噂が絶えない。ナディリシア家に任せた王の気持ちも私にはわかります」

「それは王が黒い噂がある信用できないようない貴族家を持ち上げたからでは?王家とそれを囲む大貴族家に信頼関係がないのが問題だと」

「エルヴァネさん、そのセリフは王家への叛逆と捉えられても致し方ないですが?」


 エルヴァネとフレアーヌの間で、探り探りの心理戦が行われる。

 しかしヨルドは今、彼らのいさかいに付き合う気はさらさらなかった。


「本題をいいでしょうか」

「「!」」

「フレアーヌさんも座ってください。レージェストさんも」


 フレアーヌが現れて、敵意剥き出しで立っているレージェストもヨルドの真剣な眼差しに圧倒され席についた。


「旦那様のことで皆さんにお話ししたいことがあります」


 皆がヨルドの言葉に集中する。先程までのざわつきは一瞬でなくなり沈黙が広がった。


「旦那様は──」

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