第24話 病弱な傑物

 空が薄っすらと明るくなり始め、鳥が目を覚まし活発に活動を開始したころ、俺たちは山道を進んでいた。

 みんな顔には疲れの色が見え、先へと進める足もだんだんと遅くなっていた。

 テンボラス家とゲシュタル家は共に有数な貴族家であるため、その当主が移動するための道は予め整備されている。そのため普段なら平原のその道を進めばいいのだが今回ばかりはそうもいかない。テンボラス家と敵対した以上、追っ手を放ってくることも考えられる。狼煙を使って事情を知らせ、領地の境付近のテンボラスの兵が待ち伏せをしている可能性も十分にあった。


「はぁはぁ…リリカ、大丈夫かい?」


 俺がリリカにそう問いかけると「は?」という顔をされる。


「今一番、この中でなのは、おまえだろ」

「うっ」


 薄々気づいてはいたが、そうなのだろう。確かに他のみんなも疲れは見えるが、俺が一番ゼハゼハと荒い息を吐いているのは間違いない。たぶんこの中で俺が一番偉いもんだから、みんなが俺の牛の歩みに合わせてくれているのだ。


「こら、リリカ! 恩人に向かってなんてことを言うんだ」

「う…兄貴……」

「すみません、ゲシュタル様。妹が失礼を…。

 やはり、私が歩きます。馬にはゲシュタル様が」


 リリカの兄──エルヴァネは、ゴリゴリの荒くれ者たちを束ねているというには、身体の線が細く、風が吹けば飛んで行ってしまうんじゃないかという見た目をしている。現に病気で倒れていたということらしい。さすがにそんな人にこんな山中を歩けなんてことは言えない。健康な者が歩けばいい。たとえ体の皮下脂肪が重くて、膝が痛かったとしても…!

 エルヴァネが馬を降りようとするのを俺は手で制す。


「いやいや、大丈夫です!」


 エルヴァネは不安そうにヨルドの方を見ると、ヨルドは「大丈夫」という意味を込めて頷いた。


「あとどれくらい歩けばゲシュタル領につく予定?」

「そうですね…。休まず行って1日。それは無理でしょうから2日程ですね」


 ヨルドの言葉でさらにガクッとなる。新幹線でもあれば別だが、徒歩で山を越えようってことなのだからあたりまえか…。それでも今の俺の体にはその言葉はどっと疲れを感じさせた。


「人間ってのは本当に脆い」


 木々をぴょんぴょんと飛び移り、俺たち一行いっこうの行く道の危険を先に確認する斥候のような役割から帰ってきた獣人、レージェストが俺に向かって言った。

 獣化し俺たちを危機から救ってくれた恩人だが、なかなか言葉がきつくて困ったものだ。獣化した反動で倒れていたが目を覚ますと、この旅に同行することとなった。


「レージェストさん、もう少し優しく言ってもらえますか~」

「獣人の足なら、数時間で着く」


 フイッとそっぽを向きながらレージェストはそう言うと、さらに言葉を続けた。


「この先はしばらく人の気配がない。もちろん人間より目も鼻も効くといえど絶対とは言えないがな」


 レージェストの言葉はきついが、彼の存在はこの山中ではとても大きい。

 昼夜問わず山中に籠ることとなるので自然の獣と遭遇することもある。俺を守る隊長たちも、獣と相対した場合には戦うことができるが、さすがに遠くにいる獣を避けて歩くことはできない。

 そのあたりレージェストは鼻が利くようで、ところどころ危険を察知し、行く道を変更し歩いて行ける。


「あなたには本当に感謝しています。妹を救ってくれたこと、一生をかけて恩返しを致します」

「いらん」


 エルヴァネが改めて頭を下げるも、レージェストはそっぽを向いたまま一言呟くだけで、また木々を伝いさっさと前の方に行ってしまった。

 その様子を見て俺は改めてエルヴァネの品格が、後ろを歩く荒くれ者達とは決定的に違うような気がした。なんならリリカとさえ違う。リリカからはどちらかというと荒くれ者たちと同じものを感じる。


「聞きたかったんですが、細身のあなたがどうやってこの荒くれ者をまとめたんです?」


 俺がそう聞くと、エルヴァネではなくリリカの方が先に口を開いた。


「兄貴はすごいんだぜ! 魔法みたいにいろんな方法で、いろんな問題を解決するんだ! だからテンボラスとかいうも俺たちに手を出せなかったんだ!」

「ほえー、魔法!」


 なるほど、それであの壁か。

 俺はテンボラス領にあった貧困街と中心街を隔てる壁を思い出す。

 潔癖なテンボラスにとって町の汚点ともいえるあの貧困街がなぜのこっているのか気になっていたが、リリカたちを片付けようにも上手くいかず、だから壁を作って目隠しをすることで対処したってわけか。

 ま、俺からしたら、あの病的に白い、薬の製造工場こそ早くなくすべきだとは思うが…。

 とはいうもののローレリック・テンボラスが死んだ今、あの領地がどうなっていくのかは誰にもわからない。


「屋敷を出たところで、イシツブテと煙幕があったでしょう。あれはエルヴァネさんが仕掛けた策だったのですよ」


 ヨルドが横から追加で説明をしてくれる。


「! あれエルヴァネさんがやったんだ」

「テンボラスがあの煙幕を抜け、こちらにやってこれるとは思っていませんでしたが」

「なるほど、策略でこの人たちをまとめあげたってわけなのですね~」

「い、いや、私としてはまとめたつもりは…」


 なるほど、荒くれ者達がエルヴァネに魅了されてついてきて、いつのまにかこんな軍団になってたってところか。


「でも本当にいいのでしょうか? 我々までゲシュタル家領に行っても」

「それはもう大歓迎です! …ただ今回の件でゲシュタル家領が安全というわけではないかもしれませんが」

「ありがたいです。あのままテンボラスに残れば、私たちはおしまいだったでしょう」

「エルヴァネさんのような方がうちにやってきてくれるのは、本当にうれしいことなんです」

「いえ。私などの力であれば何なりとお使いください。レージェストさん同様、ゲシュタル様は我々の命の恩人。薬の件も含め、改めてお礼を」


【契りの晩餐】では敵を増やすことになったため、作戦を立てられる人間がやってくるのはありがたい。

 彼の品格が高いことは何となく引っかかるが、それ以上にこの先彼が必要な時が来るだろう予感がして、俺は重い足を前へ進めた。

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