第23話 契りの晩餐(下)
会場が湧き、その喝さいで会場が揺れる中、遠くの方でヨルドが俺を呼んでいるのが聞こえる。しかし俺の足は、一歩また一歩と舞台に踏み出していた。
奇妙なものだ。怒りだとか、そういうものではない。もしここで俺がこの舞台に横やりを入れれば、ここにいるものが皆敵になるかもしれないという、そういう恐怖でもない。
「(ああ、呆れているんだ)」
大の大人が、自分らの私欲のためにこんな少女にまで手をだす。
その人間の強欲さを目の当たりして、俺は怒りでもなく正義感でもなく、ただ呆れているんだ。
こんなやつらと一緒にされるぐらいなら、ここで命尽きるほうが幾分かマシだ。
そう思いつつ立ち止まる。俺がこれをしたら、俺だけじゃなく俺のまわりにいる人たちにも迷惑がかかるかもしれない。そんなことまで考えられるほど、俺の頭は冷静に回転していた。
俺はくるっと振り向き、少し後ろの人ごみの中にいるヨルドを見た。
貴族たちの喝さいにかき消されそうになるような、彼にちゃんと届いているかわからないぐらいの声で俺は呟いた。
「ごめん」
ヨルドはまっすぐ俺の方を見て、一瞬瞳が揺れ、そして小さく頷いた。
こういう時、優秀な人は可哀想だ。俺のその一言で全部を察し、そして瞬時に決断を下すのだから。
「仰せのままに」
ヨルドのその言葉を背に俺は舞台に上がる。
貴族たちの間からはどよめきが起き、そして何より舞台に居たテンボラスが一番驚き動揺している。
「ゲシュタル様!? どうされたんです!?」
小走りで俺に近づいて来るテンボラスに一切目もくれず、俺はリリカの囚われている檻に歩みを進める。
「あらあらこれはどういうことかしら、ローレリックちゃん?」
「い、いえ! これはその…え!?」
南の大貴族エルドゥアンナ・フォージュリアットはテンボラスに圧をかける。その言葉からは苛立ちが見えテンボラスも焦ったようで、俺に迫ってくる。
「ゲシュタル様、これは何かの冗談でしょうか? 冗談でしたら面白くないですよ」
「冗談?」
俺が檻に目を向けると、リリカも俺に気づいたらしい。
「お、おまえ…!」
「これか」
テンボラスの腰に下げてあるカギを無理やりとり、リリカの檻を開けてやる。
「ゲシュタル様…これは明確な【契りの晩餐】への反逆行為とうけとらせていただきますよ? お遊びでしたらここらへんで…」
そこまでテンボラスが言ったところで、俺はテンボラスの顔面に思い切りグーパンチをお見舞いした。
人の顔面を殴るってのはこういう感覚なのか。殴った相手はこんなゲス野郎なのに、それでも手の痛み以上に心が痛い。
顔を押さえた手の指の間から鼻血がツーっと流れる。
「…!! や、やった、やったな! ゲシュタルおまえぇ!!」
テンボラスが叫ぶのを無視し、俺はリリカを檻から出してやる。
さぁどうしたものか。ここから逃げるなんてできるだろうか。舞台から客席の方をちらっと見て、先程までヨルドがいたあたりを確認する。そこにヨルドの姿はなかった。
「(逃げることができたか…。よかった)」
こうなっては俺が逃げ出すのは不可能だ。俺のわがままに付き合いヨルドまで不幸になる必要はない。
彼のことだ。この後、ゲシュタル家のみんなに降りかかる災難に対してはちゃんと対応してくれるはずだ。家のみんなのことは彼に任せておけば心配ない。「最後まで迷惑かけちゃったな…」と心の中でヨルドに謝る。
俺がこの世界で死ねばどうなるのだろうか。また元の世界にもどれるのか、はたまたまた違う異世界か。今度こそ天国やら地獄やらに行くのかもしれない。
テンボラスが衛兵を集め、檻を背に俺とリリカは兵に囲まれた。
「リリカ。キミだけは何とか助け出したいが、見ての通り八方ふさがりだ」
「おまえ、バカだろ…こんな後先考えず……」
「そうかもしれない」
「俺なんか放っておけば…!!」
リリカの声が震えてるのがわかる。
強がっていても少女だ。こんな状況で恐怖しない方がおかしい。
逃げ出せる算段があるわけではない。とにかく壁になってリリカを逃がす。それしかない。
「ふふふ、面白いじゃない! 五大貴族の当主であるあなたがこんなあんぽんたんだったとは知らなかったわ」
「フォージュリアット家の当主が、こんな厚化粧のイカれくそババアだってこともしらなかったよ」
フォージュリアットはふふふと笑って見せるが、目は笑っていない。
テンボラスは鼻が折れてしまっているのか、さっきから息がし辛そうにブフォーブフォーと唸っているのが聞こえる。
「いいわねぇあなた…。そうだわ! あなたに狂化薬を打ってあげましょう! そしたらみんなもこの薬がどういったものかわかってくれると思うわ! ねぇ、みんな!」
貴族たちは、声を上げようか上げまいか迷っているようだった。
フォージュリアット家とゲシュタル家どちらも大貴族であり、どちらにつくかをここで歓声を上げるかどうかで示してしまうことになる。
しかし、俺がやっていることは明確に【契りの晩餐】のルールを逸脱した行為で、この場においてはゲシュタルが間違っていると判断した貴族が1人声を上げると、皆、その流れに遅れまいと次々に歓声を上げた。
「あらあらどうします? みんなあなたに狂化薬を打つのを待ち望んでるようだわ」
「みたいだね」
俺は思考をめぐらす。しかし、どうやったってこの場を切り抜けられる方法なんて思いつかなかった。
まずったか…と頭に後悔がよぎったのを頭を振ってかき消す。
あのまま、リリカに薬を打たれるのを黙って見てたらよかったってのか? そんなことしたら一生俺は自分が許せないだろう。
一つの家の当主がこんな短絡的じゃダメなのはわかってる。けどこれを許容してしまった先で、俺が何を語るって言うんだ。
「リリカ、俺が盾になるから、俺の後ろをとにかく走って抜けるんだ。外まで行けばもしかしたら、キミの仲間が助けに来ているかもしれないだろ」
「おまえ、死ぬ気か? 俺はおまえなんかに助けてもらいたいなんて思ってない! 俺も一緒に戦って死んでやる」
「死んじゃだめだ。これは俺の命を盾にしてキミを生かす作戦だ。キミが生き残ることが、この作戦の成功なんだから」
上手くいくはずがない。目の前の兵士が構えている槍の先の刃を見ると、全身の血がキュッと冷えるのを感じた。あの槍を一突き食らって、それでも走り続けられるだろうか。「このデブ貴族にたんまりとつく贅肉のお手並み拝見だな」と少し笑って気分を紛らわす。
今ここに少し沈黙が続いているのは、衛兵の主人であるテンボラスが俺に鼻を殴られ、指示を出せないからだ。やつがひとたび声を上げれば、この周りにある無数の槍が俺たちに降り注ぐ。
「俺を解放しろ」
「!」
俺とリリカが背を預けている檻から、俺たちにだけ聞こえるほどの小さな声が囁かれる。俺は前にいるやつらに悟られないように小さな声で答えた。
「キミを解放…? 俺たちを助けてくれるの?」
「貴族のおまえを助けようという気はさらさらないが、俺はその少女を助けなければならない」
リリカとどういう関係なのかはわからないが、リリカの顔を見るとリリカはこくんと頷いた。捉えられた獣人。フォージュリアットの演説を聞いていた限り、この獣人は彼女のお気に入りだ。解放したが最後、背から襲われる可能性もある。
「(悩む余地もないな)」
すでに詰んでいるこの状況で、獣人一人の脅威が追加されたところで、助かる確率が限りなくゼロからほぼゼロになるだけだ。それならば彼が味方につく可能性に賭けたほうが、何千倍もいい。
一人の獣人の力がどんなものかは知らないし、味方についたことでこの戦況が覆るとは思えないが、それでもできることはやらないより幾分かマシだ。
リリカを助けたいと思っているなら、それは願ってもないこと。0.1%でもその成功率が上がるなら、俺の選択肢はただ一つ。
俺はカギを牢の鍵穴に差し込んだ。
それを見たフォージュリアットは悲鳴のような叫びをあげる!
「何をやってるの! おまえらあのくそデブを今すぐ刺し殺しなさい!!」
衛兵は自分の主人ではない者からの命令に一瞬戸惑った。その一瞬が運命を分ける。
──俺はその獣人の檻を解き放った。
シュバッ!!!!!
青い閃光が俺たちの真上を通ったかと思うと、周りの兵士が四方に吹き飛んだ。
そしてその閃光の主は俺とリリカを背にし、フォージュリアット達の前に立ちはだかった。
青いケモノ。
獣人が会場に解き放たれたことによって会場はパニックに包まれ、皆が会場の入り口の方に走り出した。
いち早く事態を察知したフォージュリアットはすぐさま自分の屈強な衛兵に囲まれながら、逃げ道の確保に勤しんでいる。自分の命を第一としたこの素早い選択こそが彼女を大貴族の当主として君臨させ続ける所以なのだろう。
「俺が道を切り開く。おまえたちはその隙にあの巣屋を荒らされあたふたしているアリのような連中の中に紛れて逃げろ」
青い狼の獣人はそういうと一人また一人と衛兵をなぎ倒した。
想像以上の力に圧倒され、俺とリリカは放心状態になっていると、獣人は叫んだ。
「変身状態がどこまで持つかわからん! はやくしろ!!」
「!」
それを聞き我に返った俺たちは群衆の中に飛び込んだ。
貴族たちは我先にと出入口を目指し、もみくちゃになっている。あえて逆らわずその流れに身を任せていると、俺たちは無事屋敷の外にはじき出された。
「ぷは! よ、よし逃げ出せた!!」
俺は顔の汗をぬぐいつつ喜びに胸を弾ませながらリリカを見ると、リリカの表情には絶望の色が刻まれていた。俺はリリカの視線の先を追うように見る。
数十人の兵がずらっと俺たちを待ち受けていた。
そしてその真ん中にはテンボラスが荒い息を立てながら、立っていた。
出入口とは別に外につながる通路があったのだろう。
「パパから受け継ぎ、このボクが初めて主催するこの席を、よくも…よくも無茶苦茶にしてくれたな……。
パパの時以上に豪華にし、最高の新薬まで用意して、最高のスタートをきれるはずだったのに…。
許さない許さない許さない!!! 生きて帰れると思うなぁ! ゲシュタル!!!!!」
今にも兵が突撃してきそうな、その瞬間…
ボツボツボツ!!!
俺たちに突撃しようとする兵たちの真上に大量のイシツブテが降ってきた。
「!?」
イシツブテ自体は兵たちの重装備には歯が立っていないようだが、兵たちは急な奇襲に動転し、指揮系統が乱れた。
すぐさま次は大量の粉塵をまき散らす玉が投げ込まれ、煙幕のようにあたりが真っ白に包まれる。
もちろん俺もリリカもテンボラスたち同様に気が動転していたが、その時よく通る声がこの場に響き渡った。
「そのまま、まっすぐ走れ!」
俺も兵たちもその声に従うことはなかったが、この場において一人だけ、その声に忠実に従う者がいた。
「こっちだ!」
リリカは俺の手を引き、声の主の指示通りまっすぐ、ただまっすぐと走り出した。
「お、おい!」
「兄貴だ! この声!!」
「!」
煙幕で何も見えない中とにかくその言葉を信じ突き進むと、ようやく煙が晴れた場所にたどり着く。
「兄貴!!」
そこにはリリカの仲間たちと、そしてヨルドやメイドのアン、お付きの兵たちが立って待っていた。
「旦那様!こちらへ!!」
「! ヨルド?!」
俺とリリカは助かったんだ、と安堵する。
命はないと思っていた局面を切り抜け、薄皮一枚がつながった。
しかし、
「ゲシュタルぅぅぅ!!!!」
俺たちに続き、煙の中からテンボラスが飛び出してきた。
手には剣が抜かれ、それはリリカを捉えようと差し迫っている。
「リリカ!」
「まずは貴様だ、小娘!!!!」
しかし、リリカに差し迫った剣は届くことはなかった。
ぶしゅーーー!!!!
「ガハッ」
テンボラスは赤い血をあげ倒れた。
青いケモノの鋭い爪がテンボラスの背中を掻き切ったのだった。
「はぁはぁ、間に合ってよかった…」
獣人は限界をとうに超えていたようで、変身がとけ、その場に倒れてしまった。
皆がこちらに駆け寄る。
俺は獣人を肩に担ぎあげた。
「リリカ!」
「兄貴!」
リリカが兄に抱き着く。俺が想像していた周りのゴリゴリの男たちのような人ではなく、線が細いすらっとしたイケメンだった。病気だったといったのは本当だったようで、顔の血の気が薄い。
「ヨルド、逃げたんじゃ」
「旦那様、ご無事でよかった。
お話せねばならないことはたくさんありますが、しかし、すぐこの地を出ねばなりません」
「! ああ…」
フォージュリアットのお気に入りの獣人を逃がし、新薬お披露目をぶち壊した。そこに集まる貴族たちの裏の取引が行われる【契りの晩餐】を荒らして、その場にくる危険性を示してしまった。
【契りの晩餐】を生き残ることはできたが、多くを敵に回してしまったことは間違いない。
血を流して倒れるテンボラスを見つめ、俺はそう思うのだった。
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