第22話 契りの晩餐(中)

 どこかの舞台裏だろうか。なにやらざわめきやらどよめきが遠くの方から聞こえる。

 舞台から漏れた灯りだけが薄暗い舞台裏をうっすらと照らしていて、そこには檻が二つ並んでいた。つい先ほど、もう一つあった檻が舞台の方に連れていかれたところだ。

 だいぶ暗闇に目が慣れてきた。


「兄貴…」


 隣りの檻でうずくまる人間の少女を見ながら、獣人の男──レージェストは口の中に広がる鉄臭い血の味をかみしめる。

 人間の貴族に捕まり数週間。あのイカレた女の行いを毎日見てきた。同胞は何やら薬を打たれ狂い、【ケモノの暴走】を引き起こし、同胞同士で殺し合いをさせられた。

 狂い、ケモノとなって同胞を食い殺す。理性はなくなり、気が付いた時には同胞の肉片が散らばっているのだ。

 殺し合いをさせられた同胞の末路は、死ぬか、生き残っても同胞を殺してしまったことに心を病んでしまう。

 自分の番が来ることが恐怖だった。

 いつ来るかと恐れながらずっと檻から同胞の殺し合いを見せられ、横で興奮するくそ女の絶頂の声を聴いていた。


 しかしついに俺の番は来ることはなく、今日を迎えた。


「(人間は同族の…しかもこんなに幼い少女にもこんなことをするのか)」


 隣りの檻の少女の体は赤く腫れ、その傷は自分と同じような仕打ちをされたことを物語っていた。仲間が人間に襲われ捉えられた時から、人間への憎悪は膨れ上がる一方だったが、これだけの仕打ちを受けている少女にはいくら人間だからと同じ感情は起きなかった。


「おい、泣くな。いつかここから出れる。それまでの辛抱だ」


 レージェストは自分にも言い聞かせるつもりで少女に声をかけた。

 ここから逃げ出せる算段などレージェストは持ち合わせいない。ただ、この少女のいくらかでも励みになればと思った。希望なんて持たせるほうが酷なのかもしれない。それでもレージェストは少女が恐怖の中にずっとおびえているのを我慢して見ていることはできなかった。

 レージェストの声が届き、少女は顔を上げる。


「俺は泣いてなんかいない」


 その目は恐怖に震えているではなく、力強くそれでいて凛としている。これだけの仕打ちを受けた少女の瞳は、いまだ強い光を宿していた。


「そ、それはすまない…兄のことを呼んでいたから泣いているものとばかり」

「…」


 それを聞いて少女は顔を赤らめた。

 兄を呼んでいたのを聞かれていたのが恥ずかしかったようだ。


「あんた獣人?」

「ああ、おまえは人間だな」

「あたりまえでしょ」

「…そうだな。おまえが人間であることがあたりまえのように、俺が獣人であるのもあたりまえだ」


 少し大人げなかったかもしれない。この人間の国に住んでいる少女にとって獣人を見ることは少ないはずだ。彼女にとって俺が日常から一脱した存在であることはレージェストとてもちろんわかっている。

 レージェストが自分が発した言葉を心の中で反省していると、少女がそれに返答した。


「それもそうだな。たしかにあんたにとって獣人であることはあたりまえだ」


 賢い少女だ。

 人間は獣人に少し恐怖を持っている節がある。それは獣人に比べ人間は身体的に劣っているためだ。しかし少女はレージェストの目から視線を逸らさない。その純粋な瞳が眩しくすらある。

 人間を憎み、嫌う、この自分の瞳はどれほど濁っていることだろうか? そんなことを考えると、レージェストこそ少女から目を背けたい気分だった。


「おまえは俺が怖くないのか?」

「? あんたが? なんで」

「俺は獣人だ」

「へっ、獣人だからってなんだ。俺はこう見えても町のごろつきを束ねてるんだぞ」


 少女は鼻を鳴らし胸を張って見せる。


「おまえが?」

「…、まぁ束ねてるのは兄貴だけど」


 ごにょごにょと答える少女をみてレージェストは少しおかしくて笑ってしまう。

 そしてレージェストは「はっ」と自分が人間相手に笑っていることに驚いた。

 この少女には不思議な魅力がある。

 町のごろつきをもし本当に彼女が束ねていたとしても不思議ではない。その瞳は裏表がなく確かに俺をとらえている。そしてそれが故の危うさを彼女は持ち合わせ、周りにいる者にという使命を抱かせる。

 今さっき会ったばかりのレージェストですら、こんなところでこの少女が命を落としてほしくないと願っている。


「おまえはなんで捕まったんだ?」

「わかんない。ただここの領主が軍を引き連れて、急にやって来たんだ。

 兄貴が病気じゃなかったら皆がやられることなんてなかった。ただ俺に力がないばかりに…」

「やはり人間の貴族は、野蛮だ」


 レージェストは少女の方から視線を逸らし、檻に背中を預けた。

 少しの沈黙が二人の間に流れ、少女は口を開いた。


「いいや、貴族でも、いい奴は…いる」

「?」

「ハゲでデブのおっさんの貴族。

 でも兄貴が病気だって言ったら、金をくれた。

 薬だけじゃなくて俺たちがみんな腹いっぱいにパンが食えるだけの」


 少女の声には優しさが乗っている。彼女の本心から出た言葉なのだろう。


「…。俺は人間が嫌いだ。ただ人間の中にもおまえのような者がいるように、おまえにとってというわけではないということか」

「まぁ、そいつが現れるまでは貴族なんか死ねばいいとおもってたけどな!

 俺そいつ襲ったし!」

「ふっ、そうか」


 レージェストは少女と話していると懐かしい気持ちに包まれた。

 何年も前の記憶が呼び起こされる。

 

 ──レージェストにも幼い妹がいた。

 勝気で負けず嫌い。年の離れた妹だったがどこに行くにも「兄ちゃん、待って」と言ってついてくる。

 レージェストを追って仲間たち男の中で育ったからか「俺」という一人称が癖付いてしまった時は、母さんが嘆いたものだ。


 暖かい記憶──しかしそれは遠く、もう戻ってこない。


 ある日その日常は終わりを迎えた。

 レージェストはその日に限り、妹を疎ましく思い、妹の目を盗み仲間の元へ遊びに出かけた。妹連れじゃ、どうにも楽しめないこともある。

 しかしレージェストはそのことをずっと後悔し続けている。

 その日、レージェストが1人で出かけた日。人間の獣人奴隷狩りの軍が、レージェストの住む集落を襲った。

 レージェストが帰った時には、集落の焼けた跡が残っているだけだった。


「兄貴は好きか?」

「はぁ!? 恥ずかしいこと聞くなよ!」

「好きか」


 レージェストの真剣な口調に、少女は茶化すべきではなく真剣に答えないといけないことを悟った。


「好きだよ。一人だけの家族だ。俺は兄貴の役に立てるなら死んだってかまわない」

「…そうか」


 レージェストの中で妹が囁いている気がした。

「この子を返してあげて」と。

 絶対この少女を、兄の元へ返してやらねばならない。

 仲間は皆失った。神がどういうつもりかわからないが、助け出せない無力感に押しつぶされそうなレージェストに最後の使命が与えられた気がした。


 すると薄暗い舞台裏にどっと光が入ってくる。暗闇になれた目に光が痛く突き刺し、あたりが白く靄がかかったようになった。

 舞台へ続くカーテンがひらかれ、人間の男たちがぞろぞろと入ってくるとレージェストと少女の入った檻を舞台へ引っ張り出していく。

 レージェストは檻に顔を押し付け、少女に改めて叫ぶように伝えた。


「おまえがすべきは兄のために死ぬことではない。兄のために生き続けることだ!」

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