第4章 没落の足音

第25話 心地が良い場所

「つ…ついだぁぁぁ~」


 身体の穴という穴から汗が吹き出し俺の顔は見るに堪えないだろうが、そんなことを気にしている余裕はない。この体はなんというか、布団でも常に背負っているような感じで、重いやら暑いやら本当に大変なのだ。前の世界の俺でも辛いだろうあの山中の旅をよくこの体で耐え抜いたなと自分で自分を褒めてやる。


「ひどい顔じゃな~」


 心の中で自分を褒めてやって自尊心を何とかしている俺には、ずしんとくる言葉が飛んでくる。

 メイド長のポピィだ。

 俺の顔を見るや汚物を見るように眉間にしわを寄せている。幼女な見た目とは裏腹にポピィは1000年生きると言われている竜族なものだから、なんとも言い難い悲しい気持ちになる。


「ポピィ様! 旦那様はここまですっごい頑張ったんです! そんな言い方はやめてあげてください!!」


 そう言ってくれたのは、旅の道中の身の回りの世話役のために一緒に【契りの晩餐】に出かけたメイドのアンだ。俺は心の中でほろりと涙を流す。一人でも俺のことを優しく扱ってくれる人がいるのはうれしいものだ。

 ポピィはアンをギロッと睨みつけると、指をアンに突き付けた。


「アン! なんじゃその寝起きのままの髪! それに口元! 食べかすがついとる!」

「ひゃ、ひゃい!」

「どうもこの旅で甘やかされていたと見える! 今日からビシビシとやるから楽しみにしとれよぉ~!」

「ひぇ~」


 カンカンカーンと試合終了のゴングが鳴る音が聞こえた。もちろんアンのストレート負けである。とぼとぼと屋敷に入っていくアンを横目に、俺は味方なんて一人もいないことを悟ったのだった。

 そんなやり取りをしていると、さっきまで誰もいなかった俺の横から声が発せられた。


「俺はここまでにさせてもらう」

「!」


 俺は気づいたら横に立っていた獣人のレージェストに驚きながらも、それ以上に言葉の意味を理解して、戸惑ってしまった。


「うちに来てくれないんですか」

「もともとあいつが無事に逃げられるよう手伝っていただけで、人間の領地で暮らす気はさらさらない」


 レージェストは屋敷の大きさに圧倒されてはしゃいでいるリリカの方を見ながらそう言った。どういういきさつで彼女を救おうと立ち上がってくれたのかはわからないが、それがどういう理由でもそのおかげで俺がこうしてここに生きて帰ってこれたことは間違いのない事実だ。彼には恩返しがしたかった。


「でも行く当てはあるんですか? たしかお仲間もみんな…」

「ああ。おまえらクソ人間の貴族に捕まった」

「申し訳ありません」


 レージェストは俺が素直に謝るのを見て、少し考えると押し黙り、そして言葉を訂正した。


「…いや、すまない。おまえがそういうやつでないことはわかっている。俺はあの少女と話してそれに気が付いた。人間のなかにもいろいろいて、貴族のなかにもいろいろいるってことにな」

「……」

「ただ俺は、今もどこかで生きているかもしれない仲間がいる以上、こんなところで呑気に過ごしているわけにはいかないんだ」


 レージェストの気持ちは痛いほど伝わってきた。

 もし助けに行けばまた捕まるかもしれない。確かにレージェストは獣人の中でも強い部類なのかもしれないが、今回みたいに上手くいくとは限らない。獣人がいるとわかっている以上、敵もその備えを十分にしているはずだ。それに先の戦いの際、レージェストが倒れたのを見てわかったが、獣化することはそれなりにリスクを伴っている。圧倒的に強いというだけではないのだ。


「少し立ち寄ることもできませんか…? なにかお返しがしたいんです」

「すまないが」


 レージェストはもしかしたら、ここに居ては復讐心が薄くなってしまうと考えていて、それが怖いのかもしれない。テンボラス領からの帰路で彼が言葉こそきついところもあるがとても優しいのがわかった。これ以上と親交を深めた時、誰を敵として戦えばいいのかわからなくなる恐怖があるのだろう。

 そんな男だからこそ俺は引き止めたかった。彼が仲間を助けるため捨て身で挑むより、目的が一致している以上俺たちが彼のその目的の手伝いをすることはできるかもしれない。


「お主もひどい顔をしてるのぉ」


 横で一部始終をみていたのかポピィがレージェストに向かってそう言う。

 幼女にそう言われたものだからレージェストは戸惑ったような顔をしているが、そんなことはお構いなしといった感じでポピィはどんどん詰め寄っていく。


「うちのアホ坊ちゃんに比べたら、おまえさんの顔は凛々しくて、元が良い分ずいぶんマシじゃがの!」

「おいおい、主人の顔をゴミみたいに話すのはやめてくれ…」

「その悪い人相をどうにかしたら、文句は聞いてやるわ」

「うう…そう言われても……」


 この屋敷でポピィに勝てる者などいない。たとえそれが主人であっても…。


「時に若いの。お主いい体をしとるの、こっちの荷物を運ぶのを手伝ってくれないか?」

「いや、俺は……」

「ほれほれ、早く来んか」


 ポピィはレージェストの背を押すような形で屋敷の方へ連れていく。

 その際俺の方をちらっと見てニカッと笑ったのはレージェストには内緒だ。

 ポピィは俺たちのやり取りを見ていて、彼女なりにこうするのがいいと判断したのだろう。やはり彼女には頭が上がらないなと思う。


 ──やっと落ち着ける。

 この屋敷は俺にとって、すでに帰る場所になっているんだということに気づかされる。肩の力がふっと抜け、あんまり意識していなかったが結構力が入っていたんだなと驚いた。


「お疲れ様です、旦那様」

「ヨルド…。やっとゆっくり話せるね」

「ええ」

「ありがとう」

「?」

「あの時──俺が【契りの晩餐】をぶち壊しに舞台へ上がった時、屋敷からヨルドが逃げ出せてよかったと思う反面、すごい心細かったんだ」

「……」

「だから屋敷の外に出た時、エルヴァネさんたちが助けてくれたこと以上に、そこにヨルドがいたことがなにより俺の心の支えになった。俺を見捨てないでくれてありがとう」

「私は旦那様が変わられてから、どんなことがあってもこの人についていくと決めました。先代が追放された時ついていかなかった私に与えられた最後のチャンスだ、と」

「へへ、困ったな。そんな期待をされちゃ、頑張らないわけにはいかないじゃないか」

「ふふ、期待してますよ」

「一安心といきたいとこだけども、もしかしたらフォージュリアット家と戦争になるかもしれない。すぐ対策を練ろう」

「はい。かしこまりました」

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