第31話 四条大納言家

☆ 南朝の重鎮、四条隆資 ☆


 今年(2020年)は山鉾"なし"巡行。残念ですねぇ。山鉾といえばこれ、蟷螂山! 武闘派大納言の四条隆資でしょ。('20/07/18)


 南北朝で地味~に好きな人、大納言 四条隆資、蟷螂山(山鉾)です!('20/02/20)


 1352年6月22日(正平7年/観応3年5月10日)南朝のカマキリ大納言、四条隆資 討死!祇園祭の「蟷螂山(とうろうやま)」は隆資の戦ぶりにちなんだ山鉾です。 ('20/06/22)


 大河ドラマ 太平記では左端の方。いわゆる(武士を見下す)公家のイメージに描かれており残念。武家にも理解を示す男気のある公卿だったと思います!('20/06/22)


 男山の戦いで、後村上天皇を逃すために、幕府軍と戦って討死。「御上、何があっても後ろを振り向くことなく、馬をおすすめください」と言って、老公卿は殿(しんがり)を勤める。かっこいいじゃありませんか!('20/06/22)


 八幡市の松花堂の交差点近くの小高い墓地に、激戦の地を見下ろすように四条隆資の供養塔が建ってます。('20/06/22)


 隆資いいですね!私の小説の中でも、重要な役処です。('21/06/22)


 #南北朝武将総選挙 投票を済ませました!二人目と三人目は悩んだ挙げ句に有名どころ。婆娑羅と、戦う皇子です!カマキリ大納言とか変化球も捨てがたかったのですが、一周回って直球勝負にしました……婆娑羅が直球かわかりませんが(汗)('20/06/11)



☆ 隆資の次男、隆貞 ☆


 中先代の前に名和長年に切られた西園寺公宗は、平治の乱以来の公卿の刑死と言われる。しかし、その8ヶ月前に、護良親王の逮捕に連座して捕らえられて殺された参議、四条隆貞については何故か無視されている。('22.09.07)


 そのヒントが尊卑分脈にある打死(討死)。つまり戦って死んだので、刑死として扱われていないということか。そもそも護良親王に連座して捕縛されても、刑死が下されるとは思えない。四条隆貞を捕らえようとした武者所に抗って討ち取られたのか。しかし、これも釈然としない。('22.09.07)


 大胆な推察ではあるが、護良親王を奪い返そうとして、四条隆貞の方から、工藤や南部たちと武装蜂起したのではないか。しかし、鎮圧され討ち取られたと……。('22.09.07)


 護良親王が鎌倉に送られたのが11月。隆貞が死んだのが12月。日にちがわからないが、親王の配流が11月末で、隆貞の死が12月初だと、配流途上を襲ったと言うことで辻褄が合うんだけどな。う~ん。ちなみに工藤らは六条河原で斬首されたので、討ち取られた者以外に、捕縛された者も居たということで…。('22.09.07)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る