第14話 橋本正督って何者だ③
☆ 正督の官職 ☆
北朝に降った楠木正儀の後釜として、南朝が河内・和泉国のTOPに据えたのが橋本正督という謎の人物。楠木一門である橋本家の惣領とされるが……。民部大輔に任じられたのはこの時か。宮内少輔とも書かれる。ただこれは民部大輔の前の官職だという説もある。('22/05/05)
正儀の南朝最後の官職は左兵衛督。その後釜であれば武官職が相応しいと思われるが、なぜか正督は民部大輔や宮内少輔。もちろん武家でも文官職はあり得るが、南朝側の「武家の棟梁」的な正儀の後釜なだけに違和感はある。('22/05/05)
想像だが、正督は守護に任じられる前に住吉・吉野(賀名生)の朝廷に出仕していたのではないか。宮仕えしていたときの官職が宮内少輔や民部大輔であり、楠木正儀が南朝側を去った時、正督がその官職名のまま後釜に据えられた、というのは考えられないだろうか。('22/05/05)
であれば、それまで橋本党を率いて戦っていた橋本家の惣領橋本正高と、宮廷に仕えていた橋本正督は別人というのが、よりしっくりするんだが。('22/05/05)
☆ 正督は橋本家の惣領を承継していたのか?! ☆
前にも呟いてますが、私は発給文書から橋本正高と橋本正督は別人で、正督は橋本家に天下って惣領の地位を正高から譲り受けたのではないかと思っていたので、正督が住吉・吉野(賀名生)の朝廷にいたとしても違和感はありません。('22/05/05)
しかし、なぜ橋本家が正督を惣領として受け入れたのか疑問は残ります。朝廷の命があっても越権行為で、ハイそうですか、というものではない。北朝側でも幕府が守護大名の家督に口を挟んで度々騒動になってます。まして武威に乏しい朝廷の命に実効性があるとも思えない。('22/05/05)
もしかすると橋本正督は、橋本家の家督を継いだのではなく、橋本家は正高のまま、橋本家、和田家、南朝側に一部残った楠木家など一門の上に、国務掌管者として立ったということだったのかもしれない。('22/05/05)
だが、楠木正綱が正督だった場合、これだけではなぜ橋本を名字としたのか疑問が残る。普通に楠木正督もしくは楠木正綱と名乗るのではないだろうか。('22/05/05)
そこで考えられるのが、楠木正行が討死した後、橋本正茂(または橋本正高)の養子または猶子となり、一旦、橋本姓を名乗った後に、吉野(賀名生)の朝廷に出仕したというパターン。('22/05/05)
ただ、ここまで来ると、結論ありきでかなりのコジツケ感がある。もう少し、多角的に見ていかないといけませんよね(汗)。('22/05/05)
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