第 6 話 赤松則佑の読み方
☆ 則佑は
兄:赤松範資、弟:赤松則祐!どっちも「のりすけ」?!
今はそう読んでますが、当時どう読んでたか、わからないですけどね……。('19/12/19)
前から気になってるんですが、赤松円心(則村)の嫡男範資と三男則祐。どちらも「のりすけ」と伝わってる。本当にノリスケでいいんだろうか?('20/11/05)
諱は普段使わないから
☆ 当初の私の見立ては…… ☆
[法名は妙善なので則祐は諱。だからノリスケが正式で、ソクユウは便宜上]
赤松律師則祐とも伝わるが延暦寺に入った時の法名は律師妙善。律師則祐は便宜上で、やはり則祐は還俗後の諱「のりすけ」で良いのでは?!則は赤松の
小説で「のりすけ」とルビ振ったので希望も込めて!親しい人は三郎!って呼ぶんでしょうけど、幕府関係者や後世の人は「のりすけがね、あ、そくゆうの方ののりすけがね」なんて言ってるのが定着しちゃったとかないかなって……。('21/04/09)
☆ 考えがだんだんと揺らぐ…… ☆
墓は宝林寺殿自天妙善らしいので、妙善は比叡山時代からの法名/戒名かと。還俗後も法体姿で通したという逸話もあるようで、大塔宮に従い一緒に還俗したとき名乗った諱、もしくは道号の則祐を名乗り続けたとも考えられますよね。私は初め諱説だったんですが、最近は道号説に傾いてます……。('21/05/14)
道号だとすると法名/戒名と合わせ、則祐妙善が正式かな。実際、還俗してたのか、僧籍のままだったのか知りませんが、もし還俗して法体姿で通した人なら、道号を名乗ってたとも考えられますよね。でも法体姿で通した親房はあまり法名で語られることがない……って、どっちやねん(汗)。('21/05/14)
調べると天台宗は道号を付ける宗派なので一応、辻褄は合う。帥律師は比叡山で大塔宮からもらったんですかね。ただ、位牌に則祐は入っていない(見てないけど)。亡くなった時に道号を入れない宗派に変わっていたからか??だったら、道号を名乗り続けるかな……うーん、やっぱりわかりません。('21/05/14)
☆ フォロイーさんのツイートで考えを改める ☆
[結果、整理し直すと、播磨で元服 → 比叡山で出家 → 大塔宮に従って還俗 → その後も則祐を名乗って法体姿 → 将軍家に倣って臨済宗に帰依 → その後も則祐も使う → 宝林寺に残された戒名は自天妙善。妙善は臨済宗の法名らしい。では則祐は?]
吉田兼好の諱は
則祐も元々諱が
[フォロイーさんが賛同してくれたので]ありがとうございます。喉のつかえがとれて、スッキリした気分です。('21/05/21)
[結果、小説(楠木正儀伝)の則祐のルビを「のりすけ」から「そくゆう」に改めました]
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