アクシデント
火事場の莫迦力という言葉をご存じだろうか。
切迫した状況下に置いて、普段ならあり得ない力を発揮する事の例えである。
きっと、この時の私もそうであったに違いない。
「と、考えているに違いありませんよ」
未来にて。
身を潜めながら様子を見ていたニイサに、ニイサの中に取り込まれていたおばあさん(現在の中井恵)は話しかけた。
「普段以上の歌声を発揮するどころか、普段よりも悪化している歌声しか出ていないが?」
「それはそうですよ。こんな敵陣に一人っきりにされて。見てください。足がすごく揺れていますよ。高速で揺れているので、傍目には普通に立っているようにしか見えませんが、すごく揺れていますよ。恐怖で力が発揮できないんですよ」
「だが。ぎんくんに襲われた時は、火事場の莫迦力を出していたではないか」
「あの時は、私が居たでしょう?一人じゃなかったからですよ。それをいきなり一人っきりにして。いいから戻ってください」
「いや。俺は身を潜めてボスに【ゆらららぎ】を装備する機会を見つけ出す。おまえも抹殺対象のままだ。俺の中に居ろ」
「あの子だって抹殺対象じゃないですか」
「見ろ。ボスが微動だにしていない。悪化している歌でも効き目があるのだろう。歌っている限りは、大丈夫だ」
「………本当に抹殺するつもりがあるんでしょうか?」
「何?」
「あなたみたいにあの子の歌に魅了されて、直に聴きたくなって、普通に聴きたいなんて言えない恥ずかしがり屋さんだから、こんな回りくどい事をしているんじゃないですか?」
「………そんな事は、」
「ほら。心なしか、雀さんたち、うっとりしているように見えませんか?」
「………そんな事は」
ない。
ニイサは断言しようとしたが、できなかった。
その可能性も否定はできない。
【はぐさ】ではないアンドロイドである自分さえ、中井恵の歌に魅了されたのだ。
【はぐさ】だったら、より一層、魅了されるのではないだろうか。
「いや。やはりないな。ボスは。暴力と破壊に魅了されてしまった。ゆえに、俺が、俺たちが止めなければならないのだ」
「そうですか」
「………行くぞ」
数多居るボスの中から、ニイサは音を立てずに鉄筋から飛び降りて、狙いを定めた一体のボスに【ゆらららぎ】を装備する事に成功した。
無数居るボスの回路はすべて繋がっている。
これで、すべてのボスへの【ゆらららぎ】装備完了である。
おばあさんは喜んだが、中井恵の元へと飛び退いたニイサは眉をひそめた。
簡単すぎる。
まるで、【ゆらららぎ】を装備される事を待ち望んでいたようだ。
(まさか、現在の中井恵の言うように、本当は暴力と破壊に魅了されたわけではなく、ただ、過去の中井恵の歌を聴きたかっただ、け)
刹那、気を緩めたニイサはしかし、中井恵を自分の中に取り込んでは駆け出した。
退却である。
開基の元へと向かうのだ、早く。
無論、ボスへの【ゆらららぎ】の装備が成功した事を伝える為ではない。
「何だ、あれは?」
【ゆらららぎ】を装備した一体のボスに、無数のボスが一斉に攻撃し始めたのである。
(2024.6.25)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます