第8話

「どうぞ」

 卜殷と楊庵のゆうを出した後で、董胡は食べ損ねた病人のためにかゆを作った。

「ずいぶんお元気になられたようなので粥にしました。これはあなたに元気になって欲しいから作ったのではありません。しっかり食べて、とっとと出て行って欲しいからです。だからちゃんと食べて歩けるようになって下さい」

「…………」

 彼は素直に寝床の上に起き上がった。そして粥の椀を受け取り、立ち去ろうとした董胡に何かを呟いた。

「レイシ……」

「え?」

 董胡はげんな顔で聞き返した。

「レイシという。私の名だ」

「レイシ……さま?」

 董胡は半分浮かしていた腰を、もう一度下ろした。

「どのような字ですか?」

「字は教えられぬ」

「…………」

 ちょっと気を許すとすぐに拒絶される。でも少しうれしい。

「私は董胡と言います」

「知っている。もう一人のうるさい男が何度も呼んでいた」

「彼は楊庵です。それからここのあるじは卜殷先生です」

「医家なのか? 医師はみな金持ちだと思っていたが」

「そりゃあ有名な大家の医師も玄武にはたくさんいらっしゃいますが、ここは都からも遠い斗宿の田舎村ですから。治療院に来るのも農民や貧民ばかりです」

「斗宿……」

 聞き覚えもない村らしい。

 そして粥を一口食べて「お前は料理が下手だな」と言ったので、董胡はむっとして立ち去った。


「まったくさ……。失礼なんだよね、あの人。味に興味もない拒食だから無味の粥にしたんじゃないか。それを料理が下手なんて。そんなこと一度だって言われたことないんだから」

 料理が特技だと思っていただけに腹が立った。

 ブツブツと文句を言いながらまんじゆうあんを練る。

「ふんだ。今日の饅頭には激辛のかんきようをたっぷり混ぜてやる」

「うひゃあ。これだから董胡を怒らせると怖いんだよな」

 楊庵が後ろからのぞいて肩をすくめた。

「別に体に悪いもんじゃないよ。弱った胃のを温めてくれるんだから」

「でもあんまり怒らせて、どこかの偉い家の子息だったらどうする? 本当にざんしゆになるかもしれないぞ」

 楊庵は不安げに言った。

「何か分かったの?」

「卜殷先生は、あの服装と話しぶりからすると宮に住まわれている貴人じゃないかって言うんだよな」

「宮? 玄武の黒水晶の宮ってこと?」

 董胡は驚いた。こんな田舎村の子供が一生会うこともない雲の上の存在だった。

「ま、まさか……亀氏様のご子息?」

「いや、それが亀氏様のご子息に『レイシ』という名の者はいないって卜殷先生が言うんだ。だからもしかしたら他の領地のご子息かもしれない」

「他の領地って青龍のそうぎよくの宮とか?」

 伍尭國には東西南北に四つの宮があるが、董胡は他の宮のことはよく知らない。

「うん。でも青龍人にしてはきやしやな気もするけどな」

「拒食だからかもしれないよ。弱くて武勲をたてられなくて逃げてきたとか?」

「でもここまで一人で走って来れるかなあ。青龍はさすがに遠いよ」

 結局何も分からないまま、夕餉の時間になった。


「今日はいよいよお元気そうですので、蒸し饅頭にしました。どうぞ」

 董胡は乾姜をたっぷり混ぜ込んだ饅頭としるわんをレイシに差し出した。

「饅頭……」

やくぜん饅頭です。滋養にいい生薬を混ぜ込んでいます」

 レイシは不安そうな顔をしながら、饅頭を一口かじった。

「うぐっ。かはっ。からっ! ごほっ、ごほっ」

 あまりの辛さにむせたようだ。ちょっと楽しくなった。

「乾姜という臓腑を温める貴重な生薬が入っています。ここを出ていきたければ、全部食べて早く元気になって下さい。全部食べなかったら許しませんから」

「…………」

 レイシは涙目になりながら全部で三個ある蒸し饅頭をにらんでいる。董胡はちょっと意地悪だったかなと思いつつ、自分達の夕餉を作るため土間に戻っていった。

 しばらくして部屋をのぞいてみると、時々むせながらもぽそぽそと食べている。

(さすがに可哀相だったかな……)

 いくらなんでも乾姜を入れ過ぎたかもしれない。

 どうせ食に興味がないのだから何を食べても美味おいしいとは言わない。それなら薬を丸めた薬丸のような饅頭を作ってやれと思ったのだが、薬膳師を目指す者としては失格だ。

 もういいからと饅頭を下げようと近付いた董胡だったが、その目に信じられないものが映った。

「レイシ様……。色が……」

「色?」

 ほんのうっすらとだが、色が見える。青い。

 青だけを出す人は珍しい。青は酸味を好む色だ。酸味を欲するのは肝の臓。

 つまり肝の臓が過剰な負担を受けていて、栄養を欲しているということになる。

 他の色がまったくない中で青だけを出す人を何人か見たことがある。それは……。

「毒……」

 レイシは、はっと董胡を見た。

「最近……毒を口にしたことがありますか?」

「…………」

 無言で視線をそらしたのが答えだった。

「いつですか? どうして? 間違えて毒きのこを食べてしまったのですか?」

 今まで見た患者はうっかり毒きのこを食べた農民ばかりだった。だが貴人らしきご子息の食卓に間違って毒きのこがのることなんてあるだろうか?

 考えられるのは……。

「毒など数え切れぬほど口にしている。ある時はあさに、ある時はやむちや菓子に、ある時は薬と偽って」

「そんな……」

「死にかけたことは二度ある。毒見の女は何人死んだか分からない。食べ物とは、私にとっては恐怖の対象でしかない。らねば死ぬ。摂っても死ぬ」

「そんなこと……」

 この貴人が拒食になった訳が分かった。

 急に自分のしたことが恥ずかしくなった。レイシの脇に正座して深く頭を下げた。

「ごめんなさい、レイシ様。わざと意地悪をして辛い饅頭を作りました」

 食べることに恐怖を感じている人にこんな意地悪をするなんて最低だ。

「これは毒なのか?」

 レイシは驚くこともなく淡々と尋ねた。

「い、いえ、まさか! 体にはとてもいいです。でも舌は毒のようにしびれる辛さかもしれません。こんな意地悪は不謹慎でした。ごめんなさい」

「謝る必要はない。毒は、疑いもせずに食らった方も悪い。そう教えられてきた」

 そうつぶやくレイシの横顔はひどくさびしそうだった。

「この辛い饅頭に毒が入っていると疑わなかったのですか?」

 なぜそんな教育を受けてきた人が、この辛い饅頭を食べたのだろうか。

「そなたの言葉を信じてみようと思った。それだけだ。それでやはり毒ならば、この粗末な小屋で死ぬのも悪くはないと思った」

「なんてことを……」

 自分を命懸けで信じてくれた人に、つまらぬ意地悪をしたことが心底恥ずかしい。

「待っていて下さい。もう一度饅頭を作ってきます。今度は美味しい饅頭を作ります」

「無理をしなくていい。私はもうずいぶん長い間、美味しいなどと感じたことがない。おそらく何を持ってきても美味しいなどとは言わないだろう」

「いいえ。私が必ずレイシ様に美味しいと言わせてみせます」

「無理だと思うが……」

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