第3話

    ◆


「本日より鼓濤様の侍女を申し付けられました、ちやみんと申します!」

「同じくだんだんでございます……。お仕度のお手伝いをさせて頂きます」

 目の前であいさつする二人の女性を見て、現実に引き戻された。

 董胡の前には、薄紫の着物に黒いながばかま、腰高に赤地の帯を結んだ女性が二人平伏していた。髪は長く下ろし、背中でゆるく結わえている。

(あきらかな甘味好きと……もう一人は……ずいぶん偏った食の好みだな……)

 董胡はいつもの癖で、二人の周りに見える色から食の好みを想像した。

 壇々と名乗った方は色白でふっくらしていて、七福の神々に交じっていそうなおっとりした顔立ちだ。一方の茶民と名乗った方は少し色黒でせていて、広い額と小さなあごが小りすのような印象だ。どちらもずいぶん幼く見えた。董胡よりは年下に違いない。

 だが若くとも立派な貴族女性のふうぼうで、平民育ちの自分の侍女などと言われると、頭がくらくらした。

 それは侍女たちも同じらしく、顔を上げて男装姿の董胡をげんな表情で見つめている。

「まだお受けするとは答えていません。とりあえず一度斗宿に帰りたいのですが。親代わりの卜殷先生にも説明しなければならないし、大事な冬虫夏茸を置いたままで……」

「冬虫夏茸?」

 色黒の茶民が聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「斗宿原産の貴重な生薬です。きのこの先に幼虫が生えている……」

「な!! よ、幼虫!?」

「なんと恐ろしや……」

 董胡が答えると、二人の侍女は何を言い出すのだ、この野蛮人は、という顔で青ざめた。

しつけながら、ざれごとはおやめくださいまし。私どもは鼓濤様を姫君らしい装いにするよう仰せつかっております!」

「それより……あの……まことに姫君なのでございますよね? 男性のほうふくを着ていらっしゃいますけど……」

 二人とも董胡の要望など聞くつもりはないらしい。

「と、とにかく、卜殷先生にご相談してから決めます。斗宿に帰ります」

 董胡は立ち上がり、部屋から出ようとした。

 だが、そこには衛兵が二人立っていて、長い木刀を交差させ押し戻された。その後ろからは騒ぎを聞きつけたらしい衛兵がわらわらと湧いて出てくる。

 ぜんとして部屋に戻ると、二人の侍女がため息をつきながら告げた。

「ご命令に従って下さいませ。おやかた様に逆らうことなどできません!」

「鼓濤様が逆らえば……私どもが斬り捨てられます。なんと恐ろしいこと……」

 冷ややかに言われて、董胡は従う以外になかった。


「うわっ! 放してくださいっ! なにをするのですかっ!」

「お静かに! 不躾ながら姫君がそのような大声を出すものではございません。はしたない。我らに敬語を使うのもおやめください。誰かに聞かれたら我らが𠮟られます!」

「鼓濤さまは我らに任せて、ゆったりと湯につかっていて下さいませ……」

 侍女二人は董胡をいきなり湯殿に連れて行き、めのわらわ五人に命じて、寄ってたかって着物を脱がせて湯船に放り込んだ。

「本当に女性でございましたのね。安心致しましたわ!」

「あんな皇帝陛下でも、さすがに男性のきさきを送り込むわけには参りませんものね……」

 二人の侍女は女嬬に董胡の肌を磨くよう指示しながらあんのため息をついた。

「あんな皇帝陛下?」

 平民育ちの董胡は、皇帝とは天術をつかさどる神のような存在だと聞いていた。

 壇々は慌てて口を押さえる。

「いえ……なんでもありませんわ。らん様がそのように言っていらしたのでつい……」

「華蘭様?」

「お館様のお嬢様でございます! 今や伍尭國で一番の権勢を誇ると言われる玄武のお館様ができあいなさっている、今をときめく姫君です。我らはてっきり華蘭様が一の后様になるものと思っておりましたので、鼓濤様が現れてお屋敷中が大慌てでございますわ」

 もう一人の侍女、茶民が答えた。

「そのような方がいるなら、私は辞退したいのだけど……」

 わざわざ正統な姫君を押しのけて皇帝に嫁ぎたいわけではない。

「まあ! このような幸運をご辞退するなんて、不躾ながら大馬鹿者ですわ!」

「鼓濤様が辞退されたら、私たちはどうなりますの? 一の后様の侍女なんて大出世をしたと両親にも知らせましたのに。今更なしになったなんて言えませんわ……」

「そうですわ! 王宮で働けると、思わぬだいばつてきに鼓濤様付きになった者たちはみんな大喜びしていますのに、そんな恐ろしいことを言わないで下さいませ!」

 見ると、董胡の手を磨く女嬬たちも不安そうに聞き耳を立てている。

 どうやら董胡の言葉一つで、ここにいる者たちの運命も変わってしまうらしい。

 面倒なことになってしまったと董胡は頭を抱えた。

 ほんの二日前は、こんなことになろうとは考えもしなかった。

 麒麟寮の寮官様から試験の合格を告げられ、免状を受け取りに黒水晶の宮に行くようにと、いきなり輿こしに乗せられてしまった。卜殷先生にも、麒麟寮にいる兄弟子の楊庵にも知らせる暇もないままに、二日がかりの旅路の末に連れてこられたのだ。

 思い返してみれば妙なことばかりだった。おそらく素性が分かった時には、ここまでの筋書きが出来ていたのだろう。

 まだ鼓濤とかいう姫君が自分だとは到底信じられないが、拾われ子であったのは事実のため可能性が無いとは言えない。母だという濤麗なる人に本当にそんなに似ているのだろうか。いや、他人の空似ということもある。やはり何かの間違いだと思いたかった。

「髪は切られたことがないのですわね。良かったですわ!」

「平民は労働の邪魔にならないように短く切ると聞いていましたもの……」

 二人の侍女は角髪みずらに結っていた董胡の髪をほどき、丁寧に湯をかけながら言った。

 平民でも医師を目指すものだけは切らずに角髪に結うことが許されていた。

 玄武の地において医師は特別な存在だ。平民であってもいくつか特権があった。

「姫君の髪が寸足らずなんてみすぼらしいことになっては大変ですもの!」

「付け髪を用意せねばならないかと案じていましたので安心致しましたわ……」

 二人は董胡の髪をくしきながら充分な長さに満足しているようだ。

「え? 髪をおろすの? いや、待って。困るんだけど。外を歩けなくなるでしょ?」

 貴族の姫君の長く垂らした髪では斗宿に帰ることもできない。

「まだそんなことをおっしゃっているのですか? 貴族の姫君が輿にも乗らず外を出歩けるわけがございませんわ! 不躾ながら、往生際が悪うございますよ」

「もう諦めて下さいませ。お館様が決めたことは絶対ですわ。皇帝陛下すら言いなりだと言われていますのに。逆らうことは死を意味します。あぁ……恐ろしい」

「いや、何かの間違いなんだ。亀氏様は他の誰かと間違えてるんだ」

 まだ、董胡は間違いが分かって斗宿に帰れるものと思っていた。それよりも男装がばれてしまったことを楊庵と卜殷先生になんと言って弁解しようかと考えていた。

(麒麟寮の寮官様は知っているのだろうか? 二人にこの状況を話しているのだろうか)

 麒麟寮に知れ渡ってしまったら、もう男装して医師に戻ることもできない。そんなことばかりを心配していた。

 事はもっと深刻なのだと、貴族社会を知らない董胡はまだ気付いてもいなかった。

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