第4話

「お目もじ賜わり恐悦至極に存じます」

 董胡は翌日、再び玄武公に拝謁していた。

 今日は昨日とうって変わって、貴族の姫君らしい装いをしている。

 人生初めての白粉おしろいを塗りたくられ、唇には紅をさした。

 最初は抵抗したものの、途中からは衣装の重みが増すと共にあきらめて、侍女たちにされるがままになった。

 うちきという着物を何枚も重ねられ、腰高の帯は息がつまるほど締め付けられた。長い髪は背中に張り付けるように整えられ顔を動かすのも難しい。おまけにながばかまから足先を出すのは無様だと言われ、後ろに長く引きずって歩かねばならない。

 拝謁の間に到着するまでに、何度も転びそうになった。

 今日はが半分巻き上げられていて、扇を持ってひれ伏す董胡の姿がよく見えているようだ。董胡からも玄武公の口元がほんの少しだけかいえた。

「ふむ。昨日は医生の姿であったが、こうして見れば深窓の姫君に見えなくもない。よく化けたものじゃ。さすがに正しい血筋を持つだけのことはあるな」

「…………」

 化ける……という言葉に董胡は引っかかりを感じていた。

 長年行方知れずで、ようやく出会えた娘にこんな言い方をするものだろうか?

 一日経って少しばかり冷静になってみると、父親の愛情というには違和感がある。

 どうにも親子の情のようなものを一切感じない。言葉ではびだの父の善意だのと言っているが、そこに父親らしい愛情は見当たらない。

 だが貴族の親子関係というのはそういうものなのかもしれない。

 平民育ちの董胡には判断できないが、訳の分からぬ違和感だけが残る。

「そなたが昨日申しておった免状を用意させた。章景、それへ」

 玄武公に言われ、側に座っていた章景が進み出て董胡に漆塗りの小箱を差し出した。

「医術博士の章景の書きしたためた免状と、印章が入っている。医家の中でも最上位の貴族に与えるいしに彫らせた印章だ。医師としてこれほど誉れなことはあるまい。これにてこれまでの人生に別れを告げるがよい」

「…………」

「まったくお館様の鼓濤様への深い愛情ゆえでございます。貴重な庵治石の印章は、数えるほどの医家の者しか手にすることができません。鼓濤様も感激で言葉も出ぬようでございますな」

 章景が取り成すように董胡の代わりに答えた。

 念願の免状を手にしたことはうれしいが、医師として働けないなら意味がない。

 ふと、左側からくすくすと笑う女性たちの声が聞こえた。

 昨日はふすまで閉じられていたが、今日は襖が取り払われ鴨居から御簾が垂らされている。

 どうやら御簾の向こうに董胡の拝謁を見ている人々がいるようだ。

「まあ、男装をして麒麟寮に?」

「田舎の治療院の仕事をしていたのですって」

「信じられないですわ。なんて野蛮な……」

「卑しい平民育ちだからできることですわね」

「よく一日でこれほど化けられましたこと」

「すぐにがでますわよ。ほほほ」

 こそこそと話す声が聞こえてくる。おそらく玄武公の妻や娘たちだろう。

 玄武の姫君たちの間では、董胡はすっかり話題の人になっていて見物にきたらしい。

 この姫君たちと仲良くやっていけそうな気がまったくしない。

 免状ももらったことだし、ここは一刻も早く自分が鼓濤などという姫君ではないと証明して斗宿に帰ろう。それが董胡の結論だった。

「恐れながら申し上げます。やはり一晩考えてみても私がお捜しの姫君だとは到底信じられないのでございます。つきましては、私にそっくりだという濤麗様にお会いできますでしょうか? 本当に似ているのか、今一度お確かめ頂きたくお願い申し上げます」

 董胡が平伏して告げると、御簾の中で姫君たちが息をんだ気配がして、空気がぴりりと凍り付いた。そして「それは出来ぬ!」と嫌悪を込めたような玄武公の声が響いた。

 慌てて章景が取り成す。

「鼓濤様。残念ながら濤麗様はとうの昔にお亡くなりになられまして、お連れすることは出来ないのでございます。ですが、この章景も濤麗様のお姿を拝見したことがございます。今の鼓濤様とうりふたつでございます。間違いございません」

 どうやら母と言われる人はすでに鬼籍に入っているらしい。

 それならば、と董胡は別の角度から申し立てることにした。

「されど私は卜殷先生から拾われた日のことを聞いております。村はずれの土手の下に粗末な産着で打ち捨てられていたそうでございます。決して高貴な姫君を疑うような装いではなかったようでございます」

 そもそも、貴族らしき赤子が捨てられていたら、あの卜殷先生なら褒美欲しさに役所に届けるだろう。このまま放置すれば飢えて死ぬしかないと思ったから、仕方なく連れ帰ったのだと言っていた。

「もう一度お調べ頂ければ人違いだと分かるはずでございます。ですから私は……」

「そなた、何も分かっておらぬようじゃな」

 突然、玄武公の冷え冷えとした声が董胡の言葉を遮った。

「もしもそなたが鼓濤でないのだとすれば、無事にここから帰ることが出来ると思うておるのか? 女の身で男と偽り皇帝陛下の麒麟寮に入り込み、あろうことか医師の試験まで受けて免状を詐取しようとしたろうぜき者であるぞ。無罪放免になると思うたか!」

 董胡は、はっと御簾の向こうの玄武公を見上げた。

「優しくしておれば付けあがりおって。わしに口答えばかりする可愛げのないところも濤麗にそっくりじゃ! いらいらするわ!」

 御簾に玄武公が手にしていたしやくがバシッとたたきつけられて、ほんの一瞬、目障りな虫けらでも見下ろすような深いしわの刻まれた玄武公の顔が見えた。

 広間はしんと静まり、章景が青ざめて恐縮している中、玄武公は続けた。

「卜殷が拾ったと? ははは。そんなざれごとを信じておるのか?」

「戯言?」

 董胡はぼうぜんとしたまま聞き返した。

「そなたは卜殷にだまされておったのじゃ。卜殷は捨て子を拾ったのではない。赤子のそなたを奪い連れ去ったのじゃ」

「ま、まさか……。卜殷先生がそんなことをするはずが……」

「だから何も分かっておらぬと言うておる。卜殷は昔、儂の傘下の診療所で働く医師じゃった。そなたがさらわれた日と前後して消えたのじゃ。だが酒癖の悪い気まぐれな男であったゆえ、そなたの事件とは無関係じゃとみんな思うておった。もっと怪しい男が他におったゆえにな。盲点じゃった」

「では……私は本当に……」

 急に鼓濤という名が現実味を帯びて董胡に迫ってきた。

「その証拠に、そなたを呼び寄せると同時に卜殷を捕らえようとしたが、すでに危険を察知して逃げた後じゃった。斗宿の治療院はすでにもぬけの殻じゃ」

「そんな……」

「楊庵と言うたか。そなたと共に麒麟寮に通う医生は見捨てられ置き去りじゃ。卜殷と連絡を取り合うかもしれぬと泳がせておる。じゃが、そなたの返答次第では、その者の命もどうなることか分からぬな」

「な! 楊庵は何も知りません! 関係ありません!」

「はてさて、それはどうじゃろうかな。拷問でもして吐かせてみぬことには分からぬ」

「や、やめて下さい! そんなこと……」

「ならば大人しく儂の言う通りにすることじゃ。そなたが素直に従えば、楊庵とやらに用はない。卜殷もこのまま見逃してやってもいい。さて、どうする? 鼓濤よ」

 董胡は自分が甘い考えでいたことを思い知った。

 侍女たちが言った通り、皇帝さえも言いなりにする玄武公に董胡ごとき若年の平民が逆らえるはずがない。もはや斗宿に戻って医師になる道など、この宮に連れてこられた瞬間から閉ざされていた。自分が鼓濤であっても、なくても、もはや今までの生活に戻ることなど出来ないのだ。

 がくぜんと現実を知った董胡は、章景に促されるままに答えるしかなかった。

「……仰せの通りに致します」

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