第2話
「うめえ~っ! あー董胡の作る料理はやっぱりうまいよなあ」
庄助も帰って、奥の座敷で囲炉裏を囲み三人で
それに孤児の董胡を弟子として置いてくれている卜殷先生への恩返しもある。
物心ついた頃から先生と呼び、親代わりに育ててくれたことに深く感謝している。同じく孤児の楊庵は、董胡とほぼ同じ時期に弟子になったのだが勝手に歳の順で兄弟子だと言っている。
「楊庵が
東の都、青龍は『武術の都』とも呼ばれ、武道場が林立している。麒麟寮に行く途中でたまに見かける青龍人は、玄武人の三倍ほどの腕回りをしていた。
饅頭と
「子供の頃、
楊庵は思い浮かべてため息をついた。黄色は伍尭國では皇帝の色だ。つまり黄軍とは皇帝の
「青龍人はどんなものを食べているんだろう。やっぱり食べ物が違うのかなあ。きっと青龍の地に育つ作物に筋肉がつく食材があると思うんだよね」
見た目のかっこよさに
「生まれつきの体が違うんだと思うぜ。食べ物で青龍人みたいになれたら苦労しないよ」
「でも農民の
董胡は楊庵の横に座り腕回りを指尺で計測すると、紙に数字を書き込んだ。
「なんだよ、俺を実験台にしないでくれよ。内緒で饅頭に変なもの入れてないだろうな。ほら董胡が収集している
冬虫夏茸とは、その名の通り冬には虫の姿で土の中にもぐり、夏になると地上に
高値で取引されていると聞くが、梅雨のあと近くの山に入ると案外簡単に見つけられる。医師の免状を持っていても、薬草や茸の知識に精通している者は意外に少なく、冬虫夏茸自体を知らない者も多い。ましてや地上に出た茸だけで見分けられる者はほとんどいない。この辺では董胡と卜殷ぐらいだった。
董胡はそれらを生活が苦しくなった時に売ろうと、ひそかに干して収集していた。
「馬鹿言わないでよ。大事な冬虫夏茸を楊庵なんかに使わないよ。もったいない」
「自分の専用
一番の宝物を見せてあげると言って楊庵に一度だけ見せたことがあった。だがまだ乾燥が不十分で生々しかったのか、暗闇で微笑む董胡が怖かったのか、楊庵はぎゃあと叫んで腰を抜かしそうになっていた。
「俺はすこぶる健康だから、変な生薬は絶対入れないでくれよ。絶対だぞ」
「私の愛すべき宝物を変な生薬って失礼だよね。嫌なら食べなくていいよ」
饅頭の編み皿を取り上げようとしたが、楊庵は慌てて取り返した。
「食べるよ! 董胡の作る饅頭は絶品なんだからさ。怒るなって」
董胡の得意料理は蒸し饅頭だ。
最初は普通の饅頭を作っていたが、そのうち相手に合わせて中の具材を変えるようになった。病気の者には、症状に合わせた薬草を混ぜ込んだりもするが、そうすると味の調整が難しい。毎日いろんな人に饅頭を食べさせて日々研究している。
「どれ。楊庵の饅頭はそんなにうまいのか?」
卜殷が横から手を伸ばし、楊庵の編み皿から饅頭を一つ取って口に放り込んだ。
「あっ! 卜殷先生、自分の饅頭を食べて下さいよ!」
卜殷の前には、もう少し小粒の饅頭が置いてある。
「あまっ! 楊庵の饅頭は甘いなあ。これがうまいのか?」卜殷は顔をしかめている。
「うまいですよ! 最高です。卜殷先生こそ、よくそんな苦い饅頭を食べられますね」
卜殷の饅頭には
「この苦い饅頭がうまいんだよな」
長年の研究で気づいたのだが、人というものは自分の体に必要な食材の味を好むように出来ているらしい。体に余分な酒がたまる卜殷は苦味を。不安感をため込みやすい楊庵は甘味を。そして董胡は、人がいま欲している味が五色に光って見える不思議な能力を持っていた。
「それにしてもさ、董胡はなんで庄助さんが熱あたりだって分かったんだよ。また体の周りに何か色が見えるとかそういうやつ?」
卜殷と楊庵にだけ、その不思議な能力について話していた。
「うん。庄助さんは塩味が好きだからいつも黒い光を一番強く放っているんだけど、今日はその塩味を拒絶するように黒が薄れていたから、水脱だと気付いたんだ」
誰もが見えるものと思っていた光が董胡にしか見えないものだと知った日、卜殷は珍しく神妙な顔をして「誰にも話すな」と言った。子供心に何か重大な秘め事なのだと感じたものの、卜殷は何度聞いてもそれ以上のことを教えてくれることはなかった。
仕方なく董胡は誰に教わることもなく自分一人で研究を重ねてきた。
誰もが五色の光を放っているが、人によって色の強弱が違う。そしてそれが味覚の色だと気付いたのは、治療院を手伝い始めてからだ。基本は黒が塩味、赤が苦味、青が酸味、白が辛味、黄色が甘味なのだが、複雑に交差していて単純に分かるものでもない。
何年もかけて董胡に見える色と相手の体の調子を分析して、最近ようやくその色が意味するものが少しずつ分かるようになってきた。まだまだ症例が少なく、間違った判断をしてしまう場合も多いが、当たった時は最善の処方を見つけることが出来た。
ずばり当たった時の達成感は、薬膳
相手が欲する味に作った饅頭を
だから、医家の者があまりなりたがらない薬膳師になりたいとずっと思っていた。
医師免状を取るために麒麟寮に入寮したのは三年前のことだった。
その何年か前に、皇帝直属の麒麟寮がこの田舎の村に建てられた。寮とあるが、斗宿に住む者は通うこともできる医塾だ。他にも医師養成塾はあるが、斗宿のそれは皇帝の意向で薬膳師の養成に力を入れている国費で学べる塾だった。建てている時から董胡は再三卜殷に入寮を願い出ていた。だが卜殷はずっと首を縦に振ってはくれなかった。
「ああいうところは大きな医家の子息が通うものだ。こんな貧乏治療院の孤児が行ったところで苦労するだけだ」
「ですが試験に受かれば誰でも無料で入寮できるのですよね?
「俺も。俺も行ってみたい。それで立派な医官になって卜殷先生に恩返ししてやるよ」
楊庵も身を乗り出した。
「へっ! 医官どころかいじめられて泣きべそかいて戻ってくるぞ」
「無理だと思えばやめればいいじゃないですか」
「そうです。だめだと思ったらやめればいいだけです。お願いします。行かせて下さい」
楊庵と董胡は二人で頭を下げた。
「気持ちは分かるが、大事なことを忘れてないか、董胡?」
董胡は、はっと顔を上げた。
「募集は男子だけだったはずだ」
「それは……」
「治療院の助手として男のなりをしているが、お前は自分が女だと忘れたわけじゃないだろうな」
董胡は、女だということをこの二人以外にずっと隠して暮らしていた。
それは卜殷の弟子になると決めた時から仕方のないことだと思っていたが、女であることを捨てたつもりもなかった。いつか誰かと家庭を持ち子を産み母となる、という選択肢を無意識に残しておきたかったのかもしれない。だが正式な医師の免状を受け取ったなら、もう女に戻ることはできない。
この日、董胡は覚悟を決めた。
「私は生涯男として生きていくつもりです。二人以外に女であることを明かすつもりもありません。だからどうか男として麒麟寮で学ぶことを許してください。お願いします」
そう懇願してようやく麒麟寮への入寮の許可をもらったのが三年前。
治療院の助手を続けながら血の
そして、そうまでして
ある方と交わした約束。
いつかその方の専属薬膳師として役に立てる人間になりたい。
その想いが、今日までの董胡を突き動かしていたと言っても過言ではない。
そのためなら、女であることを捨てても悔いはないと思っていた。
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