第1話

    ◆


かつこんけいさいだいおう。それからはんが少なくなってるな。患者の中に悪阻つわりのひどい妊婦が二人いるからもう少し仕入れておいた方がいいかな」

 王都の北に位置する玄武領。その東のはずれにある斗宿の村の簡素な小屋で、董胡はぶつぶつと独り言をいいながらやくそうかごを確認していた。

「それからりゆうこつ。私の宝物の一つだ。本物の龍の骨だって言ってたけど本当かなあ。苦労して手に入れたんだから本物だよね。うん、間違いない。ふふふ」

 どう見ても道端に落ちていた小石にしか見えない竜骨をつまんで、一人ほくそ笑む。

 細長いしようを二つ並べただけの診察台と、壁一面の棚に並ぶ薬草の入った籠、それから黄ばんだ紙とすずりと筆の置かれたたくと椅子。それがすべての、小さな村の治療院だった。

「卜殷先生。またいつものやつがきやがった。助けてくだせえ」

 そんな治療院に駆け込んできたのは近所の農民、しようすけだ。

「庄助さん、いつもの頭痛ですか? すぐに先生を呼びますから待ってくださいね」

 董胡は患者を床几に座らせ、奥の座敷に向かって「卜殷先生!」と呼んだ。

 呼ばれて出てきた四十を過ぎた男は、ひようたん酒を手に持ったままよろよろしている。

「なんだあ、庄助。今日の診療は終わりだ。明日あしたにしてくれ。ひっく」

「そんなこと言わないでくだせえよ。頭が割れそうにいてえんだ」

「そんなもん横になってりゃ治る。それよりお前が頭痛になったということは大風が来るな。楊庵、董胡。嵐がくるぞ。飛ばされそうなもんを家の中に入れて頑丈に戸締りをしろ!」

「ちょっと卜殷先生。嵐の心配よりわしを診てくださいよ。今日の頭痛はいつものより強烈なんだ。頭が取れちまうんじゃねえかってぐらいなんです」

 庄助は頭をおさえてぐったりしている。

「卜殷先生、早く診てあげてくださいよ、もう」

 奥から出てきたもう一人の助手、楊庵が気の毒に思って庄助を介抱した。

 二人の助手は長い黒髪を両耳のあたりで束にして結わえた角髪みずらにして、医家が着る白いほうに腰帯を巻いている。少年用のそれはたもとが短く、中のはかまも細めで動きやすくなっていた。

 同じかつこうをしている二人だが、見間違えることはない。なぜなら三歳違いの二人は、年の差以上に背丈が違い、容姿もずいぶん違っているからだ。

 三歳年上の楊庵は、医家にしておくにはもったいない引き締まった肉体と、人懐っこい忠犬のような当たりのいい顔つきをしている。

 対して董胡は、小柄で線が細く楊庵より頭一つ分ほども背が低いのだが、村の女たちが毎日のように用もなくのぞきにくるほどの美少年だった。

「庄助さん、台の上に寝て下さい。今お薬をせんじますから」

 董胡は籠から薬草を取り出し、楊庵は庄助に手を貸して診察台に寝かせた。

 二人があくせくと働く間に卜殷は卓子の椅子に座り、相変わらず酒をあおって告げた。

「楊庵。診たててみろ」

「診たてるって、庄助さんのいつもの頭痛ですよね? 大風の前によく起こる」

 大風が来る前にいつも頭痛を訴える常連客の一人だ。

 理由は解明されていないが、どういうわけか大風の前には頭痛を訴える者と気息の乱れを訴える者が増える。卜殷は体内の水の流れが偏るせいだと二人の弟子に教えていた。

「ふむ。では薬は何を処方する?」

 卜殷は試すように楊庵に尋ねた。楊庵は任せてくれと鼻息荒く答える。

「利水薬となるそうじゆつぶくりようたくしやちよれい、それから四薬の効果を上げるけいを含めたれいさんを処方致します」

 いつも卜殷が庄助に処方している薬だ。間違えるはずがない。

 しかし卜殷は薬草を選んでいた董胡に重ねて尋ねた。

「董胡はどうだ? 楊庵の処方で間違いないか?」

 問われた董胡は、顔に比して大きすぎる黒目を見開いて診察台に寝そべる庄助の全身を見つめた。そして「あっ!」とつぶやいた。

「庄助さん。今日の昼間は長く畑にいたんじゃないですか?」

「そりゃあ農民は畑を耕してるさ」

 庄助は頭をだるそうに押さえながら答えた。

「今日はひどく暑かったんじゃないですか?」

「暑かったよぉ。昨日まで涼しかったから秋が来たと思うてたら、夏に逆戻りだ。編みがさかぶらんで行ったからひどう疲れたなぁ」

 董胡は納得したようにうなずいた。

「え? どういうこと? 五苓散じゃダメなの?」

 楊庵が不安そうに尋ねた。

「五苓散もいいのだけど、飲む前にびやつにんじんとうで水の充足をすべきかと思います」

「白虎加人参湯? じゃあ熱あたり(熱中症)ってこと?」

「うん。熱あたりによるすいだつが起こって頭痛になっているのだと思います」

 酒好きだが医師としての腕はいい卜殷は「うむ」と頷いた。

 悔しそうにうつむく楊庵の背中を卜殷は勢いよくたたいて一応なぐさめた。

「まあ……わしも最初は分からんかった。気付いた董胡が特別なんだ」

 董胡は特別と言われても、三歳年上の楊庵はあんたんたる気持ちになった。

 診たてに関して、楊庵は董胡に勝てたことがない。

「お前ははりを打たせれば右に出るものはいない。得意なもので補い合えばいいことだ。ほれ、董胡が薬を煎じるまで鍼で楽にしてやれ」

「はい……」

 楊庵が鍼箱を持ってきて診察台の庄助に鍼を打つと、たちまち苦痛にゆがんでいた表情が和らいだ。楊庵のツボをとらえる正確さは、董胡がどれほど練習しても追いつけなかった。董胡は魔法のように鍼を打つ楊庵がいつもうらやましい。

 楊庵という鍼打ちの天才を見るにつけ、董胡は自分が医師には向いていないと思った。


 医師が多く住む玄武の都だが、医術を行う者は三種類に分かれていた。

 まずは卜殷や楊庵のように患者を診て鍼を打ち、薬を処方する医師。

 それから処方された薬を煎じて飲ませる薬師。

 そしてあまり数はいないが、やくぜん師という職があった。

 前の二つが病気になってしまった後の処置であるのに対し、薬膳師は病気の予防を目的とする職で、貴族を中心に最近流行はやりになりつつある。

 もちろん三つの技を備えた器用な者もいるが、医師が薬師と、まれに薬膳師を助手にしている場合が多い。なぜなら薬を自分で煎じるのを面倒がる医師が多く、また薬膳師にいたっては料理が出来なければならないが、たいていの医師は料理が下手だ。

 薬を処方するように薬膳料理を作るのでまずくて食べられない。

 少し前に医師が薬膳料理の店を出したことがあったが、まずい割にたいして効能を感じられないとすぐにつぶれてしまった。

 長らく腕のいい薬膳師が現れぬままに、日の目を見ぬ職だった。

 食べやすく、さらに効能もある薬膳料理を作るのは簡単ではない。

 まず何より一人一人の体の具合や味の好みを知らなければ、満足できる料理など作れない。高度な能力が必要な割に需要の少ない職だった。

 だが、董胡は幸いにも非常に有利な能力を備えていた。

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