完璧な少女の恋
わたしが『その日を夢にする』能力に目覚めたのは、中学二年生の時だった。
あるいは、気付いた、と言った方が適切なのかもしれない。
初めて左手の指にマニキュアを塗ったのが、その時だったから。
その頃のわたしが、化粧に興味があったのかというと、よく分からない。
ただ、ちょっと新しいことをしてみたかっただけ。誰かがわたしの意外な一面を見付けてくれれば、それで良かった。
そうして初めて買ってみた薄いマニキュアが、わたしの世界を変えていった。
クラスメイトと揉めても、ちょっと言葉を修正すればいい!
限られたお小遣いの買い物も、とりあえず買って試せばいい!
テストで間違えた問題は、答えを調べてからもう一度解けばいい!
失敗は全て、やり直せばいいんだから!
元から理想的だったわたしの人生は、この能力でより完璧になっていった。
もう悩むことなんて何も無い。
悩み事があったら、無かったことにするだけ。
それだけのこと。
だと思ってたのに。
高校の合格が決まった日に、両親が離婚をすると告げられた。
なんで!?
どうして!?
わたしは完璧にやってきたのに!?
わたしはずっとお父さんとお母さんの理想の娘だったのに!?
結局わたしはその日を五回やり直し、六回両親の離婚を告げられた。
兄はお父さんと共に家を出て、わたしはお母さんと二人で暮らし始めた。
「これからはあなたの好きにして。今まで無理をさせてごめんね」
と、お母さんは言った。
だからわたしは、好きなようにした。
より完璧に。
より美しく。
これまでよりもっと理想的な娘であり続けた。
一日五回のやり直しを使って、みんなが望む最高の娘を。最高の高校生を。最高の人生を。
ごめんねなんて言わせない。
何も間違ってなんかない。
お母さんも。お父さんも。わたし自身も。
何も間違えてなんかない。
だってこれは、やり直してやり直してやり直してやり直してやり直して手に入れた、わたしの完璧な人生なんだから。
そう思うことで、そう思い込むことで、わたしは自分を正当化する。
卑怯な誤魔化しだらけの自分を。
上っ面を取り繕うのに夢中で、誰とも本当に向き合おうとしない自分を。
何一つ上手く行ってなんかない、間抜けなわたしの人生を。
そんなことに薄々気付きながら、わたしはわたしを止められなかった。
止める人もいなかった。
だってわたしは完璧だったから。
失敗した時はやり直してしまうから。
そうしてやり直してやり直してやり直してやり直してやり直す日々の中で、完璧なわたしは一つだけ失敗を犯した。
関わり合いになってしまった。
完璧なはずのわたしを、上から目線で蔑んでくる、学校一の厄介者に。
◇
「テストをサボった翌日に水族館とか、いい面の皮だよね、わたしたち」
二人はデートでまた水族館に来ていた。
「別にいいだろ、そのくらい。適当に補習受けて終わりだよ」
「ふーん。経験あるの?」
「たまにある」
「うひゃー、やっぱりクズだなあ、九曜は。わたしには真似できないわー」
チケットを買って入場しながら、二人は何気なく言葉を交わす。
夕の首には、いつもの九曜がプレゼントしたチョーカー。左手の指には、全くマニキュアが塗られていなかった。
「……にしても、本当にまた水族館で良かったのか? そりゃ何でもいいとは言ったけどさ。つい二週間くらい前に来たばっかだろ」
九曜が飛び降りグロ姿を夕に何度も見せつけてしまった謝罪として、何かして欲しいことはないか、と申し出たところ、夕は今回の水族館デートを提案してきた。
一応謝罪ということで、九曜の奢りなのだから、夕の懐が痛むはずもない。
もう少しお高いものでも買わされるのかと思っていたのだが、少し拍子抜けしたところでもあった。
「前回は緊張してたからさ。お互い秘密だらけだったし。だから今度は本当に、ただの恋人同士として、来てみたかったんだよね」
あ。はい。
なんだか照れた気分になりつつも、九曜と夕は手を繋いで水族館を歩いて行く。
「イルカショー、今度こそ近くで見るか?」
「んー……別にいいかな。もちろん楽しいんだろうけど……そういう完璧なデートって、疲れない? わたしはもっとダラダラしたいな」
「お前が言うのかよ……」
「あはは。ほんとにね」
泳ぐ魚の群れを目で追いながら、夕は呟く。
「わたしは、たぶん誰かに叱ってほしかったんだと思う」
「……は?」
「わたしがやってることについて。失敗したら、無かったことにして。テストで間違えたら、戻って修正して。何が起こるか確かめてから、いつも行動して。こんなの、完全にズルだよね」
「あー……まあ、うん。それは確かにその通り」
「きっともっといいことにも使えるのにさ。自分の都合ばかり考えて。勝手すぎるよそんなの。これは九曜にも言えることだけど」
「なんで急に俺を刺してきた?」
もしかすると夕は、九曜がバイトと称する怪しげな商売も、やり直しの間に把握していたのかもしれない。
誰も気付かないうちに夕だけが記憶にだけ溜め込んだ無数の一日。そう考えると、なかなか恐ろしいものがある。
「だからさ。何やってもわたしを馬鹿にしてくる九曜に、逆に期待してたっていうのかな。こいつなら、わたしの薄っぺらな仮面を、思い切り蹴り飛ばしてくれるんじゃないかって。多分それが、九曜に興味を持ったきっかけ」
「……でもそれは、俺の能力ありきだろ。俺自身は大したことしてない」
「そうかな? わたしは、わたしがこの夢の能力を持たずに、九曜が嘘を見破る能力を持たずに出会ってたとしても、同じだったと思うけど」
ただの不貞腐れた厄介者と、ただの真面目ぶった優等生。
そんな二人が出会っていたとしたら。
「……それは…………もっと最悪だな!」
想像してみて改めて、九曜は言う。
夕も想像してみたようで、同じく苦笑しながら頷いた。
「ごめん。やっぱ今の無し。今の九曜と、今のわたししか、この世界には有り得ないんだから、考えても仕方ないよね。世の中に『もしも』は無い」
「お前はその『もしも』を変えられるのに?」
「……変えられないよ。わたしの能力は、そこまで万能じゃない。わたしが少し頑張ったところで、お母さんたちの離婚は止められないし、九曜は勝手に誰かと仲良くなるし、告白されるし、三股するし、わたしのあら探しばっかりするし……」
「途中から俺のことばっかじゃねえか」
「そうだよ。今のわたしは、九曜のことばっか」
繋いだ手を、夕がぎゅっと握り直す。
一瞬、胸がどきりとした。
「わたし今、人生で一番上手くいってないんだ。でも、今が一番楽しい。
毎日ドキドキして、どうしようかな、こう言おうかなって、悩んで。ああしてれば、こうしてればって、悔やんで。
上手くいかないことばっかり」
「だったらやり直せばいいだろ、一日を」
「やり直す時もあるよ。それでも全っ然! 言うこと聞いてくれないの、わたしの好きな人は!
わたしが上辺だけ取り繕っても、すぐに見破ってくるせいで、結局本音で勝負するしかなくなっちゃう!」
「だから、本心を言うね」
気付けば九曜と夕は、深海コーナーの中にいた。
暗い部屋の中で、二人の足音が響く。
見ているのは深海魚たちだけ。
「…………キスしたい」
立ち止まって、見つめ合った夕の顔は、ぽーっと赤くなっていた。
それ以上、言葉はいらなかった。
静かに見つめ合って、それからどちらともなく目を閉じて。
九曜と夕は、想いを伝え合うように何度もキスをした。
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