幼い雪の日の記憶
「
「うるせー。黙って頭と手を動かせ」
イルイが九曜に尋ねてきたのは、放課後、オカルト研究部の部室にて。
二人が試験勉強に時間を費やしているところだった。
今日は九曜がイルイの勉強を見ている。
イルイは基礎が足りていないところこそ散見されるものの、飲み込み自体は悪くない。九曜が教えた分だけ学習する、なかなか鍛え甲斐のある生徒だった。
「つれないですね。せっかく人が心配してあげているのに」
「余計なお世話なんだよ。恩着せがましいのは嫌われるぞ」
「まあ詳しくは聞きませんよ。多分
「………………なんでそう思うんだよ」
「九曜さん、図星突かれた時、分かりやすいですよね」
またも鋭い指摘が入り、九曜が黙りこくる。
反論出来ない時は結局無言を貫くのが一番なのだ。
「それにしても……前から思ってはいたんですが、九曜さんって、雪姫さんにだけやたら甘くないですか?
×やっぱり×あれですかね。三人の中だと、雪姫さんが一番好きなんですか」
「甘いのは自覚してるけど、そんな理由じゃねーよ。単に家族だから贔屓目が入るだけだ。俺とは誰も血は繋がってないけど、家族仲はいい方だからな。出来れば雪姫が人狼であって欲しくはない」
「キャンプの時も、ご両親とは仲良しでしたね。……羨ましいことです」
そう言うイルイは、家族との関係は良くないのだろうか。
黒鐘家、だったか。人狼の存在を伝える役目がある一族らしいが。
そういえば前に、家が厳しくて行事に参加できなかったので今回の文化祭で浮かれている、みたいなことを言っていたような覚えはある。
とはいえ、ここでそんな話をするのも無粋か。
「……ほら。さっさと次行くぞ。もう少しで試験範囲終わりだ」
「そういえば、キャンプの時に雪姫さんから聞いたんですけど」
九曜の配慮を察していないのか、勉強をしたくないのか。その両方か。
イルイはまだまだ世間話を続ける。
「九曜さんがよく勉強してるのって、お医者さん目指してるかららしいですね」
「……そうだけど。だからどうした」
「いえ、少し不思議だなーと思いまして。九曜さんって、尊い命を大切に、とか考えるタイプじゃなさそうですし」
ひどい。
「世のため人のためとか考えてなさそうですし、献身的でもないですし。そもそも自他共に認める悪党ですし」
実にひどい。
「あえて言うなら権力と金の為……にしては、お医者さんを目指すのはだいぶ効率悪そうなのになー、と。気になりまして」
イルイの九曜に対する認識が本当にひどい。
「……お前、他人の命を助けるために人狼探しを手伝ってる相手に、よくもまあそこまでボロクソ言えるな」
「そういえば×そうでした×。九曜さん、良い人ではあるんでした。しかし、どうしてまたお医者さん? 前にも言いましたけど、刑事とかじゃダメだったんですか?」
「別に、ただ目指してるだけで、どうしても医者じゃないと嫌だって程じゃない」
「でも目標なんですよね。なんでまた。何か理由とかあるんですか?」
「……きっかけは、あるけど」
「ほうほう」
これは完全に、聞く耳モードだ。
おそらく話さないと、「なんで」「どうして」と繰り返してくることだろう。
「……別に、大して面白い話じゃねえぞ」
はあ。とため息を一つ。
それから九曜は、まだ幼い雪の日のことを語り始めた。
○
九曜と雪姫が小学四年生の、冬のこと。
その頃はまだ雪姫は自分勝手のワガママ娘で、スキー旅行も雪姫が突然行きたいと言い出したことだった。
九曜は雪姫に不満を述べたが、両親は雪姫の方の主張を聞き入れて、家族旅行が決まった。
長くバスに揺られ、両親も雪姫も眠りこけていた、どこかの道の駅。
休憩に入ったところで、九曜は一人、小さい身体でバスから降りていった。
そこでちらりと見た運転手の顔色が、少し悪そうに見えた。
「あんた、大丈夫?」
「あ、×ああ……平気だよ。大丈夫×」
九曜はすぐに、運転手の嘘に気付いた。
「……どうかしたのかい?」
そこで、九曜に話しかけてきた男がいた。
男は、小学生の九曜からすればおっさん。正確な年齢はよく分からないが、疲れたような顔をして、見た目以上に老けて見えた。
「この人、元気ないってさ」
「……そうなんですか?」
「いや、大丈夫。大丈夫。少し疲れが溜まっているだけです。長旅なのでね」
「しかし、万が一ということもある。少し様子を——」
九曜が聞く限り、今度は運転手の言葉に嘘はなかった。
だったら本当に元気が無いだけなのだろう。
その割に、男はしつこく運転手に話しかけていた。
まったく。分かってない。これだからやっぱり大人はダメだ。
相手の言葉が嘘かどうかも見破れないんだから。
「やっぱ大丈夫だって。ほら、行こうぜおっさん」
「しかし……」
「俺たちは医者じゃないんだし、病気でもない人の心配なんてしなくていいよ」
九曜の言葉に、男は一瞬身体をこわばらせた。それから、
「あ、×ああ……そうだな×。心配のしすぎはよくない。×医者でもないのに×でしゃばりすぎたよ」
男は九曜に、嘘をついた。
道の駅での休憩時間が終わり、ツアーバスは再び走り出した。
相変わらず両親と雪姫は眠ったままで、しかし九曜は妙に目が冴えていた。
それで少し、暇潰しを思いついた。
「なあ、おっさん。なんであんた、さっき嘘ついたんだ?」
空いていた席に座り、九曜が話しかける。
男はずいぶんと困惑した様子だった。
「嘘って……×なんのことだい×? 元気だな、君は」
「ほら。今も嘘ついた。気持ち悪いんだよな。それ。みんなやめてほしい」
小学四年の九曜は、少しばかり本音を漏らした。
ぐらぐら揺れて、血の味がする。世界は嘘に満ちている。九曜はそんな世界が嫌いだった。
「嘘……嘘か。そうだな。嘘はよくない。私もそう思うよ」
「だろ? でも、父さんと母さんは、人を幸せにする嘘もあるって言うんだ。だからもっと嘘をつけって、怒られる」
「ははは。それも正しい」
男は笑っていたが、あまり明るい顔ではなかった。
相変わらず、疲れたような顔をしていた。
「……私は、ひどく悪い嘘をついてね。家族も仕事も失ってしまった。違法な博打に嵌まって、その借金を誤魔化すための横領さ。……分かるかい?」
「んー……よく分からん」
「そうか。まあ、私のことはとても悪い奴だと思ってくれればいい。私は悪い奴だから、医者としての仕事も失った。だからもう、×私は医者ではない×んだよ。だからさっきも×嘘はついていない×」
「……また嘘ついた。でも、おっさんが悪い奴なのは本当みたいだ。俺と一緒だな」
「仲間に入れてくれるのか。はは、ありがとう」
それからしばらく、九曜と男は話をした。
大体は、九曜のしょうもない話。たまに男が、九曜に同意して笑っていた。
バスはもう、山を登り始めていた。
「君はどうして、自分を悪い奴だって言うんだい?」
「嘘がつけないから。本当のことばかり言って、人を泣かせてる。人を泣かせるのは悪い奴だ。だから俺は悪い奴だ」
「……そうか。そうなのかもしれないな。だとすれば確かに君は悪い奴なんだろう」
「だけどな————」
その時、バスの車体が大きく揺れた。
車内が激しく跳ねて、九曜の身体も飛ばされ、天井に叩き付けられる。
何が起きたのか。
その時の九曜には分かっていなかったが、後から知ったところによれば。
九曜と雨宮家の家族、そして男やツアー客を乗せたバスは、崖から転げ落ちていた。
崖から転げ落ちた先。
バスは幸いにも形こそ保っていたが、車内には人や物が散らばっていた。
バスの明かりはどうにかまだ点いている。
「——雪姫っ!!」
九曜はすぐに、妹のところに駆け寄った。
頭に少し傷はあるものの、雪姫はどうにか目を開いた。
「大丈夫か、雪姫! どっか痛いとこないか?」
「いっぱい……痛い…………」
「ごめんな。兄ちゃん痛いのなんとかしてやれないけど、我慢してくれ。絶対助けてやるから」
そうして次は、両親を。
「母さん——は、大丈夫。父さんは————」
そこで、九曜は息を呑んだ。
父の足に、ひしゃげた扉がめり込んでいた。
血が溢れて、おそらく足が潰れている。
「父さん……? 父さん!!」
「動かすなッ!」
そこで、男の大声がした。
「……おっさん…………?」
「他の乗客も治療する。しかし、まずは君のお父さんからだ。すぐに処置をしなければ命が危ない」
血まみれで歩み寄ってくる男を、しかし九曜は強く殴り飛ばした。
「——!? 君は何を————」
「おっさん、自分はもう医者じゃないって言っただろうが! それに、お前は悪い奴だ。悪党だって、自分で言った! そっちは嘘じゃなかった!」
「だとしても————!」
「今は俺しか動けねえんだ! 俺しか父さんも、母さんも、雪姫も守れない。だから俺はあんたの言うことは聞けない!」
「君は……」
男は疲れたような顔を、声を絞り出すようにして歪めながら、言った。
「君は本当に……賢い子なんだな————」
そうして、続ける。
「だったら、もう一度、よく聞いてくれ。いいかい」
「君も、私も、悪い奴だ。悪党で、クズで、ゲスで、どうしようもない奴だ。もう二度と、やり直すことなんて出来ない。私はそれだけ悪いことをした」
「けれど————!!!」
「君と私が! 悪だからといって! 良いことをしてはいけないなんて、そんなルールはどこにも無いんだ!! 誰の許しも、必要無いんだ!!」
「……だから今から、良いことをしよう。今から二人で。みんなの命を救うんだ」
○
「——それから、おっさんと俺で、みんなの治療をして回った。雪姫と母さんは軽傷で済んだけど、父さんは片足を失った」
「…………すごい、人ですね……」
「だからって、そのおっさんに憧れたわけじゃあないけどな。違法賭博で借金重ねて、病院の金に手を出したクズ野郎だ」
言いながら、九曜はなんとなしに机を叩く。
「ただ、おっさんの言い分はもっともだと思った。俺が悪党だからって、良いことをしちゃいけないわけじゃない」
「だから俺は悪党のまま、良いことをするのさ」
それが雨宮九曜が、医者を目指す理由。
そして何よりもこうして、悪かつ正義である理由。
三人の少女に手を出しながら、全ての少女を救おうとする理由だった。
「悪が正しいことをしてはいけない法はない……」
イルイは、自分の中にその言葉を、染み込ませるように呟いた。
「ああ。それが俺の生き方。行動原理だ」
九曜の言葉を聞いて、イルイは少し何か考えているようだった。
「…………それは、生まれついての悪だとしても……同じなんでしょうか?」
要領を得ない質問だった。
けれど、九曜にとっては、あまりに容易く答えられる問いでもあった。
だから笑って、九曜が答える。
「当たり前だろ。俺自身がそうだからな」
それから、しばらく。
イルイは何も話さず、九曜の顔だけを静かに見つめていた。
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