行って帰って早々と



「ありがとう、くーちゃん! ほんっとに助かったよ!」


 休日出勤の母が新幹線に乗る寸前のところ。九曜くようはどうにか忘れ物を届けることができた。


 走り出す新幹線の窓からぶんぶん手を振る母に、苦笑いで手を振り返し、去っていくのを見届ける。

 そうして新幹線のプラットホームで、九曜は、ふう、と一息ついた。


 幸いにして休日なので、時間に余裕はある。

 せっかく早くに出たのだから、どこか寄ってから帰ろうか。


 なんて思っていると、


「ん? もしかして鷺沢さぎさわか、あれ」


 実に意外な顔を見付けた。

 細い首輪のような黒のチョーカーを巻いた、鷺沢ゆうだ。


 夕も今日はどこかに出かけるのだろうか。新幹線だからなかなか遠いところだろうが、どうやら一人の様子。ちょっと試しに話しかけてみるか。

 なんて思って近寄ると。


「えっ!? 九曜!? うわ、最悪…………」


 夕は露骨に苦々しい顔をした。


「休日に恋人に会って最悪はねえだろ。なんだ? 浮気でもしてたのか?」

「しっ、してないから! そんなわけないじゃん! そ、そっちこそ、こんなところで何してるのかな!? お出かけかな!?」


 九曜は夕に、母の忘れ物を届けに来たことを説明する。


「ふ、ふーん、な、成る程ね。いいんじゃない。いいと思うよ、うん」

「……? それで、お前は結局何してるんだ?」

「な、何って!?」

「いや、旅行でも行くのかなと思って。ここ、新幹線のホームだし」


「そうだとして、何か×問題あるかな×あ!?」


 相変わらず上ずったような声で、夕が言う。

 さっきから何か調子が変だ。


「別になんもねえけど。単なる世間話だよ。どこ行くのか、俺にはあんまり言いたくない感じ?」

「そ、そんなことは、ないけど……」


「じゃあ、どこ行くんだ?」

「…………東北の、ご当地アイスを食べに行こうと……」


 へえ? と少し間の抜けたような声が出た。


「な、何さ。わたしがご当地アイス食べに行っちゃ悪いっての!?」


「別になんも悪くはないが……なんか……独身社会人みたいな旅行だな」

「いや言い方よ。華の女子高生に向かってそんなこと言っちゃう!? 別にいいでしょうが、誰が何食べたって!」


「だから悪くねえって。しかし、ずいぶん金に余裕があるんだな。普通の高校生は休日グルメにそこまで金使えないぞ。近場ならともかく、新幹線使ってとか」


「そ、それは……別に、今使っても困らないし…………」


 夕は自分の指を妙に触りながら、最後はかなりの小声になりつつ、呟く。

 はて。金を使っても困らないって、どういうことだろう。


「と、とにかく。ちょっとした小旅行するだけ! 日帰りだし! ×安い×し! 別に×何も困ることない×でしょ!」

「まあ、たしかに?」


 言って、九曜はしばし考え込む。

 そして、


「じゃあ、俺も一緒に行こうかな」

「ぅええっ!?」


 九曜は新幹線の入場券から、自由席の券に買い直し、夕の元へと戻った。



 ◇



「……まさか、本気で付いてくるとは。だいぶびっくりなんだけど」

「今日は時間あるからな」


 新幹線の座席に並んで座り、二人で静かに話をする。

 夕は相変わらずかなり落ち着かない様子で、困惑が表情にはっきりと出ていた。


「さっきから不満顔だけど、そんなに俺と旅行するの嫌だった?」

「い、嫌じゃないけどさ。恥ずかしいっていうか……お金もかかるし……」


「金に関しては、自分で予定立てたんだろ」

「い、×いーじゃん×別に。そーゆー細かいとこが嫌われるんだよ、九曜は。そっちこそお金は大丈夫なのかな? ん?」

「最近バイト代が入ったからな」


 バイト代という名の怪しげなおっさんからの謝礼金は、一般的な高校生のバイトに比べると結構な額だ。

 自分で自由にシフトを入れられないため、たまに困窮する時期もあるものの、全体として九曜はかなり懐に余裕はある方だった。


「それにしたって、こんなお遊びに付き合おうなんて。物好きだねー、九曜は」

「面白そうだったからな。鷺沢の反応が」


「何それ。うう……やっぱりこれ嫌がらせだよぅ」


 やはり、というか、なんというか。

 今日の夕について、九曜は気が付いていることがある。


 なんといっても、今日の夕は妙に——


「あー、もう。なんでこんなことになっちゃったんだー。こうなれば今すぐにでも……いやでも今更……はあ。もう諦めるか……」


 いつものような余裕がないのだ。

 ついでに嘘もやたら少ない。


 はっきり言って、こんな夕は初めて見た。

 これほど貴重な機会を逃すわけにはいかない。


 たっぷり弄んで——もとい、たっぷりと調べ上げて、普段との違いを丸裸にしてやるとしよう。


「九曜。顔が怖い」


 おっと失敬。

 気を取り直して、上手いこと会話を——はて、なんの話をしたものか。


「九曜はさー、こういう旅行とかよくするん?」


 そうこう悩んでいるうちに、夕の方から話しかけてきた。


「あんまり遠出はしないかな。昔は家族でよく出かけてたけど、ちょっと事故があって……それでも出来るだけ、父さんたちと外に出るようにはしてる」


「あー。九曜のお父さん、片足が義足だもんねー。旅行は大変だよね」

「そうそう。だけど極力動いた方がいいんで、外出は……ってあれ? 俺、この話、お前にしたっけか?」


 夕の表情が少し固まり、しばらく反応が止まる。


「た、×多分×、九曜が×気付かないうちに×どこかで言ってたんじゃないかなー。わたしはこー見えて、情報通なものでして」


「それはたしかに。お前やたら他人のことには詳しいんだよな。俺も必要になったら他人の裏の顔とか探る方だけど、人付き合いに関してはお前に勝てる気しねーわ。

 他人の悩んでることとか、好きなものとか、恋愛事情とか、いつもどうやって調べてんの?」


「え、それは……。だいたい本人に聞いてる……」


 にしては、サプライズでプレゼント、みたいなことが多い気もするが。

 まあ嘘ではないようだから、事実なのだろう。コミュニケーション能力がやたら高い夕なら、あり得ない話でもないか。


 その割には、夕は発言をしくじったという顔をしているが。

 そして何やら頭を抱え始めたが。


「そ、それよりさ。九曜は最近、放課後はオカ研の部室に来ることが増えたよねー? 図書室のドリーちゃんが寂しがってないかとか、気にならないの?」

「ドリー……ああ、みどりのことか。そうだなあ……」

「……翠、って呼んでるんだ? ×ふうん×、仲良しさんだねえ。おやおや、どういうご関係なのかな? まさかわたしというものがありながら——」

「あー? なんなら、今からは鷺沢のことも夕って呼んでやろうか?」


「………………」


 無言。

 ついには無言である。


 しかも苦悶の表情をたたえた芸術品のような顔をしている。

 大丈夫か。マジで。さっきから色々と。


「そんなに嫌なら別に——」

「違う! 嫌じゃない! 待って、しばらく考えさせて!」


「え、ええ……なんなんだよ……」


 そうして夕は自分の指を見ながら、ぶつぶつと呟いている。

 そういえば、今日は指にマニキュアを塗っていないようだ。休日だから気を抜いていたのだろうか。


 全体的にファッションに気を遣っている様子もないし、さもありなんというところではあるか。

 それでも九曜の送ったチョーカーだけは付けているあたり、九曜からすると少し嬉しいやら恥ずかしいやらだ。


「よし、決めた。九曜! これからはわたしのこと、夕って呼ぶこと。よく覚えといてね。それで、今日に関しては、とことんわたしたち恋人やるから。手とか繋いで、ひたすらいちゃいちゃするから。いい?」


「ええ? 別にいいけど……」


「じゃあまずは、何かわたしに命令して。そしたらわたしが言う通りにするから。なんてったって九曜はわたしのご主人様だからね」

「それは……」


 恋人とは、呼ばないのではないだろうか……?

 というか、新幹線の車内でそういうアブノーマルなこと言うの、やめて……?


 そんなことを思いながら、新幹線は走り行き。


 恋人としていちゃいちゃとご当地アイスをたっぷり堪能してから、九曜と夕は直行直帰の日帰り旅行を終えた。

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