雨宮家の夜
「聞いたよ。お兄ちゃんのクラス、文化祭でコスプレ喫茶やるらしいね。お兄ちゃんはどんな格好するの?」
風呂上がりの
ベッドに腰掛けている
「まだ考えてないけど。そもそも本当に俺までコスプレやるのか?」
「コスプレについては、裏方さん含めて全員参加だって聞いたけど」
「うげー。厄介なことになったなあ。ちゃんと反対意見出しときゃよかった」
椅子に腰掛けて、コーヒーを一口飲んで、机に置く。
「……で、なんでお前は当たり前のように俺の部屋にいるんだよ」
そこでようやく、九曜は勝手に部屋に上がり込まれていることについて言及した。
「別にいいでしょ。減るもんじゃないし」
「俺のプライベートが減るんだが」
「減って困るほど楽しいプライベートでもないでしょ」
雪姫はそう言って、九曜のベッドにごろんと寝転がった。メッシュの入った髪がシーツに軽く広がる。
最近は毎晩、こうして雪姫が九曜の部屋にやってきては、一緒のベッドで寝るという日々が続いている。
雪姫はもはや枕を自分の部屋に持って帰るのも面倒になり、雪姫の枕はすっかりこの部屋の備品の一つになっている始末だ。
高校生の兄妹としてはいささかアブノーマルな気もするが、恋人も兼ねている状況では、そんなことを言っても今更が過ぎるか。
いや恋人同士にしても、毎晩同じベッドに入るのはなかなか珍しいのではという気もするが……これ以上考えるのはよそう。
「そういえば、お前は文化祭だと、バンドでライブやるんだろ」
「うん。一応ね。やらないのも変だし」
雪姫の参加するバンドは、動画サイトや配信を主として以前から活動している。
メンバーは中学時代から全員同じ学校同じ学年の女子という女子高生バンドで、これがなかなかの人気らしい。
軽音楽部には一応所属しているものの、後から入ってきた一年生たちが部活の中心になるのも……という空気があるらしく。バンド活動とは分けて部活をしていることが多いと聞いている。
ただ、中学の時点でもバンドで文化祭には出ていたので、高校でもそうなるのは自然な流れではあった。
「だったら家でも練習とかしなくていいのか? ライブで恥かいても知らねえぞ」
「舐めんな。生演奏くらいよくやってるし。それに練習だって、毎日ちゃんとこなしてる。お兄ちゃんの部屋に来るのは、練習とか曲作り全部終わってから」
ふーん。
意外というかなんというか。真面目に取り組んでいるのはいいことだ。
学生としては、中間試験の点数はかなり危ういラインだったらしいが。
「……そういえば、文化祭って、お母さんたちも来るんだっけ。中学の時なら来てたよね。あたしたちのライブ観に来てたの覚えてる」
「え? あー、なんか母さんは、外せない仕事があるから無理とか言ってたぞ。すごい泣きながら」
その表情が容易に想像できる、とでもいうように、雪姫は軽く苦笑した。
「そっか。でもそうなると、お父さんだけ……ってのも難しいよね」
「まあ実際は心配するほどでもないとは思うけど……、母さんが来ないなら父さんもやめとくんじゃないか? 足のこともあるから、大変は大変だし」
息子と娘はそんな二人を反面教師として、しかし根っこの部分では家族に対する愛情に染まって育てられた。
結果として兄妹は、どういうわけかインモラルな恋愛関係に発展したわけだが——ここでは一旦、その教育の是非は置いておこう。
雨宮家の母は大手企業の管理職を務めるやり手のキャリアウーマンであり、父は在宅でライターをしている。
父も昔は母と同じ様に外で働いていたのだが……、九曜たちが小学生の頃の、とある事故の際に片足を失ってしまった。
結果として、父は今も義足生活をしているため、外出の時は一応、家族の誰かが付いていくことになっている。
けっして生活が困難というほどでもないが、仲良し家族の取り決めというやつだ。
「……お兄ちゃんが勉強するようになったのって、あの事故からだよね。やっぱり、医大とか目指してるの?」
「一応、目指してるけど……別に父さんの怪我が理由じゃないぞ」
「そうなの? じゃあなんで?」
「秘密」
「なにそれ。教えてよ。恋人の間に秘密とかおかしいじゃん」
「都合の良い時だけ彼女面するなあ、この妹は」
口を尖らせた雪姫が、ぐわんぐわんと九曜を揺らす。
それからぽーんと九曜から手を離して、ベッドに再び倒れ込んだ。
「……あの時のことは、お兄ちゃんが気にする必要ないんだよ。もし誤魔化してるつもりなら、本当に無理なんてしなくていいからね。
あれは…………お父さんの怪我は……あたしのせいだから」
「いや、お前のせいではねえだろ。家族で行ったツアーバスの交通事故だぞ? お前に何の責任があるんだよ」
「……×そうだね×。うん。×その通りだと思う×」
肯定を嘘で否定して。
雪姫は自分の枕を抱えてベッドから立ち上がった。
「…………やっぱり今日は、あたし一人で寝る。いつも勉強の邪魔してごめん。お兄ちゃん」
どこか悲しげな声色で、しかし表情は落ち着いたまま。
そう言って雪姫が部屋を出て行く——
——ところを、九曜が腕を掴んで止めた。
「…………なに?」
「よっと」
そしてがばっと、雪姫を後ろから抱きしめる。
「……な、なに? 本当にどうしたの、お兄ちゃん」
「んー? なんか、雪姫がこうして欲しそうにしてたから。あー、ちょっといい匂いする。それに少し、昔より色々と柔らかくなってるような……」
「ちょっ……どこ触って……もう、やめてってば! ×バーカ、死んじゃえ×! この×変態×兄貴!」
恋人関係になってからは聞かなくなった、久々の悪態。
だがそれも、今はどこか心地良い。
「…………はあ。ほんと、×バーカ×」
言って、しかし雪姫は九曜に抱きかかえられたまま。目を閉じる。
そうして今日も、夜が更けていく。
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