一度目の満月
「実は、朝からずっと、尾けられてる気がしててな」
昼休みが始まったところで、
隣の席のイルイが応じる。
「おや、それはまずいですね。例の怪物ですか?」
「だったらよかったんだが——いや、よくないが……ともかく。ほら」
くいくいとクラスの扉の先、廊下の方を指し示す。
そこには
部屋は一クラス跨いでいるので若干の距離があるはずだが、昼休み早々、すでに九曜の前に姿を現している。相当に俊敏な動きと言えよう。
「九曜さん、何やったんですか」
「何もしてねえよ。いや、ちょっとした約束はあるんだが……それにしたってこの対応は普通じゃないって。登校中もずっと後ろから追いかけてきてたんだぞ」
「気付いてたのに無視してたんですか」
「話しかけようとしても、向こうが逃げるんだからしょうがないだろ。たぶん上手く隠れられてるつもりなんだろうが……」
九曜が振り向いては隠れ。歩き出すとまた追いかけ。
さながら、だるまさんが転んだのような攻防戦を、九曜と翠はひとしきり登校中にこなしていた。
授業の合間の休み時間にも、今と同じように九曜のクラスを覗き込んでは、隠れる。朝からずっと、この繰り返しだ。
浮気でも疑って追いかけているのなら危ういし、もし純粋に恋人のつもりでこれをやっているのならもっと恐ろしい。
対応に困り果てて、ついにイルイにも打ち明けてしまったのが現在というわけだ。
「わたしに相談されても、対応は出来かねますが」
「役に立たないサポートセンターみたいなこと言うな……。お前にクレーム対応してもらおうとは思ってねえよ。ちょっと愚痴ってみただけだ」
そう言って立ち上がると、九曜は鞄から弁当を取り出し、廊下に向かっていった。
「翠。一緒に昼飯食いにいくぞ」
「えっ、あ、うん。行く……」
そのあとしばらくは、九曜を翠が追いかける形になった。
人の少ない穴場の自販機。その横にある長椅子。翠と昼食を取る時はいつも使っている場所だ。
長椅子にどんと座ると、九曜はさっさと弁当の包みを開け始めた。
翠は少しの間落ち着かない雰囲気だったが、九曜に促されて隣に座ると、自分も弁当を広げ始めた。
長い前髪はいつも通り。昨日と同じ、青い宝石の付いたヘアピンをしていた。
「……そういや最近、翠も弁当だよな」
「あ。うん。その……今は自分で作るようになって……」
そう言って開いた翠の弁当には、卵焼きや小さなハンバーグ、ミニトマトに人参やかぼちゃの煮物など。色とりどりのおかずが詰められていた。
「きょ、今日は時間なかったから、冷凍食品とか残り物も多いんだけど……」
「それでこれだけ揃ってれば大したもんだよ」
言いながら、九曜はひょいひょいと弁当を口に運んでいく。
「……あ、九曜くん。あの……この卵焼きとか、わたしが作ったんだけど……た、食べる?」
言われてすぐに箸を出し、ひょいと口に入れた。
甘めの味付けで焦げや生焼けもなく、悪くない出来だ。
「うん。美味い」
「えへへ……よかった」
こうして話してみると、普段通りの翠だ。
昨日の妙なテンションや、今朝からの怪しげな行動がなかったかのよう……とまではいかないが、とりあえずいつも通りに戻ったように見える。が。
「それで、なんで弁当を作る時間を短くしてまで、俺につきまとってんだ?」
ここで追求を止めないのが、九曜のやり方だ。
元々の性格でもあるし、もしかすると人狼の正体を暴くきっかけになるかもしれない。
もう今夜は満月。ここで躊躇する道理はない。
「…………え、っと……それは……九曜くん、き、気付いてたんだ……」
「そりゃあれだけ下手なら当然な。とりあえず翠が尾行の素人なのはつくづくわかったよ」
「あ、あうぅ……そっかぁ……」
さすがに少し恥ずかしかったのか、翠が頬を赤らめる。
「で、結局なんだったんだ? もしかして俺のこと、怪しんでたりする? 浮気の疑いをかけてるとか」
「へっ!? え……う、浮気……?」
考えてもみなかったという顔だ。
そんなことじゃ将来悪い男に騙されそうで不安になるぞ。今すでにすごく悪い男に騙されてるのは置いといて。
「そ、そんなじゃないよ……! むしろわたしは、九曜くんを……」
そこであっ、という顔をして、しばし翠の動きが固まった。
九曜には経験でわかる。これは今まさに嘘をでっち上げようとしているところだ。
「あの……えっと、×九曜くんが約束のこと忘れてないかと気になって、ついつい目が行っちゃったというか×……。きょ、今日だよね。その……例の、満月」
「ああ。そうだな。翠もちゃんと覚えてたか」
「も、×もちろん×だよー。は、初めての…………だし。緊張、するよね」
九曜も初めてなので、やや緊張はしている。
そして忘れられていたのはややショック。
本当に裏で何を企んでいるのだろう。この少女は。
「それで、どうする? 今からしたいか?」
「そ、それは……ちょっと。ちゃんと歯とか磨いてから……」
このがっつかなさが、やっぱり人狼っぽく無くはあるんだよなあ……。
九曜としてもまだ最終判断はできていないが、正直なところ白に傾きつつはある。
「じゃあ、放課後。一緒に帰るついでに、ちょっと足を伸ばして、丘の上にある公園まで行こう。で、そこで……キスするか」
「…………! わ、わかり……ました。よ、よろしく……お願いします……」
言葉は変に丁寧に。
顔を真っ赤にしながら、もじもじと。
視線を合わせられずに下を向いて、翠は九曜の言葉に応えた。
◇
二日続けて図書委員を代わってもらうというわけにもいかず、翠は下校時刻まで図書室に。
その図書室では、九曜が自習をしながら、翠の様子を観察していた。
人狼のあるべき態度というのがわからないが、はたして、翠が本当に人狼だとして、これまでの嘘と行動は理に適っているだろうか。
映画館での嘘。
魔法が好きで、でも魔法少女が嫌い。
食事中の嘘。
料理が得意になりたくて、でも上手くいかない。
自宅での嘘。
友達がいなくて、でも恋人がいればいい。
昨日の嘘。
狼人間の話を聞いていて、どこか期待に溢れている。
総合して——
「…………何か……何かを埋め合わせしようとしてるような……」
そんな印象を、九曜は受けていた。
そうして答えの出ないまま、下校時刻がやってきた。
図書室を閉じて、九曜と翠の二人で帰る。普段とは違う道を通って、丘の上に開けた公園へと向かっていく。
その間、ちらほら会話こそするものの、どうにもぎこちない。お互いにお互いの緊張が伝わり合っているかのようだった。
すっかり日は暮れて、ついに満月が夜空に輝いている。
一度目の満月。
恋の呪毒を解くまでに、残された満月はあと二度だけ。
暗くなった道を、そっと手を握りながら、二人で歩いて行く。静かな時間。
そうして、ついに公園まで辿り着いた。
公園からは夜景を一望することが出来、わずかに夜風だけが吹いている。
ファーストキスには最高のシチュエーション。完璧なお膳立てと言えるだろう。
さて。覚悟を決めるか。
「…………九曜くん、あの……か、確認……なんだけど。ほ、本当に、わたしでいいのかな……?」
そこで翠が、不安そうな表情で話し出した。
「ほら。九曜くんって、友達、多いでしょ……?
夕ちゃんとか、イルイちゃんとか……美人だし、かわいいし、わたしよりずっと一緒にいて楽しい人たちだし……。
そんなみんなより、わたしを選ぶ理由って、本当にあるのかな……?」
「わ、わたし……やっぱり騙されてたりしないよね……? 本当に、九曜くんとわたしは、恋人同士なんだよね……?」
「それは……」
もちろん。
と、言いかけた時——
あの狼の、遠吠えが聞こえた。
それもすぐそばから。
なんでまたこんなタイミングで。最悪だ。準備も何もできていない。
毛むくじゃらの巨大な図体。二足歩行の獣。一昨日の夜に九曜を襲った、あの化け物に間違いない。まさかこんなところまで現れるとは。
「ミツケタ……ゾ……」
すぐそばまで飛び込んで、のっしのっしと歩いてくる。
「マサカ、コンナトコロニイタ、トハナ……」
「翠——ッ!」
とっさに翠の手を取り、狼人間から離れようとする。
が——振り払われた。
……振り払われた?
「——っおい、翠、何して——」
「九曜くん、ちゃんと見ててね」
九曜を見たその翠の表情は、驚くほどに。
溢れんばかりに、輝いていた。
「わたし、わたしが九曜くんに相応しい女の子だって証明してみせるから!」
そう言うと、翠は頭につけたヘアピンを掴み。
「——青き光よ! 我に魔力を! レリックロード、マグニカッ!」
と、叫んだ。
「…………は?」
翠の身体が光を放ち、学生服から次々とフリルを付けた服装へと変わっていく。
「……いや、いやいやいや…………」
目の前の状況についていけない九曜を尻目に、翠は包まれた光を最後に一段と輝かせ——
「レリックブルー、ここにありッ!」
すっかり見た目の変わった姿で、声を上げた。
…………。まずい。頭痛がしてきた。
「まさかとは思ったけど、やっぱりゾディアークに生き残りがいたんだね。でも、わたしの大事な人は、必ず護ってみせる!」
「グオオ……ヤハリれりっくないつダッタカ……ユルサヌ……ユルサヌゾォ……」
狼人間と、青い衣装を身に纏った翠が、戦い始める。
「くぅッ! やっぱり一人だけじゃ——だけど————」
「ウオオオオッ!! マダ、マダワレラハ、オワラヌゥゥゥウッ!!!」
氷を放ち、魔法陣を浮かべ、剣と爪がぶつかり合う。
激しい死闘の果てに——
「レリック、オーバーッ!!」
「グオオォォォォオオオオ!!!??」
最後の大技が、狼人間に命中する。
そうして狼人間は跡形も無く消滅し、翠——もといレリックブルーは、見事に勝利を収めることが出来たのだった。
「………………ふう」
消滅した狼人間の煌めきを眺めながら、レリックブルーは息を吐く。
それから、九曜の方に向き直った。
驚くほどの笑顔で。
「九曜くん、大丈夫だった? 大丈夫だったよね? わたし、ちゃんと九曜くんが危なくないように、気を付けながら戦ってたんだよ」
フリル豊富な衣装のままで、九曜へと近付いてくる。
「えっと、びっくりしたとは思うんだけど。そういうことで……。実はわたし、ゾディアークから世界を護る、レリックナイツの一員だったんだ。だからえーと、つまり……」
「……翠は、魔法少女だった?」
「——ってこと!!」
九曜の結論に、レリックブルーは満面の笑みで返した。
「そういうわけだから、九曜くん!」
九曜の手を握って、顔を近づける。
「これなら、わたしは九曜くんに相応しいよね? 夕ちゃんやイルイちゃんみたいじゃなくても、彼女にしてくれるよね? だから——」
期待に満ちた瞳が、変身で髪型まで変わった顔から覗く。
「キス……してくれるよね……?」
そう言って、レリックブルーは——翠は、九曜の前で目を閉じる。
「………………」
無言の九曜が、翠の顔をじっと見つめる。
それからレリックブルー衣装でフリルまみれの肩を掴み、ぐいと持ち上げる。
「実はな、俺——」
少し困惑したような顔の翠に、九曜は告げた。
「——翠以外にも、他に二人と同時に付き合ってるんだ。
つまり、三股してたってわけだ。悪かったな、これまで黙ってて」
「………………え?」
事態が何も飲み込めていないような、翠の顔。
そんな翠をじっと見つめる、九曜の顔。
満月が、向き合う二人の恋人たちを、静かに照らしていた。
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