襲撃の翌朝



「話が違うぞ、黒鐘くろがねェ……」


 翌朝。

 下駄箱前で待ち構えていた九曜くようは、呪いをかけるブードゥー人形のようにイルイに語りかけた。


「…………はあ。何の話かわかりませんが、何かあったことはわかりました」

「そうか。わかってくれるか。じゃあちょっと来い」


 登校してくる生徒たちの波をかき分けて、九曜はイルイの手を掴んだまま引っ張っていく。

 場所はどこでもいいのだが、とりあえず校舎裏にしておこうか。


 校内一の問題児に連れて行かれる美少女転校生。

 明らかにそういう展開な雰囲気を周囲は思い浮かべているのだろうが、そんな勘違いを気にしている場合ではない。


 周囲のざわめきが遠くなったところで、九曜は足を止めた。


「どういうことだよ。全然話が違うじゃねえか。人狼ってのは人間の見た目で、キスして魂を喰らうんじゃなかったのか」

「そうですが?」

「そうじゃなかったんでございますが? 思いっきりオレサマ、オマエ、マルカジリする怪物そのものだったんですが!?」


 声を荒げる九曜に、イルイは本当に不可解極まりないといった顔をした。


「……九曜さん、さっきから何言ってるんですか?」

「お前……おま、お前、いや、だからさあ……お前マジか……え? お前本当に知らないの……?」

「本当に何の話かわかってないです」


 この期に及んで嘘をつかない胆力は大したもの……と言うには、いささか平然としすぎである。

 かといって、昨夜の出来事を無かったことにするわけにもいかない。


「……だから、俺が人狼に襲われたんだよ。昨日の夜。毛むくじゃらの、でっけえ身体で爪と牙の生えた怪物の人狼に」


「………………はい。……はい?」


 マジのガチで何も知らなそうなイルイに、昨夜起きたことを説明する。

 翠の家からの帰り道。鉄橋の上にいた二足歩行の狼。その怪物に襲われ、川に落とされ、命からがら、ずぶ濡れでの帰宅。腹に食らった爪の一撃で、制服がひとつ台無しになってしまった。


「逆になんで無事なんですか、それで」


「俺は見た目より頑丈なんだよ。眼鏡だからって舐めるな。……そんなことより、一体全体どうなってんだ。人狼ってのは、あくまで人型で、人間の魂だけ喰らうって話だっただろ」

「それはその通りですよ」


 イルイは先ほどと変わらない態度を繰り返した。

 嘘をついているわけでもない。


「九曜さんが見たような怪物なんて、わたしは本当に、全く聞いたことがないです。正直、にわかには信じられないというか……九曜さん、なんか嘘ついてません?」

「誰もつかねーよ、こんな嘘! というか、魂を喰う化け物も十分信じられない話だからな?」


 それはたしかに……と、無駄にイルイが納得する反応を見せる。


「いやそこは今どうでもいいんだわ。

 それより怪物のことだよ。カタコトの言動だったが、明らかに俺を狙ってたぞ。恋の呪毒じゃ俺がなかなか仕留められないから、人狼がついに痺れを切らして、正体を現しての実力行使に出たのかもしれん」


「違うと思いますけど」

「ずいぶんはっきり言い切るじゃねーか」


 九曜の挑発するような態度にも、イルイは淡々と返した。


「わたしは人狼の生態については、かなり詳しい自覚がありますから。その上で言いますが、人狼は変身なんてしませんし、出来ません。正体が怪物の姿でもありません。繰り返しになりますが、人狼はあくまで、魂を喰らうだけなんです」


「……だったら、俺を襲った怪物はなんなんだよ」

「知りませんけど……人狼とはまた違う種類の化け物なんじゃないですか?」

「そんなことある!?」

「人狼が変身するよりはあります」

「そこまで言う!?」


 あまりにもイルイが断言を繰り返すので、九曜もさすがに追求のしようがなくなってきた。

 もしかしたら本当に、あの怪物は人狼とは別の存在として九曜を襲ってきたのかもしれない。

 そう思えてきたのは、おそらく少し精神が疲れてきているからだろう。昨晩の川岸までの衣服着用水泳は控えめに言って地獄だった。


「……わかったよ。じゃあ、あの人狼——とりあえず、狼人間って呼んでおくけど、あれについて、黒鐘はまったく知らないってことでいいんだな」

「はい。さっぱりです」


「くっ……気軽に言いやがって……」


 命を狙われている九曜からすると、呑気に新たな怪物だと言っている場合ではないのだ。どうにかして早急に対策を考えなくてはいけないというのに……。


「……はあ。仕方ない。とりあえずそろそろ授業が始まるし、教室に行くか。狼人間のことをいつまで考えてても、答えは出そうに無いしな。流石に学校までは、多分……多分、襲ってこないだろ……」


 諦めたようにそう言って歩き出し、校舎裏の角を曲がる。

 と——


「あぅっ……!?」

「おっと」


 九曜は曲がり角でぶつかった相手を、両手で肩を掴んで支える。


「悪い悪い。って、なんだ。みどりか」


 長い前髪にヘアピン。伊達眼鏡をかけて、おどおどとした様子はいつも通りの、翠の姿がそこにはあった。


「あー……もしかして、俺らの話、聞いてた?」

「え、あ、な、×何も聞いてない×よ! た、ただ、九曜くんがイルイちゃんを連れて行ったって聞いたから、ちょっと気になって……」


 たしかに、キスの日付まで約束した恋人が、異性を連れてどこかに消えたと聞いたら、追いかけたくなるのは仕方がないというものだろう。


 そう。約束をしているのだ。

 九曜が翠を人狼か役能者か判断し、キスで解呪するかどうかの日付を。


 正直なところ、九曜からすればもう、そんな話をしている場合ではないところでもあるのだが。


「……あー、翠、悪いんだが出来れば……」

「あ! か、勘違いだったのは、わかったから。だいじょぶ、です。それに、事情も……大体わかったから。だから——」


 翠は急に、九曜の肩を掴み返して、続ける。


「——だから、心配しないで。

 九曜くんのことは、絶対にわたしが護るから。ね……!」


 言ってから急に、翠の背筋が伸びたように感じた。

 まるで子どもに戻ったかのように目を輝かせて。


「お、おう……?」


 困惑する九曜に驚くほど満面の笑みを向けると、翠はすぐに走り去っていった。


「……今の、どういう意味だ?」

「さあ。わたしは知らないので、九曜さんがなんとかしてください」


「やっぱり気軽に言ってくるんだよなあ、こいつ」


 九曜が愚痴る声と重なるように、予鈴が鳴った。

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