恋心はいつから
皆で屋内プールや温泉を散々楽しんだ翌日。
今日もまた休日だ。さて何をしようかと
「あたし、今日本屋回るつもりなんだけど」
妹の
「そうなのか。気を付けてな」
九曜は食パンをかじりながら、いつもの調子で答える。
「………………」
「……………………」
「……えっと。一緒に、行くか?」
「……ん」
そんなわけで、今日は雪姫と書店巡りをすることになった。
◇
雪姫はメッシュの入った髪はいつも通り。上はぶかぶかのジャケット、下は短めのパンツルックというやや中性的ないでたちだ。
噂に聞くところでは、この見た目は校内外の女子に非常に好評らしい。所属するガールズバンドの人気も相まって、女子のみで構成されるファンクラブも密かに結成されているという。
「どうかした?」
「……なんか、ちょっと意外な育ち方したなと思って」
「何その気持ち悪い発言」
街を歩きながら、九曜と雪姫は淡々と言葉を交わす。
ロックな見た目の女子と、陰険眼鏡の男子。一見しただけでは、周囲の人間は二人をカップルどころか、親しい仲とも思わないのではなかろうか。
実際には二人は双子の兄妹にして恋人という、大変にインモラルな関係なのだが。
「雪姫、昔はかわいかったのになぁ」
「……別に、あたしは×今も×かわいいでしょ」
「かわいいけど」
「………………」
「自分で言ったのに照れるなよ」
大型の書店に入り、エスカレーターを登っていく。
「そういや、今日は何見るんだ? お前、そんなに本とか読むタイプだったっけ」
「少しは読むよ。でも、今日の目的は本じゃなくて、スコア。あ、楽譜のことね。楽器屋にもたくさんあるけど、こういう本屋にも意外なのが置いてたりするから。たまに探しに来る」
ふーん、成る程。
納得しつつ、雪姫の後ろをついていく。
到着した楽譜コーナーは、確かにかなりラインナップが充実していた。
雪姫がその中から一冊手に取って、パラパラとページを繰り始める。
「……あ、お兄ちゃんは他のとこ見てていいよ。どうせ参考書でしょ」
「どうせって……まあ当たってるんだが」
雪姫がバンドをやっているという話はほとんどが人づてで、九曜がそれを意識するのは、せいぜい自室にいる時に響いてくる練習の音くらいだ。
実際にベーシストとしての雪姫を目にするのは、下手をするとこれが初めてかもしれない。
するとなんとなく興味深くて、そばで見守ってみたくなる。
試しに九曜も一つ、楽譜を開いてみる。小中学校の音楽で習ったような部分もあるが、謎の数字が並んでいたり、見たことのない記号があったり、素人には何がどういう意味なのか謎だらけだ。
「雪姫のバンドって、こういうのを使って演奏してるのか?」
「コピーバンドってこと? んー、最初はそういうのもやったけど、今はオリジナルが多いかな。だからこれは自分用」
雪姫が楽譜を閉じて、また別のものを選んで開く。
「へー、オリジナル。ってことはメンバーが作詞作曲してんのか。そりゃすごいな」
「……×別に×。全然下手な出来だし」
「おいおい、仲間内だからってそういう言い方は……ん? その言い方からすると、もしかして、お前が曲作ってんの?」
「……×一応×、そう」
それは知らなかった。
言われてみれば、高校の入学祝いや誕生日などの祝い事で、パソコンやらキーボードやら、雪姫が両親に買ってもらうのを何度か見た覚えがある。
その時はさして気に留めてもいなかったが、あれは作曲用だったのか。
「そうなると、俄然お前らのバンドにも興味湧いてきたな。たしか動画サイトとかSNSにも上げてんだっけ? これまで聴いたことなかったけど、探してみるか」
「——っ!? そっ、それはダメ!」
急に雪姫の顔に焦りの色が浮かんだ。
「え。なんで」
「それは、ええと……、し、×知り合いに見られるのは、恥ずかしい×……から」
学校中に知れ渡っているのに、今更その嘘はないだろう。
両親も知っているはずだ。ライブを観に行ったと話していた覚えがある。
だからこれは、九曜個人に限った要望だ。
「まあ、俺に見られたくないなら、見ないけど……」
「聴かないようにも、して! 特に歌詞は、絶ッ対! 聞き取らないで!」
なんかもう墓穴を掘ってるようにも思えるが……。
一体どんな歌詞を書いているんだろう。この妹は。
散々騒いだところで、自分の声の大きさに気付いたらしい。雪姫の身体が少し縮こまった。
「じゃ、じゃああたし、会計してくるから。お兄ちゃんも自分の買い物済ませなよ」
ふむ。
隠し事は気になるが、今はいいだろう。
九曜は参考書コーナーに向かい、馴染みの背表紙たちを眺め始めた。
◇
「今日は付き合ってもらったお礼ってことで、これくらいは奢るから」
帰りにチェーンのコーヒー店で、雪姫と二人、休息を取ることにした。
奢られるほど金に困っているわけでもないが、せっかくの厚意だ。甘んじて受け取ることにしよう。
「お兄ちゃんって、こういう所にはよく来る?」
「んー……たまに? 大体図書室で自習して帰ってるからなあ。外で用事がある時くらいか」
「ふーん。でも、コーヒーは好きなんだよね?」
「他の飲み物よりは、程度だけどな」
店内で二人、窓際に座りながら話していく。
その途中で雪姫が軽く微笑んだ。
「なんか変な感じ。昔はお兄ちゃんのことなら何でも知ってたのに。今はこうして訊いてみないと、分からないことだらけ」
「たしかにそうだな。俺もお前がバンドでどんなことやってるのか、全然知らなかったし。いつからだっけか、こんな関係になったの」
「小学五年生の秋から、かな」
「へえ?」
ずいぶんと具体的に言い切れるものだ。
何かきっかけになる出来事があっただろうか? 九曜はそれより少し前に、人生の転機になるものはあったが、それではなさそうだ。
「クラスメイトに言われたんだ。兄妹は結婚できないよ、って。付き合っちゃいけないし、好きになってもいけないんだ、ってさ。
嘘だーって言って、その子とは喧嘩になったけど、自分で色々調べてもその通りで……。あの時は本当に絶望した。世界が終わったくらいの気分だったな」
「ええ……? そんなことあったのか。俺は全然気付いてなかったな」
「お兄ちゃんにだけは気付かれないようにしてたからね。
それからは、お兄ちゃんと少しずつ距離を取るようにしてさ。でも、他の誰かを好きになんてなれないし、なりたいとも思わなかったし……。
何か没頭できるものを見付けようと思って、音楽始めたの」
そこでギターじゃなく、ベースに手を出すのが雪姫らしいというか……。
いや、最初の頃はギターも鳴らしていたような気がするな。
「で、中学でバンドに入って、高校入って人気出てきて、やっとバンドがあたしの好きなものって言えるようになったところで——」
「俺と
最悪のタイミングというべきか。最高のタイミングというべきか。
なんにせよ、雪姫にとっては相当な衝撃だったに違いない。
「これまでのあたしはなんだったんだ! って思ったけど、それ以上に嬉しかった。これで大手を振ってお兄ちゃんのこと好きって言えるんだから」
言いながら、雪姫はそっと九曜に手を絡めてきた。
「だからもう一度、今度は恋人として、兄妹をやり直すんだ。あたしはお兄ちゃんのことを知って、お兄ちゃんはあたしのことを知る。だからなんでも、あたしのことなら教えるよ。好きな曲とか、嫌いな食べ物とか」
「でも、作詞した曲は教えてくれないんだろ」
「そ、それは……わ、若気の至りと言うか……」
まだその真っ最中なのだが。
若気のど真ん中が今なのだが。
ともかく。
「分かったよ。これからも兄妹で恋人で、仲良くやっていこう。今までの分を帳消しにできるくらいな」
「…………ん。ありがと」
あまりにも赤裸々に語られた恋心。
この恋は、どこまでが本当のものなんだろうか。
恋の呪毒はいつの記憶から恋心で満たしているのだろうか。
本当は人狼なんて嘘っぱちのでまかせで、雪姫は本当に自分をずっと好きでいてくれたりしないだろうか。
そんな気持ちと、あの時響いた黒い鐘の音が、何度も九曜の頭の中をかき乱していた。
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