料理はまごころ
「
少しずつ秋の中間試験も近付いてきた昼休み。二人で昼食をとっていると、
場所は図書室から少し離れて、階段を昇った先にある自販機横の長椅子。翠が前から使っていたという、人がめったに訪れない穴場だった。
「そうだけど。
「う、うん。まだ告白する前だからだいぶ前に……。図書室で話してる時、学校の購買の話題になって……。昼食もそこで買ってるの? って聞いたら、「うちは父さんが弁当作るから」って」
「あー……言われてみれば、そんな話もしたような……」
前から感じていたことだが、告白される前の翠とのやりとりは、どれもこれもほとんど記憶の遙か彼方だ。それだけ翠のことを意識していなかったのだろうし、意識するつもりもなかった。
それが今ではこうして二人きりで、密かに昼食を共にするようになったのだから、人生というのはわからないものだ。
「やっぱりそうだったよね。じゃあ……うん。よかった、聞いてみて」
「……? なんの話?」
「あ、ううん。×なんでもない×よ。ちょっと思い出しただけ」
何か言いたかったことがあるようだ。
はてさて……と、一瞬首を傾げたが、すぐに思いついた。
「……もしかして、俺の弁当作ってくれるみたいな話?」
「う!? うぅー……雨宮くん、そういうのは気付いても言わないで……」
どうやら当たっていたらしい。
彼女が作るお弁当。恋人としては実に嬉しい申し出である。
……いや、本当にそうか? 他の二人に怪しまれるのでは? 昼は必ず翠と食べると決まっているわけでもないし……。
ここはお父さんありがとうと、心の中で感謝の言葉を述べておくべきか。いや、それより悪い子に育ってごめんなさいが先か。
「それにしても、しっかりしたお父さんなんだね。毎日お弁当作ってくれるなんて。わたしは最近すっかり購買のお世話になってるよ」
「両親のイチャコラに巻き込まれてるだけで、俺らはついでという気もするんだが……。なんにしても、悪いけど弁当は足りてるかな」
「うん。わかった」
言った後、翠は少し考えて。
「……じゃあ、お菓子だったら作ってきてもいいかな?」
「え? ああ、えーと……」
それは大丈夫……かな?
「作ってくれるんならもらうぞ」
「本当!? ……やったぁ。よし、がんばるぞ……」
ぐっぐと両手に力を込めて、翠は残りのパンを頬張る。
「弁当とかお菓子とか作るんだな。百合川って料理得意なのか?」
「えっ!? ……も、×もちろんそうだよ×……? なにしろわたしは、×家庭的な女の子です×から」
苦手なのか……。
まあ得意だったら購買のお世話にはなってないだろう。
それでも弁当を作ってきてくれようとしたのは、甲斐甲斐しいというべきか、無謀な挑戦というべきか。
恋に恋して恋人したいという欲求を感じる。
「まあなんにしても、お菓子作りは料理の練習にはちょうどいいと思うぞ。俺も手伝わされたことあるけど、とにかくレシピ通りに作ればそれなりに形にはなる」
「な、成る程……参考になります」
「料理得意な女子の返事じゃないんだよなぁ」
——というやりとりがあって。
翌日。
「これが……」
「チョコクッキー……の、はずでした……」
見た目はぐしゃっと、中はドロッと。生焼けにも関わらずほのかに炭の匂いが感じられ、甘みのほとんどは苦さにかき消されている。
掛け値なしに見事な失敗作である。
たまに漫画とかで見かけるけど、なんで失敗したものをわざわざ持ってきちゃうんだろうね。
「や、やっぱりこれは見なかったことに……! うぅ……わたしみたいなダメ人間には、やっぱりお菓子作りなんて荷が重かったんだ……。
雨宮くん、いつでもわたしのこと×捨てていい×からね……。絶対、わたしよりもっと雨宮くんに相応しい女の子がいるから……わたしとの関係も、×思い出から消してもらって×……」
「そ、そこまで思い詰めなくてもいいぞ!? ちょっと今回は失敗しただけだろ」
「五回です……」
「え?」
「そのクッキー、五回目だったんです……昨日の夜から何度も作って、何度も失敗して、なんとか形になったのがそれだけだったんです……」
「それは……」
さすがにちょっと、ダメかもしれんな。
「と、とはいえだ! 最初のやつよりは上手くいったわけだろ。だったらそのうち、まともに作れるようになるって! 人間は成長する生き物だから。五回も挑戦できるだけ立派だ」
「うぅ……雨宮くんは素敵だなぁ……わたしみたいな無能で、勉強も運動もダメダメで、いいところなんて何もない、ダメ人間にも優しくしてくれる……。
そういうところが好きなのに、ううん、好きだからこそ、わたしなんかが彼女になるなんて、やっぱりおこがましかったんだ……。ごめんね、雨宮くん。きっと今まで迷惑だったよね……」
いやいやお菓子一つで絶望しすぎだろ。
どこまで落ちていくつもりなんだ、このテンションは。
「ああもう、泣くなって。このくらいで別れるわけないだろ」
「……そうやって雨宮くんに気を遣わせてる自分が、もっと嫌い……」
め、面倒くさい……!
この女、想像以上に面倒な精神をしているぞ。
ハンカチでぎゅぎゅっと目元を拭いて、チーンと鼻をかむ。
それから翠は深々とお辞儀をした。
「……ご心配おかけしました。もうだいじょぶ……大丈夫……です……」
いや、どう見ても大丈夫そうには見えない。
なんなら今にも死にそうな顔色をしているくらいだ。
「菓子作りが上手くいかないくらいで、そこまでへこむか普通?」
「お菓子作りは……いいんです。要領悪くて、手先も器用じゃないってわかってるから……。ただ、やっぱり自分は何やっても上手くいかないんだって思ったら……」
そう話すうちに、また翠は泣き出しそうになっていった。
「雨宮くんに告白して、受け入れてもらえた時は、嬉しかった……。自分にはきっと何か自分でも気付いてない魅力があったんだって……でも、今はやっぱり……不安ばっかりで……。
試しにオーケーしてみたけど、つまらない女だって思われてないかとか。本当は恋人のフリして、裏でみんなと笑ってるんじゃないかとか。こんなこと絶対思っちゃいけないって……わかってるのに……」
すいません。三股の真っ最中です。
しかも後で別れる前提でお付き合いしています。本当にすいません。
それは本当に申し訳ない。が。
「だから落ち着けって。被害妄想が暴走してるぞ。そもそもだな。俺に裏でお前を笑い合える仲間がいるわけないだろ?」
「……それはそう」
いやはっきり認めるなよ。ちょっと悲しいだろ。
「魅力がないなんてこともない。映画デートの時は本当にかわいかったし! 今もよく見ると、隠れてるだけで顔はかわいいし、密かに胸もかなりでかいしな!」
「………………うん」
「……この言い方だと、なんか俺、身体目的みたいじゃないか?」
「…………うん」
やっぱりかー。……じゃないんだよ!
「でも、わたし、身体目的だとしても雨宮くんと一緒にいられるなら……」
「待て待て待て! それは危険な発想だ。立ち止まれ! ステイ! お前は少し自暴自棄になってる! 好きな男のためならどんな形でもってのは非常に良くない。
というか、そもそもお前は俺の——」
言いかけて、当初の。九曜が翠の告白を受けた本来の目的を、不意に思い出した。
そして、改めて呼吸を整え、確かめる。
「——お前は俺の、どこが好きなんだ?」
「…………え……それは……」
わからない。と答えてくれれば、いよいよ惚れ薬——恋の呪毒による悪影響だ。
そもそも、大して深く関わったわけでもない相手に、身体目的でもいい。というくらいに惚れ込む方が不自然なのだ。
適切な距離を取りながら、自分の恋心の違和感に気付いてもらった方がいい。
それでも迫ってくるのなら、今度こそ翠は人狼の筆頭候補にあがることになる。
「…………それは……」
「それは……?」
嘘をつくか? それとも混乱し始めるか?
偽りの恋心についてどういう反応をするのか、ここでしっかりと確かめて——
「……ま、まだ内緒……」
ええー……。
「……俺はお前がかわいいって伝えたのに、お前は内緒なの……?」
「ご、ごめんね。まだ、その、えと、早いっていうか、好き! 好きです! ×ずっと前から好き×でした! それは本当です! ……こ、これでいい……?」
よくねえ!
しかも、好きになったの最近じゃねえか。微妙な嘘をつくな!
恋の呪毒にやられてるんなら、それも当然で……いや、よく考えると、ここからどうやって人狼と人間を区別すればいいんだ?
なんにせよ、翠が自分の恋心について、疑いをもったような様子はまるで見受けられないが……。
「……きょ、今日のところはこれくらいで。もう気持ちが限界……。
で、でもわたし、さっき言われて、改めて思い出したから! 雨宮くんのこと、好きな理由も、離れたくない理由も。だから……!」
「……だから、またお菓子作ったら、食べてみてほしい、です……」
長い前髪の隙間から覗く、真剣な瞳。
その瞳に気圧されて、九曜はもう、
「お、おう。わかった……」
そう答えることしかできなかった。
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