怪しい関係
「昨日はお楽しみだったみたいだねー?
映画デートの翌朝、下駄箱に靴を入れようと腰を落としたところで、突然背後から
耳元にふぅーと息を吹きかけてきて、背筋がぞっと寒くなる。
少しでも動けば一刺しであの世行きといった風情。なんて冗談はさて置くとしても、昨日のデートを夕に知られているとすれば冗談では済まされない。
「誰なのかなー、あの子。×わたしの知らない子×だったなー。ていうか、九曜って一緒に映画観に行く×友達×なんていたんだ。いやー×知らなかった×なー」
やはり昨日の映画デートを知っている。どういうことだ?
昨日は確かに、九曜と翠がデートしている時間、夕はクラスメイトで集まって食べ歩きをしていたはずだ。それはSNSなどの情報でも確認している。
有り得るとすれば、夕が街歩きをしているあいだ、どこかのタイミングで運悪く見つかっていたのだろうか。
「いや、映画のペアチケットが期限切れになるって言うから……」
「それで彼女を放っておいたまま、女の子と二人で映画ですか。はー。いいご身分ですなぁ」
「……そう言われるから黙ってたんだよ。お前だって、俺以外の男と遊びに行くことくらいあるだろ。仲良くしてる奴多いんだし」
「そりゃー、わたしは人気者やってるからね? 男子とも遊ぶよ? ……ただし、九曜と付き合ってからは全部断ってるけどね」
身持ちが固い! そこでちゃんとされると、三股してるこっちの心が痛むからやめてくれ。
いや嘘です。やめなくていいです。嬉しいです。いや本当に嬉しいんだけども! だけどもああ心が痛い!
「あーあ、わたしも九曜にプレゼント買って欲しかったなー。あ、でも変なブレスレット贈って引かれてたのは笑ったな」
ぷぷっと九曜のことを軽く嘲るような調子で、夕が言う。
狼のぬいぐるみをあげたところまで見てたのか……。こいつもはやストーカーのようなものなのでは。
……って、あれ?
「……ブレスレットは、あげてないけど」
「あれ? そだっけ? んー……ちょっと×勘違い×だったかな。ま、×いいじゃんいいじゃんそんなの×は。それより大事なのはさー」
なにか誤魔化しているようだが……それの意味するところが掴めない。
「だったらわたしにも、プレゼントちょーだい」
「………………」
無言で、普段よく噛んでいるガムの余りを一枚渡す。
「ちーがーうー! もっと心のこもったやつー!」
無言で、普段よく舐めている飴ちゃんを一個渡す。
「違うってば! もー。おいしくいただくけども」
受け取った飴を口に入れながら、もごもごと夕は続けた。
「じゃあ今日の帰り、一緒に探しにいこーよ。付き合って一週間記念のプレゼントー、ぱちぱちぱちー。そして見事、わたしが満足するものを選ぶことができたら、昨日のことは特別に見なかったことにしてあげよう!」
完全に
もちろん、夕が満足するもの——というのが、度を超えた価格のものでなければの話だが。
諦めたように九曜が了承すると、夕はふふんと鼻を鳴らし、
「よろしい。では放課後まで、今日も一日がんばろー」
なんとも楽しげに、教室へと先に歩いて行った。
◇
放課後を迎えて、学校を出てしばらくの交差点で。
「おっそーい。何やってたの帰宅部ー」
だいぶ焦れていたらしい夕が、九曜に不満をぶつけてきた。
他の二人の動向を確認し、イルイに監視を頼んでいたのだが、それはさすがに言えるわけもない。
「あんまりタイミング合わせて出ると、付き合ってるのがバレるだろ」
「わたしは別に、バレてもいいけどー?」
嘘こそついていないが、その表情からは、九曜を試すような調子が読み取れる。
やはりまだ浮気を疑っているのか……?
「バカ言うな優等生。これまで上手く仮面被ってきたくせに、こんなことで周りから距離取られてどうすんだ」
「わたしはそれでもいいけどね。でも、九曜が嫌だってお願いするなら、秘密にしとくよ。……どう? どっちがいい? 隠す? バラす?」
夕が面白がってにししと笑う。
正直なところ、今朝から手の平の上で転がされてる感はあるが……さりとて逆らう術もない。
「…………秘密でよろしく……」
「りょーかい。んじゃー、わたしへのプレゼントを探しに行こっか」
夕の宣言とともに、二人は街へと繰り出した。
夕の選ぶ店は、普段の九曜が寄る店とは毛色がまるで違っていた。
インテリアや輸入雑貨店。高級なブランド物は避けつつも、洒落た衣服が並ぶ店。アクセサリーはもちろんのこと、コスメや香水の専門店なども巡る。
入ったこともなければ意識すらしなかったキラキラの店内を歩かされ、九曜の精神は相当に消耗させられていた。
「んー……よさげなのが無いねー」
小一時間を超えてしばらく経った頃。
休憩がてらタコ焼き屋に寄り、二人は店先の長椅子で、一つの容器からタコ焼きをつついていた。
「これだけ時間かけて一つも買わないのはどうなんだ……。もう適当にいくつか買えばいいんじゃないのか。どれか一つくらい当たりがあるだろ……」
「えー、やだ」
「やだって……金出すの俺だろ。もしかして、こっちの懐の心配してくれてんの?」
「ううん。それは全然してない」
「それは全然しろよ」
九曜のツッコミに、夕はけらけら笑った。
「値段はそんな高いもの選ぶ気は元からないけどさ。ほら、九曜からの初プレになるわけでしょ? せっかくならお気に入りを選びたいじゃん」
「まあ……たしかに」
気持ちは分かる。
が、所詮は最長三ヶ月の付き合いだ。むしろ後に残るようなものを選ばない方がいいような気持ちも、九曜の胸中にはあった。
「……このタコ焼きで満足する……ってのは?」
「流石にそれはないわ」
「ちっ」
「当たり前でしょ、×ばーか×」
最後の一個をぱくりと口に入れて、夕はまた九曜に笑いかけた。
そうしてタコ焼きを片付けたところで、ぴょんと身体を持ち上げる。
「じゃ、そろそろ行こっか。つぎつぎー。行くぜ行くぜ行くぜー」
まだやる気の夕に、一つ、はあ、と息を吐いてから。九曜もそれに続く。
「うーん、あっちはもう見たし、向こうは前に見た時いまいちだったしなー」
「……そろそろ時間も遅いし、もうちょい考えて探した方がよかないか? 俺から何か欲しいって言われても、ちょっと漠然としすぎてるっつーか……。なんでもいいわけじゃないんだろ?」
「んー、それはそう。なんだろうなー、こだわりたい要素……こだわり……」
夕は少し考えながら、自分の爪に塗ったマニキュアを軽く弄る。
そして親指をじっと見つめ始めた。
よく見ると、その親指だけマニキュアが塗られていないようだ。これも夕にとって何かのこだわりなのだろうか。
「……指輪とか?」
「指輪はちょっと重いかなー。あ。でもどうせなら、恋人っぽいやつがいいかも」
「恋人っぽい……っつーと、ペアのなんか? マグカップとか?」
「えー、ペアものもちょっと重いような……」
言いながら二人で店の中を歩いていく。
そこでふと、夕が立ち止まった。
「どうした?」
「……これ」
そうして夕が手に取ったのは、一つの黒いチョーカーだった。
「これ良くない? ほら、これをこうして……わたしが付けたらさー。わんわん! わたしはもうご主人様のものですわん! なんちゃって。どう?」
「どうって……お前がいいなら別にいいと思うけど……」
「じゃあこれにしよ! このくらいなら学校に着けていっても大丈夫でしょ。うん、いい感じいい感じ」
そう言って満足したように、夕はチョーカーをレジに持って行く。
その様子を背後から見ながら、
「いや、指輪とかよりよっぽど重いだろ……それ……」
呆れたように呟くのだった。
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