映画館は観るだけじゃない
ならばもう準備は万端。
予定より少しばかり早めに家を出る。そして待ち合わせている駅前には、約束の時間より三十分ほど前に到着した。
するとそこにはもうすでに、翠の姿があった。
「……お、おはようございます。雨宮くん」
「おはよう、百合川。……もしかして俺、待ち合わせ時間間違えた?」
「あ、ううん。そんなことない、よ……? ×わたしも今来たところ×だから……」
どうやらだいぶ前から待っていたらしい。
我慢しきれなかったのか、心配性なのか、あるいはその両方か。なんにせよこのデートを相当楽しみにしていたことは伝わってくる。
服装もなかなか気合いが入っていて、長めのワンピースにゆったりふわふわしたコートを羽織り、小さめのバッグを肩にかけている。
足元の靴はちいさめ、いつもかけていた眼鏡は外しているが、ヘアピンはしっかり付けている。前髪の長さだけは相変わらずだが、今日はいつもより少しだけ目元が見やすいようにも感じた。
総合すると——
「うん。かわいい」
「えぅ!? え、えーと……。が、がんばりました……」
顔を真っ赤にして照れているのが、またかわいらしい。
少し控えめな態度を勘定に入れても、いやむしろ入れてこそ、今この駅前で一番かわいいのはこの百合川翠だと胸を張って言い切れる。
この子が自分の恋人だと思うと、他には形容しがたい昂揚感のようなものがこみ上げてきた。
——まあ、惚れ薬の影響で、三股で、呪いが解けたら終わりの関係なんだけどな。
一通り喜んだあとに、九曜は自分を戒めるように心の中で呟いた。
◇
「そういえば、今日は何を観る予定なんだ? あのペアチケット、観るものは自由だったよな?」
映画館の前まで来たところで、九曜が尋ねた。
「あ。えと、国内の恋愛映画……これ、と、ハリウッドの……このホラー映画。この二つが評判いいみたいで。どっちにするかは、雨宮くんと相談しようかと……」
「ふーん。俺はどっちでもいいな。百合川は映画ってよく観るのか?」
「あんまり……普通かな。気になったものを家で観るくらい……」
「俺も似たようなもんだな。映画館なんて家族に連れ去られた時くらいしか来る機会がない」
並んだ映画の看板を眺めながら、二人で窓口への道を歩いていく。
これもまた一つの、映画館の醍醐味と言えるだろう。
「……あ」
そこで翠がふと、小さな声を上げて立ち止まった。
その視線の先には、『魔法少女ミラクルシャイン劇場版』の看板が置かれていた。
「ん? なんだっけこれ。アニメ?」
「あっ……う、ううん。×なんでもない×よ。ちょっと×つまづいた×だけ……」
「……? 百合川が観たいんならこれでもいいぞ。アニメは俺も結構観るし」
アニメ好きなのを隠したいのだろうか。
今時アニメ映画くらい、色々な人が観ると思うのだが。
「ち、違うよ。これを観たいわけじゃない……から。たまたま目に入っちゃっただけで……。そ、そんなことより、他の映画探そ! まだ何か、面白そうなのあるかもしれないし」
ここでは嘘をついているわけではない。
……ふーむ? 自分一人で観たいのか、それとももう観たとか? 興味があって立ち止まったのは確かなのだが。
「あ。これ気になるかも……。ねえねえ、雨宮くんこれどう?」
「どれどれ」
翠が指差していたのは、親を失った狼が別の群れの中で生き抜くドキュメンタリー映画だった。
◇
「……泣けたな……」
「……最後は号泣だったね…………」
映画デートの弱点は、映画の出来が良すぎるとデートのあれこれを忘れてしまうことにある。
映画が始まってすぐは、手の置き場に悩んだり、ポップコーンを食べようとして手が触れたり、初々しいやりとりをしていた二人だったが、映画が進むにつれてすっかり展開に呑まれ、気付けば二人揃って涙を流しながら主役の狼を応援していた。
だが、映画デートはただ映画を観て終わりではない。
ここからレストランやカフェなどで感想を話しながら、二人で楽しい時間を過ごすのが映画デートの真髄である。
と、その前に。
「うーん……どっちがいいかなぁ……」
すっかり映画を気に入った翠が、売店で狼グッズを選んでいる。そのお供として、九曜も売店をうろついていた。
何か無いかと見ていくうちに、一つのグッズが目に留まる。うーむ、これは……いやしかし……。
そうして九曜が考え込んでいるうちに、翠は買いたいものを二つまで絞っていた。
チャームのセットとぬいぐるみ。
悩んだ末に、翠はチャームの方を選んだようだった。
そうして購入を終えた翠が少しお手洗いに行っている間に、九曜の方も買い物を終えた。
◇
映画館を出て、近くの喫茶店に入る。
そこでようやく、二人は一息つくことができた。
「いやー、思ったより楽しめたな」
「雨宮くんも楽しんでくれたなら、良かった……」
映画デートを誘った側として、それなりの重圧もあったのだろう。ほっと重い荷が下りたような様子で、翠は小さく微笑んだ。
それから二人は、コーヒーと紅茶をそれぞれ飲みながら、しばし映画の内容について、話題に花を咲かせた。
「……あ。そうそう。忘れるとこだった」
二人が追加で注文した軽食を口にしているところで、九曜が思い出したように言った。そうして手荷物の中を探る。
「はいこれ。タダ券のお礼ってことで」
九曜が取り出したのは、映画に出てきた狼のぬいぐるみだった。翠が最後までチャームと悩んでいたものだ。
「わ、わわっ!? ……え、ええっと……もらって、いいの?」
「もちろん。もしかして、もういらなかったか?」
「う、ううん。そんなわけない! この子もやっぱり欲しいなって思ってたから、すっごく嬉しいよ! だから、その……ありがと、雨宮くん!」
もらったぬいぐるみをぎゅうと抱きしめながら、翠が喜びの声を上げる。これだけ喜んでもらえれば、贈った方も冥利に尽きるというものだ。
こういうとき相手が本当に喜んでいることが分かるのは、否応なく全ての嘘を見抜いてしまうこの能力の数少ない美点だ。
「選ばなかった方だからどうかとは思ったんだけど、喜んでもらえたんならなによりだ。なんならいっそのこと、あの魔法少女のアニメ? 気になってたみたいだったから、あれのブレスレットあたりを買おうかと考えたくらいで……」
そう口にしたところで、翠の顔が不意に曇った。
「……あ、悪い。なんか地雷だったか? やっぱり人の趣味に土足で入り込むのは良くなかったよな」
「そ、そういうことじゃないよ! 特別アニメが大好きってわけでもないし。もちろん、嫌いでもないけど……。ただ、魔法がどうとか、そういうのは……×あんまり好みじゃない×、から、アイテムとか、もらうのは×ちょっと×嫌だな……って思っただけで」
妙な嘘だ。と、九曜は瞬間で感じた。
本当は魔法が好きで、だけどもらうのはすごく嫌?
ここに来て今更、九曜は自分が人狼の正体を探っていることを思い出していた。今の嘘には、なにか意味があるのか? まさか恋の呪毒の話をしている……?
「……ほ、ほら! それよりもっと楽しい話しよ? 映画の終盤、他の群れと戦うシーンとか——」
今はひとまず、ここまでか。
楽しい映画と、不可解なやりとり。
最後にもう一度、映画の感想会をめいっぱいに楽しんで、雨宮九曜の初デートは幕を閉じた。
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