第一夜

何事もまずは現状確認から



 九曜くようが三人の少女——百合川ゆりかわみどり鷺沢さぎさわゆう雨宮あまみや雪姫ゆきひめからの告白に応えて、一週間が経過した。


 幸いと言うべきか、その間、さらに告白してくる新たな少女はいなかった。

 恋の呪毒を口にしたと思われるのは、この三人だけと考えてまず問題ないだろう。


「——それで、一週間付き合ってみてどうですか? お三方のご様子は」


 久しぶりに時間の余裕ができたので、九曜とイルイの二人は、放課後の作戦会議を開いていた。


「とりあえず、いきなりキスを迫ってくる奴はいなかったな。奥手なのか、慎重なのかは分からんが」

「いや、普通のお付き合いってそんなものですからね。本格的にいちゃいちゃし始めるのはしばらく経ってからですよ。多分」


 イルイの言葉に、そうなのか……。と九曜は腕を組む。

 何しろ生まれてこの方、色恋沙汰には縁の無かった人生である。それが立て続けに告白三連続。からの三人同時恋愛。戸惑うなという方が無理がある。


「…………じゃあ、三股は今のところ順調ってことですか。……ふーん、そうですか。それは×良かった×ですねー」

「なんだよ、その何か言いたげな態度は」


「いえいえ別にー。ただ、罪悪感とかないのかなーと思いまして」


 イルイが露骨に軽蔑の視線を向けてくる。


「おいおい。俺は人狼を探すための最適な選択をしてるだけだぞ。あいつらの命を守るためでもあるし、罪悪感なんて……そんなくだらないものは……」


 眼鏡ごと顔を掴んで、声を上げた。


「……すっっげぇあるッ!!!」


「正直めちゃくちゃある! 想像以上にある! 百合川とか、俺の好きな色はなに? とか聞いてきて、次の日にはその色のヘアピン付けてくるんだよ! なんなのそのいじらしさ!? 俺のこと好きなの!? いや好きなのは知ってるんだけど!

 で、俺はそのヘアピンをかわいいなって褒めた帰りに、雪姫にせがまれて髪を撫でてやって、鷺沢から送られてきた食事写真にうまそーって返事するわけよ。

 もう何をやってるんだ俺は!」


「すごく上手いことやってますね」


「改めて、世の中の浮気野郎どものことが全く理解出来ん……なぜこれに耐えられるんだ……あいつらと俺は本当に同じ人類なのか……」

「三股されてる女性陣からすれば、九曜さんもそういった方々となんら違いはないのですけどね」


 ぐうの音も出ない正論で返されて、九曜は机に突っ伏した。


 きついのは確かだが、始めてしまった以上はもう逃げ出すわけにもいかない。こうしてイルイ相手に愚痴をこぼすのがせめてもの気晴らしだ。

 と思ったら、今バッサリとその愚痴も斬り返されてしまったわけだが。


「そういえば、当面の目標とかはあるんですか? まずは三人との仲をさらに深めること?」

「……あー、それはもちろん進めていくつもりだが……」


 身体を持ち上げながら続ける。


「まずは百合川のことを細かく探ってみようと思ってる」

「……百合川翠さん、ですか。たしか図書委員をされている……最初に告白してきた方ですよね。どうしてまたそんな狙い撃ちを?」


「疑う根拠が一つあってな。あいつは、俺に告白してくる直前にこう言ったんだ。「今の鐘の音、すごかったね」。つまりあいつは、黒鐘の言葉を信じるなら人狼と役能者にしか聞こえないはずの黒い鐘の音が……」

「聞こえていた」


 その通り。と、九曜は頷いた。


「そうなれば百合川は少なくとも、人狼か、役能者。そのどちらかには該当するわけだ。でも、役能者ってのは、もうほとんど人狼に殺されてるんだろ?」

「……そう、聞いてますね」


「だったら、人狼の可能性が極めて高くなる。単純な理屈ってわけだ。それに、もし仮に外れだったとしても、役能者なら呪いを解いたあとも、人狼探しの力になってくれるかもしれないしな」

「どちらに転んでも得るものがある、ということですか」


「そういうことだ。鐘の音に関しては、どこかのタイミングで鷺沢と雪姫にも聞いてみるつもりではいるが……とりあえず一人目に狙うにはうってつけだろ」


 話している途中で、スマホのアラームが鳴った。


「やべ。もうこんな時間か。またなんかあったら連絡してくれ」

「今からはどちらに?」

「図書室だ。百合川に会いに行ってくる。もし他の二人が図書室に向かうようなら、足止めを頼むぞ」


 そう言い残して、九曜は早足で教室を去っていった。


「言ってることは真面目なんですけど、いちいち人聞きが悪いんですよね……」


 イルイは一言呟いて、大きくため息を吐いた。



 ◇



 図書室の扉を開くと、ちょうど翠が返却された本を書架へと戻しにいくところだった。


「あ……雨宮くん。えと、こんばんは。いつもの席、空いてるよ」


 百合川翠は、はっきり言ってしまえば、大人しく地味な女子生徒である。

 九曜と同じく一年生で、クラスは別。図書室以外で見かける機会はまず無い。

 長い前髪で顔が隠れ気味で、縁の太い眼鏡をかけている。あまり着飾らず、ファッションと言えそうなものといえば、いつも付けているヘアピンくらいだろう。


 行動の方も、あまり積極的なタイプではなく、図書委員としての仕事でも、他人に強く意見するようなところを見たことはない。

 しかし、告白の時は面と向かって想いを打ち明けたあたり、案外芯の部分は強いところがあるのかもしれない、と、九曜は密かに考えている。


「……あの。これが終わったら×少し余裕ある×から、近くにいてもいい……? あ、もちろん勉強の邪魔とかはしないから……」


 もちろん構わない。と九曜が答えると、ぱあと表情が明るくなった。

 うん。かわいい。


「さて……と。とりあえず人狼どうこうの前に、自習を済ますかな」


 この図書館は面積に対して書架がやや多く、机と椅子がまばらに並べられている。その中でも一つ、離れ小島のようになっている席があり、その席で自習をするのが九曜にとっては以前から放課後のルーティーンになっていた。


 翠と話すようになってから思い出したのだが、言われてみれば、こうした自習中に何度か翠とやりとりをしたことがあった。

 もちろん、やりとりと言っても、本の場所を尋ねたり、定期試験の内容について話したり。あとはせいぜい、面倒な生徒相手に困っていた翠に少し助け船を出した程度のものだ。

 悲しいかな、やはり告白されるほどの関係ではなかったというのが、九曜の見解である。


「うーん……やはり怪しい……」

「なにが怪しいの?」


 机からひょこっと顔を出した翠に、思わずのけぞる。

 翠は軽く机を拭きながら、柔らかく微笑んだ。


「雨宮くん、すごくむつかしい顔してたよ。なかなか解けない問題でもあった?」

「あ、ああ……大体そんな感じ……」


 自習は大体済んでいたが、解けない難問は目の前に立ち塞がっている。

 はたしていかにこの人狼探しを解き明かしてみたものか。


「………………」


 そこで翠が九曜をじっと。

 どこか不安げに見つめていることに気付いた。


「……俺の顔、そんなにヤバいか?」

「え! ……あ、ち、違うよ。×なんでもない×から、×気にしないで×……」


 そこで嘘をつかれて、気にするなという方が無理がある。


「何かあるなら言ってくれよ。俺たち……あー、その、恋人なんだし」

「……! ……そ、そう、だよね。わたしたち、付き合ってるん、だよね。うん。そう。付き合ってる……」


 あれ、何この空気? もしかしてさっそく、浮気を疑われているのか!?

 付き合い始めて間もないというのに、構う頻度が少なすぎたのかもしれない。いやしかし、これ以上翠にばかりかかりきりになると、今度は他にしわ寄せが——


「じ、じつはそのぅ。こ、こんなものが……ありまして」


 そう言うと、翠はその小さな口を隠すようにして、二枚セットの紙を取り出した。


「それはえーと……映画のチケット?」


 翠が小さくこくりと頷いた。


「前にお母さんがこれで友達つく——あ。あっ、あっ、あの、えと……あ、×余ったから×って! お母さんからペアチケットもらっちゃって。その時は、使い道ないなって、引き出しに入れっぱなしだったんだけど……昨日、ふと思い出して……そしたら、期限もうすぐで……」


 ひょいとチケットを取って見てみると、たしかに有効期限まではもう一週間も残っていなかった。


「……だから、その……あっ! む、無理なら全然、いいん、だけど……」

「じゃあ次の日曜にでも行くか。無駄にしたらもったいないし」

「へっ……?」


「百合川って家どこだっけ。待ち合わせは駅前でもいいか?」

「あ、う、うん……だいじょぶ……」


 それから予定はトントン拍子に決まった。

 これで今度の日曜日はほとんどを翠と過ごすことになるが、おそらくスケジュールはどうにかなるだろう。


「そんじゃ、そういうことで」

「う、うん……えっと……ふつつか者ですが、よろしくおねがいします……」

「そんな仰々しく言わなくてもいいけどさ」


 苦笑する九曜を見て、翠もようやく笑顔を浮かべた。

 それから、図書室の戸締まりをしなければならないという翠を残して、九曜は先に帰ることにした。


 残された翠は、長い前髪から覗く大きな瞳を輝かせながら、


「これって、デートだよね……雨宮くんと、デート……!」


 帰り道を歩く九曜も、


「……これが人生初デートか……。やばい、なんか今更緊張してきたぞ……」


 お互いどこかそわそわするものを隠しきれずに、深まっていく夜を過ごすことになった。

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