浴室の告白



 翌朝。

 雨宮あまみや九曜くようは自分の席に座って即、隣の席の黒鐘くろがねイルイに話しかけた。


「……考えてみれば、人狼ってのはその場に一人だけとは限らないよな」

「はい? ……まあ、そうでふね」


 朝食代わりなのか、ゼリー飲料をじゅーと吸いながらイルイが答える。


「だとすれば、この学校に人狼が二人いても、おかしいことはないよな」

「いやあ、それは無いと思いまふけど」

「どうしてだ?」

「それはでふね——ぷは」


 じゅぎゅっとゼリー飲料を飲み干したところで、イルイは続けた。


「ほら、二日前にわたしが、黒の鐘を鳴らしたじゃないですか」

「ああ」


 手の平サイズの小さな黒い鐘。にも関わらず、とんでもない轟音を鳴り響かせたことを、九曜はよく覚えている。

 この音は人狼と役能者のみが聞き取れる、ともイルイは言っていたはずだ。


「あれは一回振るごとに一つ鐘の音を響かせるんですけど、周囲に人狼がいる場合、さらに追加で鳴るんです。一人なら一回、二人なら二回。あの時は最初を含めて一つと一回鳴ったので……」


「あの時、学校周辺には一人だけ人狼がいた。ってことか」

「そういうことになります。前から思ってましたけど、雨宮さんって意外と賢いですよね」

「……今俺馬鹿にされてんな?」


 いやいやまさか、と身振りで示してはいるが、明らかに冗談めかした愛想笑いが見て取れる。

 売られた喧嘩は全て言い値で買うのが九曜の信条ではあるが、真面目に取り合う場面でもないか。

 今はドブ底のように濁った目で、イルイの綺麗な顔を睨むだけにとどめておく。


「それにしても、どうして今日はまた急にそんな話を?」

「いや、それが実はな——」


 ——ドンッ!!


 ——と、机に叩き付けるような音がした。


 振り向くとそこには、一人の女子生徒が九曜を睨み付けている。


 差し色に強烈なメッシュの入った髪。

 首にはヘッドフォン。背にはギターケースを背負って、制服の上には薄手のジャケットを重ねている。

 少なくとも優等生でないのは一目で分かるような見た目だ。


「……なんだ、雪姫ゆきひめか。驚かせんなよな」

「×うっさい×。×黙れ×」

「黙ったら何の用か聞けないんだが」

「…………お父さんの作ったお弁当。なんで今日だけ忘れるわけ? ×馬鹿なんじゃない×?」


 言われてみれば、雪姫が机に叩き付けたのはよく見れば弁当だった。

 道理で普段より少しばかり鞄が軽かったわけだ。


「忘れ物を届けに来たってことね。へいへい、感謝感謝」

「言い方が腹っ立つ。この×馬鹿×。——お父さんに×頼まれなかったら×、わたしが×あんたにわざわざ届けたりなんて×……」


 言いながら、雪姫は苛立ちを露わにする。


「……あーもう! とにかく、たしかに届けたから! さっさと食べて×死ね×! この×クズ×!」

「はいはい。死ぬのはいずれな」


 九曜が返事をするより先に、雪姫は早足で教室を去っていく。


「おっとと」

「あ。ごめん」


 そして廊下のところで、ちょうど教室に入ろうとしていた鷺沢さぎさわゆうとぶつかりかけていた。

 それからまた早足で歩いて行く。


「あれヒメちゃんだよね。どしたん?」


 夕の問いに、九曜は机の上の弁当を指差して答えた。


「あのぅ……今の方は?」

「ヒメちゃんだよー。雨宮あまみや雪姫ゆきひめ


 言いながら夕が当たり前のようにひょこひょこと近付いてくる。

 昨日の今日で何事もなかったかのように飄々としているが、仮面を被るのはお得意の女だ。腹の底は探れない。


「雨宮……? ということは……」

「妹だよ。一応俺の」

「双子なんだってさ。全然似てないよねー。まあ男女の双子なんてそんなものかな」


 九曜と夕の説明に、イルイが少し考え込むような顔をしていた。


「ヒメちゃんは学内ガールズバンドの一員でね。これが結構人気あるんだよ。フォロワー数なんと十万超え。ヒメちゃんの担当はベースだったかな。いいなー、わたしも×何か楽器やっておけばよかった×」

「今からでも間に合うんじゃないですか。夕さんは器用そうですし」

「あっはは……じゃあ×前向きに検討×しよっかな? どうせならルイちゃんも×一緒にやらない×? 絶対わたしたち人気出るよ」


 無駄なお世辞をやりとりしたところで、イルイが九曜の方をちらと見た。


「それにしても、なんというか……あまり家庭の事情に口を挟むものではないと思いますけど……」

「仲悪かったでしょ」


 言葉を濁すイルイに、夕がはっきりと答えを返した。


「まーしょうがないよね。キラキラガールズバンドの人気メンバーが、こんな下衆眼鏡を兄に持ってるんだもん。邪魔で邪魔でしょうがないっしょ」

「お前は相変わらず口が悪いな」

「ヒメちゃんもでしょ? でも、九曜以外に酷いこと言うとこ見たことないけど」

「え。まじで」


 兄としては喜んでいいやら悲しんでいいやら。

 嘘だらけの悪態が意味するところも、今ひとつ掴めてはいない。反抗期が両親の代わりに兄に向けられているのだと予想してはいるが。


「あれでも昔は——あー……この話はやめとこ。ほら、鷺沢もそろそろホームルームが始まるぞ」

「はーい。あ、そうそう」


 思い出したように、夕は九曜の耳に小声で、


「例の返事、待ってるから」


 囁くと、小悪魔的な笑みをしながら手を振って、自分の席へと戻っていった。


 すると横から、


「……わたしにもなんとなく状況が掴めましたよ、雨宮さん」


 イルイの静かな声が、チャイムの音にかき消されていった。



 ◇



 結局その後は上手くイルイと二人だけで話す機会を作れず、もう下校時刻。

 学校を出て、最寄り駅までの下り坂を歩いているところで、ようやくイルイと合流することができた。


百合川ゆりかわさんと夕さんのお二人に告白されてしまった、ということでいいんですよね?」


 切り出したのはイルイからだった。

 周囲には同じく下校中の生徒がまばらにいるが、声を張り上げなければ詳しく聞かれることもないだろう。

 九曜もイルイの言葉に応じる。


「……そうだよ。鷺沢からは昨日の昼休み、急にな」

「二日続けて告白されるとは。モテモテですね、九曜さん」

「茶化すな」


 九曜が恨めしそうな顔で見るのを、イルイは微笑みで受け流した。


「それにしても、人狼は一人、告白してきたのは二人……これは一体どういうことなんでしょうか」


「ああ。それについて昨日から少し考えてみたんだが……。例の惚れ薬——恋の呪毒、だっけ? あれって人狼以外の人間にも効くのか?」

「おそらく効果はあると思いますけど……」


「だとしたら、多分それだ。人狼は自分以外の人間にも恋の呪毒を飲ませたんだろう。誰が人狼か煙幕を張るために。実際、俺たちはこれで、百合川と鷺沢、どっちが人狼か分からなくなっちまってる」

「成る程……たしかに、考えられる手段ではありますね。これまでの人狼も、そうした手法で役能者たちの目を惑わしてきたのかもしれません」


 これしかない。とまではいかないが、最も可能性の高い解釈だ。

 そうでなければ、これまでモテとは無縁だった下衆眼鏡が、二日続けて告白されるなんて異常事態が起こるわけもない。


「どっちかが人狼で、どっちかが被害者。そういう構図だな。どうやって見分ければいいのか、見当もつかないが……まあ、両方無視しとけばいいだろ」

「九曜さんって、肝心のところでひどいですよね」


 イルイの非難もどこ吹く風。

 自分の出した結論に満足し、九曜は少し足取りが軽くなる。


 一方のイルイは、少しばかり深刻そうな顔をしていた。


「……でも、仮にそうだとしたら、九曜さんとわたしは単に無視するというわけにもいかないですよ。なにしろ恋の呪毒は——」

「そういやお前、いつから俺のこと下の名前で呼ぶようになったんだ?」


 ふと頭に浮かんだ疑問が口に出る。


「え……えーと、まずかったですかね。同学年に妹さんがいると知ったので、名前で呼ぶ方がいいのかなと……」


 そこで思い出したように、イルイが声を上げた。


「そう! 気になってたんですよ。雪姫さんのこと。慧眼を宿す九曜さんの妹さんだとしたら、雪姫さんも慧眼を持っているということですよね? 人狼に狙われる危険があるので、黒鐘家としては、早急に伝える役目があるのですが」


「ん? この能力って兄妹だったら両方持ってるもんなのか?」

「正確には、家族だったら、ですね。人狼も役能者も、代々遺伝で引き継がれるものなんですよ。だからこそ、役能者たちのほとんどが人狼に殺されてしまったのが人類にとって致命的なんです」


「へー、そうなのか」


 九曜は呑気な声を出す。


「間の抜けたこと言ってる場合ですか! 今は仲が悪いとか言っている場合じゃなく——」

「あー、そういうことなら問題ない」


 ドブ底のように濁った目はそのままに、九曜はさらっと言い放った。


「あいつと俺、血繋がってないから」


 イルイの動きがピタっと止まり、それからくい、と、首を傾げた。


「えっと……双子なんですよね……? 血が繋がってない双子とは……?」

「実際には、双子ということにしてる。って感じだな。正式な書類だと、俺は両親の養子なんだよ。

 なんでも雪姫が産まれた日に、病院の前で拾われたとかなんとか……。そのあと紆余曲折あって、結局最初に拾った今の両親が養子にしたって話だ。

 生年月日を拾った日にしちゃったんで、双子だって言うのが一番面倒がなかったんだとさ」


「そ、そうだったんですね……」

「だからお前が俺のところに来た時は、逆にやっと来たかと思ったくらいだよ。本当の両親と、嘘を見破る変な能力。なんかあるんだろうなという気はしてたから」


 そしてイルイの話を聞く限り、おそらく実の両親は……。

 というところまでは、口にしないでおいた。言わずともお互い察するところでもあるだろう。


「雪姫さんは、そのことは……?」

「多分知らないんじゃないか? 父さんと母さんは俺にも嘘ついて隠そうとしてたくらいだしな。まあ、いずれは伝えることにはなるんだろうけど——って痛って!」


 急に何かに押し飛ばされて、イルイに寄りかかる。

 ふわりと柔らかく、いい匂いがした。


「——っと、悪りい」

「……あ。いえ。だ、大丈夫、です……」


 びっくり顔をしたイルイの肩を両手で掴みながら、ぶつかってきた何かの方へと目をやる。


「…………こっちは、大丈夫じゃねえかも」

「……え?」


 九曜の視線の先には、全力で走り去るギターケースを背負った少女。九曜の血の繋がらない双子の妹、雪姫の姿があった。



 ◇



 何を聞かれた? というか、どこまで聞かれた?


 一家四人の夕食では、雪姫の様子は普段と何も変わらないように見えた。

 普段通りに全員で食事の用意を手伝い、普段通りに食事中は両親ののろけ話を聞かされ、普段通りに九曜と雪姫で食器洗いと片付けを終えた。


「じゃあ、九曜。明日は弁当忘れないで」


 学校や両親の出かけている時は、口を開けば罵詈雑言が飛んでくる雪姫だが、家族でいる時はこうして澄まし顔で話しかけてくる。

 両親の前では猫を被っている、というには嘘が少なすぎるのだが、だからといってこの調子が本来の姿という気もしない。


 九曜としてはどうにも落ち着かない気分のまま、夜は更けていった。


 学校の課題に、追加の自習を終え、ぐーっと一伸び。

 明日も早い両親が仲良く寝室に戻った頃に、九曜は自室を出て浴室へと向かった。


「…………あー……しんど」


 湯に浸かっていると思わず声が出る。

 ここのところ、勉強以外の気苦労が立て続けでなかなかに疲れがたまっていた。


 これまでの高校生活でも、先輩に睨まれたり、教師に疎まれたり、何かと他人よりトラブルが多かったのは事実だ。

 しかし九曜にとってみれば、そうした敵意や不快はもはや慣れたもの。いつも通りに嘘を見破り、急所を暴き、相手の側から崩れていくように仕向けるだけで済む話だった。


 だが、今回は少し勝手が違う。

 恋の呪毒という嘘偽りで塗り固められたものとはいえ、恋心をまっすぐ向けられる。というのは、なんというか……


「……いっそ、こっちが恥ずいんだよな」


 湯船に沈みながら、そんなことを独りごちていた。ら。


 バァン! と、景気よく浴室の扉が開いた。


「——な、なんだァ!?」


 とっさに目をやった扉の先には、衣服の全てを脱いだ雪姫の姿があった。


「……は? え、何? 急に何で……俺今入ってんだけど!?」

「入ってたら何」


 すたすたと浴室に入ってくると、タオルを横に置いて、雪姫はその名のごとく白い肌に湯をかけていく。


「いやいやいや、おかしいだろ! なんで俺が入ってるのに入ってくるんだって聞いてんだよ!」

「べつに×兄妹なんだからいい×でしょ。……いつも一緒に入ってたし」

「何年前の話だよ!? 中学上がるより前にはもう風呂は別々だっただろうが!」

「だからって、今日一緒に入っちゃいけない理由にはならないから」


 相変わらず口が減らない。

 そうして言い合っているうちに、かけ湯を終え、雪姫が浴槽に入ってくる。


 一瞬裸の全身が目に入ってしまったので、九曜はとっさに目を逸らした。

 胸は少し控えめながらも、幼い頃の記憶にあるものとはまるで違う、女になった身体だった。


「なんで壁見てるの」

「なんでってお前……」


「別に裸くらい見たっていいでしょ。本当の家族なら、さ」

「——! お前、やっぱ聞いて——」


 振り向いた時には、目と鼻の先に雪姫の顔があった。


「……血が繋がってないなら、もう我慢しなくていいよね?」


 さらに近付いてくる顔から、九曜は少しばかり自分の顔を引く。


「あたし、昔よく言ってたよね。「お兄ちゃんのお嫁さんになる」って。……あれ、今でも思ってるから」


 言いながら、今度は身体を寄せてくる。

 雪のような肌が、ぴたりと九曜の身体に吸い付いてくる。


「いや、待て。これはお前……違うんだって……」


 まずいぞ。もうすでにこれは喰われる寸前。

 性的に? いや、生的に。


 ——いいや、そんなことよりも!


 肩を掴んで押し返し。ざばあと湯船から全身を持ち上げる。

 目の前にぶら下がったものに、雪姫が目を白黒させた。が、すぐに九曜の顔へと目線を戻した。


「——雪姫。お前は、一旦落ち着け。俺も落ち着く。それで明日、もう一回話をしよう。それでいいな? ……いいか? ……返事は?」


「………………」


「……うん」


 雪姫は九曜の目を見ながら、こくり頷いた。


「よし。いい子だ。じゃあ俺は出るから、お前はもう少し暖まってから出てこい。そろそろ寒くなってくる時期だから」


 雪姫のメッシュの入った髪をくしゃくしゃと撫でてから、九曜は浴室を出て行く。

 その時小さく、


「……クソ人狼。舐めてんのか」


 呟いたのは、雪姫の耳には届かなかった。


 そして、残された雪姫は、


「…………あたしは本気だよ、お兄ちゃん」


 これまた小さく、一人になった浴室で呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る