渡り廊下の告白
「それは、人狼の仕業かもしれませんね」
翌朝。
自分の席なのだから座っていて当然なのだが、昨日の奇っ怪な告白もどきを経験したあとでは、妙な居心地の悪さがある。
ともあれ、イルイは九曜が席に着くなり、
「あのあと、何かありましたか?」
と尋ねてきて、九曜がおおまかに起きた出来事——具体的には、雨宮九曜が
呆れたらいいのか、怒ってみせればいいのか。
相変わらずイルイの脳内は人狼やら
今回の告白も、イルイからしてみれば人狼という人類の危機と関わっているということになるらしい。
「もはや何を言っても無駄な気はするが……仮にお前の、人狼に狙われてるって話が事実だとしても、だ。そこに恋愛のいざこざがどう関わってくるんだよ。関係ないだろ明らかに」
「いえ、大有りですよ。むしろ。何しろ人狼が人間の魂を喰らう方法とは——」
「おっはよー、お二人さん。どったの? 今日はずいぶん珍しい組み合わせで話してんじゃん」
そこに一人、別の女子生徒が会話に割り込んできた。
「うげ。面倒な奴に捕まった」
「えー? 面倒とは心外だなぁ。わたしはかわいい転校生ちゃんが厄介な悪い男に引っかからないよう、×護ってあげようとしてるだけ×なんだけど?」
「ほらまた適当なことばかり言いやがる」
「あはは、冗談冗談。そんな怒んないでよ」
笑顔を見せる女子生徒に、イルイが話しかける。
「ええと……あなたは、このクラスの学級委員長さん、でしたっけ」
「そだよー。学級委員の
少しばかり軽くした髪色に、短めのスカート。
爪にはうっすらとだけピンクのマニキュアをして、メイクも程よくナチュラルに。
教師に目を付けられず、かといって女子の間で取り残されることもない。全てが計算ずくのような格好をした女子だ。
誰もが認めるクラスの人気者であり、何か催しをする際には、ほとんどの場合この少女がまとめ役となって話を進めていく。
陰にして負に属する九曜とは、まさに対極に位置する存在と言っていいだろう。
「ねえねえ。黒鐘さんのこと、ルイちゃんって呼んでいい?」
「いいですよ。では鷺沢さんのことは……」
「夕で! みんなそう呼んでるし」
なんにせよ、夕が話しかけてくれたことは都合がいい。これでイルイの妄想に付き合わされることもない。
百合川翠の告白については悩ましいが……とりあえず、考えるのは後回しにしてしまおう。
これでとりあえず、今この瞬間はやり過ごせて——
「ところでさー。二人はさっきまで、どんな話してたの?」
——いない。普通に夕がぶっ込んできた。
机に手を突いて少し前のめりに、圧をかけてくる。
「興味あるなー、二人のやりとり。二人の間って、昨日までは一つの会話もなかったよね? それが急に仲良く話してるなんて誰だって気になるでしょ。気付いてた? みんなの注目が二人に集まってきてるの」
おいおい。まさかここであの黒歴史ノートを披露することになるのか?
流石にそれはやめてほしい。ましてや鷺沢夕の目の前でとなったら、今後どれだけ慧眼賢者人狼とネタにして遊ばれるか、想像するのも恐ろしい。
「ええと、そうですね……」
頼む。待て。思い止まれ黒鐘イルイ。
「……雨宮さんには、×今度の試験範囲について、教えてもらっていました×。いつも試験で高順位だと小耳に挟んだので」
おや?
どうやらここで嘘をつく常識はわきまえていたらしい。助かった……のだろうか?
「…………ふうん。×なーんだ×、そーゆーことね」
意味深な笑みを浮かべながら、夕は二人から少し距離を取った。
「だったら、今度からはわたしが教えたげるよ。わたしってば毎回学年一位だし」
「……そうなんですか?」
「そうだよ。つーか、なぜわざわざ俺に聞く」
少しばかり話すようになってから、毎度試験結果が出るたびに、夕から軽口で煽られるのが九曜と夕にとっては恒例のやりとりとなっている。
夕は常に学年一位。九曜は十位前後をふらふらしているので、そこまでシビアなライバル関係というわけでもないのだが。
「まーなんにしてもさ」
夕はちらりと九曜の顔に目をやってから続ける。
「ルイちゃん、あんまりこいつと関わんないほうがいいよ。エースとキャプテンを仲違いさせて野球部潰したり、先生を半年で二人も辞めさせたり——いつも面倒ごとばっかり起こしてる、学校一の厄介者なんだから。
ルイちゃんみたいな超かわいい子がこんな
そう言って釘を刺すと、さっと身体を翻し、夕は自分の席へと戻っていった。
「……どこまで本当なんですか? 今の」
「ほぼ全部」
少しばかり嘘があった部分については、言っても無意味だと九曜は判断した。
「それじゃあ、これ以上目立つといけませんので、続きはお昼休みに。第二校舎の屋上で待ってますね」
こいつ、あれだけの警告を受けて何の反省もしてねえな。
九曜が呆れているうちに、ホームルームのチャイムが鳴った。
◇
「——で? 人狼がなんだって?」
昼休みの第二校舎屋上。
毎日両親に持たされている弁当をかき込みながら、九曜はイルイに尋ねた。
朝から昼休みまでの間、九曜は何人か適当な人間を捕まえ、尋問——もとい、質問をしていた。内容は昨日イルイが鳴らした鐘の音についてだ。
放課後まで残っていた生徒は何人かいたものの、皆一様にそんな音は聞いていない、と答えていた。
九曜は最も近くで聞いたとはいえ、頭の奥まで響くような轟音だ。誰一人聞こえてすらいないというのは考えにくい。
もちろん、質問をした生徒が嘘やごまかしをしたというのは有り得ない。
それだけは、九曜は自信を持って言い切れる。
ならば少なくとも、あの黒い鐘に関して言えば、何らかの超常現象に違いないと考えるのが妥当だろう。
イルイは、少し不思議なこの世界について、多少なりとも真実を知っている。
それが九曜がイルイの呼び出しに応じた理由だった。
「ではさっそく、人狼と思われる人物への対処法についてですが——」
「あ、ちょっと待った」
弁当の米粒をつまみながら、九曜が言葉を遮る。
「悪いんだけど、正直昨日の話、全くまともに聞いてなくてさ。人狼とかやく——なんだっけ? 能力者? それ系の話もまるで把握できてねえんだわ。ちょっと一回、最初から説明してくんない?」
「え。ひどくないですか、それは。わたしがせっかく慎重に慎重を期して……まあ、いいですけど……では、まず人狼と
「ああ、もちろん手短にな。肝心なとこだけでいいから」
「………………。はい、わかりました……」
どこかしょんぼりしてしまったイルイが、人狼と役能者について話し始めた。
「ええと、まず、この世界には人狼という存在がいます。一見すると人間の姿をしているのですが、人の魂を喰らう、危険な怪物です。
人狼に魂を喰われた人間は、すぐに殺されてしまうこともありますし、人狼の操り人形にされることもあります。どう扱うも人狼の自由、という状態ですね」
「ふうん」
即死するだけではない。というのはポイントだろうか。
まあとりあえず、魂を喰われたら終わりということだけ覚えておけばいいだろう。
「対して、その人狼と戦う、そうですね……正義の味方、とでもいえばいいんでしょうか。そういった特別な力を持った者たちも、同時に存在します。この人々が
人狼に操られた人物を見付けたり、人狼から魂を一時的に護ったり、色々な役能があります。まあ、ほとんど役に立たないどころか厄介な邪魔者の狐とかもいますが——それは置いておいて」
これは人狼に対抗できる能力者がいますよ。ということで問題ないだろう。
「そういった役能者の中でも、最も重要なのが、時に賢者とも呼ばれる役能者——人狼の嘘を見破ることのできる、
役能者たちは主にその慧眼の力を使って、人狼を見付けていきます。「あなたは人狼か?」と聞けばすぐに正体が暴かれるのですから、非常に強力な役能です」
人間たちの中に潜む人狼は、慧眼によって特定される。と。
これだけ考えれば、なかなかに役能者側が有利な状況には思える。慧眼を持つ人物さえ一人見付ければ、後はその一人を護りつつ人狼を暴いていくだけだ。
「ところがある時、その慧眼から正体を隠し通せる手段が発見されてしまったんです。それが——恋の呪毒です」
あれ? なんか流れ変わったな。
「恋の呪毒を飲んだ人狼は、一時的に『人狼』から『恋する少女』に性質が変化します。そうなると「あなたは人狼か?」と聞いて、いいえと答えても嘘だと見抜けなくなるのです。その人狼はもう『人狼』ではなく『恋する少女』なので」
んんんんん?
「待て待て待て。なんか話がおかしくなってきたぞ。えっ、ちょっと待って? まず恋する少女って何?」
「恋する少女は恋をしている少女のことですね」
「情報が増えてねえんだわ! というか、恋をしている少女って何! 恋をしている少女なら誰でも恋する少女なの!?」
「そうですが?」
「そうですが!?」
九曜が素っ頓狂な声を上げてから、頭を抱える。
「え? 待て待て。一旦情報を整理させてくれ」
「まず、人狼がいます。人狼と戦ってる役能者って連中がいます。その中でも慧眼が強いです。でも人狼が慧眼に正体を見破られないための手段が開発されました。それが——」
「恋する少女です」
「なんで!?」
「知りませんけど、事実として恋する少女を見抜けずに、慧眼持ちを含む役能者はほとんど死に絶えてしまいまして」
「そんなことある!?」
使われている用語と語られている結果に落差がありすぎて、風邪を引きそうだ。
「まあ恋は戦争と聞きますし」
実際に死者が出るのは想定してねえんだわ。ついでにそれは一般的に痴情のもつれって言うんだわ。
「ともあれ、そういうわけですので、恋する少女に狙われた際には、人狼だと疑わなければなりません。もし誤って心を許してしまえば……死にます」
結論が重い。
そして即死への距離が近すぎる。最寄りのコンビニより近い。
「と、ともかくだ。人狼だろうと恋する少女だろうと、結局は人狼に魂を喰われなきゃいいんだよな」
「そうですね。具体的には——」
言いながら、イルイはそっと自分の指を自分の唇に当てた。
「キスされないようにしてください」
……なぜ、キスを? いや、もうなんとなく予想はついてきたけれど。
「どういうことかといいますと、人狼が魂を喰らうにはですね——」
「いや、もう説明はいい。大体分かった。キスをすると魂を喰らうんだろ。人狼が恋の呪毒とやらを飲んで、恋する少女になって、相手に取り入って、キスをすると相手は死ぬ。そういうことだな」
「その通りです。ご理解いただけて光栄です」
もはや真面目に聞いている自分がおかしくなった気分だ。
九曜からすれば、一応は自分の出自や立ち位置について、重要な情報を聞かされる覚悟でここに来たのだ。
それが実際には、恋だのキスだの。ただ甘ったるいばかりの恋に恋する少女のような——いや、実際に恋する少女が問題になっているのだが、ええい、もうそんなことはどうでもいい!
「あーもう! つまるところお前が言いたいのは、だ。俺に近寄ってくる女は、惚れ薬で誤魔化してる嘘吐きかもしれないぞ。ってことだな。
まあそっちの方が話は早い。百合川とか、俺との関わりなんてほとんど無かったしな。惚れ薬でも盛られてないと、告白なんてしてこないだろうし」
「……そうですか?」
「えっ、なんでそこで否定してくんの!? ここは俺に同意して、百合川が人狼で間違いない、これでこの学校は平和になりましたね。で終わるとこじゃねえの!?」
「まあ×それでもいい×ですけど……」
「なんで当のお前が不満げなんだよ! つうか変なところで嘘をつくな!」
不快なノイズ混じりの言葉に、九曜が思わず声を荒げる。
「……そういえば、慧眼を宿してることはもう隠さないんですね、雨宮さん」
「ああ? あー、それはそもそも、そこまで隠してねえよ。慧眼とか役能者とかは初耳だけど、俺が嘘を見破れること自体は無理に隠したことなんてない。本気で信じる奴がほとんどいないだけだ」
「確かに、自分は嘘を見抜けると言い出す人は結構いますしね」
そしてその大半が勘違いだ。
が、偶然当たることもままある。その一つだと思われれば、嘘を見破る能力程度、大して話題になることもない。
「そういうわけだから、俺は嘘を見破れる。そして、お前はこの説明の中で嘘をついていない。これは少なくとも事実だ。だからといって、お前の話が真実である証明にはならないが」
「……? ……ああ、成る程。たしかにそうですね」
嘘というのは往々にして主観的なものだ。
人狼が恋する少女になれば主観的には人狼でなくなるように、本人が本気で信じている間違いは本人にとっては真実として語られる。そこに嘘という混じりけの色は生まれない。
例えば、イルイが酷く妄想癖の強い女子ならば。これまで語った言葉の全てが妄言だったというのも当然有り得るわけだ。
「とはいえ、一応今回のお前の話は本当だとは思ってるけどな」
「それは……ありがとうございます?」
「感謝されても困るんだが……とりあえず、百合川が人狼だってことなら、お前がどうにかしてくれるんだろ?」
「人狼だと確定した対象を、管理する機関はありますね」
「……なんか怪しい響きだけど、大丈夫かぁ? ……まあいいけどさ」
片付けた弁当を手に立ち上がると、九曜は大きく伸びをした。
「しっかし、百合川も可哀想だよなー。いくら人狼とはいえ、惚れ薬で無理矢理俺なんぞを好きにさせられるとは」
「たしかに雨宮さんはあまりモテそうな見た目ではないですよね。けしてブサイクとは言わないですが、口は悪すぎますし、ドブ底のように濁った目をしてますし、眼鏡ですし」
「ちょっとはオブラートに包めや。そして眼鏡は関係ねえだろ眼鏡はよぉ」
軽口を言い合ったあと、周囲に怪しまれないよう二人は別々に屋上を後にした。
◇
弁当を片手にぶら下げながら、第二校舎から教室へと帰る途中。
ちょうど自販機が目に留まった。色々と並ぶ中から、コーヒーを選んでほいっとボタンを押す——
——というところで、すぐ横から指が伸びてきた。
自販機の取り出し口に期間限定フレーバーらしき炭酸飲料が落ちてくる。
「や。おっつかれー、九曜」
「鷺沢……。お前こういう嫌がらせいい加減やめろよ」
「あはは、まあいいじゃんいいじゃん。結構×おいしい×んだよ? それ」
言いながら、鷺沢夕はもう一度自販機のボタンを押す。
「わたしはこれーっと。そろそろ昼休み終わるし、一緒に戻ろっか」
「いやお前……はあ。まあいいか」
夕が購入したコーヒーを飲みながら歩き出したので、九曜も仕方なしにそれに続く。
こちらも炭酸の蓋を開け、ぐいと一口飲んだ。
「……九曜さー。この昼休み、なにしてたの?」
「は? 急に何だよ。そりゃ当然、弁当食ってたけど。うわまっず、なんだこれ。えーと……カレー福神漬け味!?」
「……お弁当、誰と食べてたの?」
「誰って……誰でもいいだろ別に。ええ……なんだよこれ……口の中が混沌としてんだけど……」
九曜の地獄のような食レポを無視して、ふーん、と夕の茶色のカラーコンタクトの瞳が細くなった。
「黒鐘さんと会ってたの、そんなに隠したいんだ」
げふっ、と思わず咳き込んだ。
焦ったのか、もう一口飲んでみた炭酸フレーバーの不味さに驚いたのかは、九曜自身も分からない。
「……だとしたら、なんか問題あんのか」
「…………無いけど」
コーヒーの缶を口だけ付けて、また離す。
「付き合ってるのかなー、とか、思って」
また思わず噴き出しそうになったが、幸いなことに口の中には飲み物は含まれていなかった。
「なわけねーだろ。
「じゃあ、友達?」
「……でもない、けど」
じゃあなんだと言われると困るのだが、
「……まあ、知り合いというか。協力者というか。そういう感じだ。いつもみたいな敵対関係とかでもないし。お前の心配するようなことは起こんねーよ」
「ふーん……なら×いいけど×」
よくないんかい。なんなんだ? さっきから。
「じゃあさ。わたしと九曜って、友達かな?」
話が繋がっているようないないような。
今それあんまり関係なくないか。
「少なくとも友達ではないだろ。というか、前にも言ったが、お前に友達はいない」
吹き出すように、夕が笑った。
「あっははっ! 覚えてたんだ、あの時のこと。×やだ×なー、もう。そういうの気持ち悪いよ? まったく、君はもうちょっと女心ってやつを考えてだねー……」
「…………」
「……」
しばしの無言。から、不意に。
「わたしたち、付き合わない?」
一瞬、空気が凍り付いた。
は? 何? 誰と誰が? え? また告白? 何かの間違いだろ? あ、もしかしてこいつが人狼……? じゃあ百合川は? あの告白は何?
思考がフル回転し、代わりに身体の動きは止まる。
その静寂を破るように、予鈴が鳴った。
「あ、次移動教室じゃん。急がないと。あとこれ、残りあげるね。実はわたし、苦いのって苦手なんだ。じゃあ、また教室で」
そう言って飲みかけのコーヒーを押し付けると、鷺沢夕は駆け足で走り去ってしまった。
そしてその場には、
「え……ええ…………?」
困惑するばかりの雨宮九曜一人が残された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます