十月二十六日③ 南田博雄

 広間の中央にたたずむ西洋甲冑は、大きな盾を持っている。

 幸恵に張り付いているはずの蟲達が、その周りを取り囲んでいた。

 がらんとした部屋の中には、他に誰もいない。


「幸恵」


 辺りを見回してもう一度妻の名を呼んだが、答える者はない。


「今晩は」


 甲冑から男の声が響いた。

 かちゃかちゃと金属が擦れる音と共に、男はゆっくりとお辞儀をした。


「幸恵はどこだ」


 南田の声は怒気をはらんでいる。対峙している人間が何者であれ、それが男という時点で許せなかった。

 幸恵は性懲りもなくまた男をくわえこんでいるらしい。

 今度こそきっちり躾けなければならない、と決意を新たにする。

 南田はバックパックを重みのある音と共に床に降ろした。中には小型の斧やロープ、ライター、手錠などの他に、我流で作成した紙人形も入っている。

 金属バットを取り出して、両手でしっかりと握りしめた。


「南田博雄さんですね」


 甲冑男が動くたびに耳障りな金属音がし、余計に南田を苛立たせた。

 男の高くも低くもない声は微かに震えており、怯えと緊張を感じさせた。ヘルメットのせいで正確な年齢は伺い知れないが、恐らく南田とそう変わらない、中年男と思われる。


「幸恵はどこだって聞いてるんだよ」


 荷物を降ろして身軽になった南田はつかつかと近づくと、手にした金属バットで殴りかかった。

 男の構えた盾が大きな音を立てた。


「それは、教えられません」


 盾に隠れるようにしながら男が声をあげる。

 南田は舌打ちをすると、取出した紙人形を何枚もばら撒いた。纏わりついていた“影”達が一斉に紙に溶け込み、黒い人形となって立ち上がる。


「ひっ……」


 男が小さく悲鳴を漏らした。


「物々しい格好してるわりには腰抜けじゃねえか。怖いんならとっとと幸恵を返せ!」


 南田は思い切り男を蹴りつけた。安全靴を履いた足は、綺麗に盾の中央にヒットした。


「いいえ。彼女は貴方とは会いたくないとおっしゃっています」


 黒い人形達が緩慢な動作で男にたかった。

 たとえ何を身に着けていても、“影”はあらゆる隙間から入りこみ魂をけがして破壊する。

 が、人形達は盾に触れたものから順に蒸発するように消えていき、灰となって床に散った。


 南田は動揺した。

 これまで“影”が通用しない経験をしたことがなかった。

 だが。

 今度は、両腕とバットに“影”を集中させる。

 こうすることで、よろい越しであっても、相手を害することができる。

 やはり、自らの手で罰する方が性に合っている。こいつの後に、幸恵も。

 男の頭を狙って、横にぐように振り抜いた。

 狙いは少し外れ、盾の側面を殴る形になった。

 衝撃でバランスを崩した男が、ガチャンと音を立てて倒れた。


「幸恵、いるんだろう! お前が出てこないせいで、今からこの男が死ぬんだ!」


 叫んでから、広間の奥に扉があることに気付いた。よく見なければわからないほど壁に溶け込んでいる。

 あそこにいるに違いない。

 駆け寄るが、施錠されていてビクともしない。

 開かないのなら、壊してしまえば良い。力をこめてバットを振りかぶった。


 ガギン


 南田の身体が勝手に回転し、バットを振り下ろした先には、甲冑男が立っていた。またしても盾で受け止められている。


「……どういう、ことだ」


 


「南田さん、もうちょっと二人でお話しましょう?」


 南田はやっと違和感に気付いた。


 


 南田は、ポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、振り返って扉に投げつけた。

 まるで磁石に吸い寄せられるように、ナイフは軌道を変え盾にぶつかり、落ちた。


「お前、何をしたんだ」


「それは、秘密です」


 人を食ったような返答が、不気味さをき立てた。








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