迎えと転職

「おはよう、深麓さん。準備は出来たようだな」

 いつものように遅い朝食を済まし、バイトへ行く準備を終え、さあ出掛けようかと玄関のドアを開けたら、目の前に眼鏡を掛けた白衣姿の男が立っていた。

「え……え? あの? 神原さん?」

「さあ、行こうか。あそこに車を停めてある」

 戸惑う俺を他所に、神原さんは道路に停車している車を顎で示して、スタスタと歩き出した。

「え、え? ちょっ、ちょっと! すみません! 俺、これからバイトなんですよ!」

「ん? ああ、バイト先には連絡してあるから問題ない」

 慌てて呼び止める俺とは対照的に神原さんはさらりと冷静に答える。

「え? 連絡したって言われても……」

「心配か? 大丈夫だ。キミの辞職は滞りなく受理された」

「あ、そうですか……って?! 辞職っ?!」

「ああ、当分はこちらの活動に専念してもらうわけだからな」

「か、活動に専念って、いきなりそんなこと言われても困りますよ!」

 俺の言葉に神原さんは訝しげな表情を浮かべると、片手を腰に当て、空いた手の人差し指で眼鏡のフレームをポンポンとリズム良く叩き始めた。

「深麓さん。6³の活動は誰でも出来る事ではないんだよ。言い方が悪くなってしまうが、キミがバイトを辞めたところで代わりはいくらでもいる」

「そ、それは、でも……」

「実の所、6³は人材が豊富とは言えない。まぁ、職務内容がアレだからね。そういうわけだから、キミは6³にとって必要不可欠なんだよ」

「そ、そうですか。わかりました……だけど」

「わかってるよ、お金の心配だろう? 大丈夫だ。6³の活動は無償ボランティアではないから給与も出る。寧ろ、今より生活が豊かになるはずだ」

「えっ? そうなんですか?」

「6³は公的機関だ。一応、公務員という扱いになるから安定した生活を送れるようになるんじゃないかな?」

「そうですか! 良かったぁ。安定した生活かぁ」

「……ある意味、だがな」

 これからの生活に期待を膨らませて顔を綻ばせる俺を横目に、神原さんはボソリと呟き車へと歩き始めた。

「え? なんですか? 何か言いました?」

「いや、何も。さあ、車に乗ろう」

 神原さんは振り向くことなく、前方にある黒いセダンを指差した。

「あ、はい! あ、あの、神原さん。6³って、いつもこんな感じなんですか?」

「ん? 何がだ?」

「あ、えーと……いきなり訪ねてくるんですか?」

「いきなり? そんなわけないじゃないか。今日の事は栄月さんがキミに連絡しておくと言っていたが?」

 神原さんは後ろに付いて歩く俺の言葉に、顔だけ向けて答えた。

「あ……はは。そうだったんですか」

「ん? なるほど。そういうわけか……」

 苦笑を浮かべる俺を見て、神原さんは納得したように首を軽く振って立ち止まると。

「深麓さん。振り回されないようにな」

 労うように肩を叩いてきた神原さんに、俺は溜め息で返した。

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