美女と廊下
長い廊下を歩いていた。
白い壁に白い天井、真っ黒な床の廊下。
先を歩く白いヒールブーツを眺めながら、その持主の後について歩いていた。
長く艶やかな黒髪で、かなりの美人と言える整った顔立ちの女性。
鮮やかなブルーのジャケットに白地のインナー、濃紺のデニムパンツが良く似合う。
芳醇な大人の色香を纏った二十代半ば位と思われる女性。
「すごい長い廊下でしょ? でも、あと少しだから、ね?」
美紅さんは振り返ると、靡いた髪を撫で付け、首を傾げて見つめてきた。
「あ、いえ、あの、大丈夫です。全然、はい」
その仕草と不意に漂った馨しさに動揺し、返答に戸惑った。
まぁ、それも仕方がないことだ。
小一時間前に出会ったばかりの女性に気の利いた台詞を返せる程、齢十九の俺は経験豊かとは言えなかった。
相手が美人であればなおさら、さらに自分好みの容姿であれば当然のこと。
その結果、気後れして委縮し、この有様だった。
俺は自分の容姿は悪いとは思わないが良いとも思わない。
体格は中肉中背。
学業に関しては、中の中。
服装のセンスは可もなく不可もない……と思う。
ちなみに、今は軽いダメージ加工が入ったジーンズを穿いて、Tシャツにパーカーを羽織ったという、いつもの恰好。
まあ、物語の登場人物に例えるなら、通行人B、村人3、クラスメイトの一人、というような役に収まる。
『普通』 『モブ』 『平凡』
そんな言葉がぴったりと当てはまる。
俺は自分自身をそんな風に捉えていた。
ただし、ある事を除いては……。
「そういえば、数哉くん? 誰かに教わったりしてたの? 正直、どこにも所属すらしてなかったなんて、びっくりしたわ」
首を傾げたまま微笑を湛えて、美紅さんはそう尋ねてきた。
「あ、いえ、あの、教わる、というか。誰かとか、ない、です。特には」
「ウソ?
俯いてたどたどしく答える俺の横に並び歩き、美紅さんは同じ高さにあった俺の顔を下から覗き込んでくる。
「あ、あの、あいつら、影、って、言うんですよね? 滅ぼすというか、倒すというか、いえ、いつもの事というか。あはは」
美紅さんから目を逸らし、頭を掻きながら、ぎこちなく笑った。
『影』
そう呼ばれているらしい存在を知ったのは、俺が物心ついた頃だった。
知った、というより、その存在は当たり前だった。
俺は物心がつく前に事故で両親を亡くし、祖父母と共に過疎化の進んだ田舎に住んでいた。
幼少の頃から、外を歩いても建物の中に居ても、あらゆる所で、その〈影〉と呼ばれる存在を目にしていた。
自分とは違う姿形、何食わぬ顔でそこらを闊歩する存在。
そして、自分と同じ人間たちは、その存在に見向きもせず平然と暮らしている。
テレビや漫画、映画などでも、その〈影〉と呼ばれる存在を幾度となく見てきて、その中では、魔物、怪物、妖怪など、色々な総称があった。
大抵は悪役で、人間に危害を加える存在として描かれたり演じられたりしていた。
日常でも、テレビや映画で描かれているほどに深刻ではないが、〈影〉が人間に危害を加えているのを見掛けたことがあった。自分自身も追いかけられたり、耳元で何かを囁かれたり、引っ掻かれたりして、ちょっとした怪我を負わされたりしたこともあった。
人に悪戯するヤツら、人に毛嫌いされた存在。
その頃の俺は〈影〉をそう捉えていた。
しかし、〈影〉に対する捉え方が変わったのは小学生になった時だった。
注意深く観察して分かったことだが、歩いている人間と〈影〉は、お互いぶつかることなくすり抜けてしまい、気にも留めてなかった。
人間と〈影〉は、そのほとんどがお互いを認識できていない、ということ。
そこで、小学生ながら矛盾に突き当たった。
〈影〉が人間に悪戯したり、直接的に怪我を負わせたりしている、という事実。
だが、すぐに矛盾は解消された。
その鍵は、例外、だった。
自分のように、〈影〉を認識できる者がいるように、人間を認識できる〈影〉がいる、ということ。
そういうヤツらが、人間に危害を加えていた。
そして、その逆も、然り……。
「いつもの事? ウソでしょ?」
「あ、はは、いや、いつもというか、日に何回か、というか。いや、ははは」
怪訝な表情で真正面から美紅さんに見つめられ、頭を掻きながら空笑いで誤魔化した。
訝しまれるのも当然の事だ。
やはり普通の事ではないのだろう。
そうなのだと気付いたのは、中学生になってからだった。
〈影〉か人間、どちらか片方がもう片方を認識すると、どちらも認識し合えるということ。
そして、自分が常に――というより、超長期的に〈影〉を認識できる、ということ。
人間にも〈影〉を認識できる人がいることは分かっていた。
しかし、そんな人間も〈影〉を認識できるのは僅かな時間だった。
どうやら、認識できる時間やその見え方にも強弱があり、状況や体調によって著しく変化するみたいだった。
お互いの認識に関しては、〈影〉の方も人間と同じのようだった。
要するに、ほぼ日常的に〈影〉を認識できている自分は特殊というか、普通ではなく異常な存在だった。
「
「カゲ、ホロボシ、ですか? えーと、あの……影、を倒すこと、ですか?」
「そう、影を滅する事よ」
変わらずのぎこちなさで答える俺を、美紅さんは真摯な眼差しで見据える。
「影滅、ですか……」
そう呟き、その視線から逃れるように、ゆっくりと白い天井を仰いだ。
脳裏に、約一時間前の出来事が過った。
自分がやったこと。
〈影〉と呼ばれる、血のように紅い毛で覆われた大きな犬みたいな存在。
そいつが路地裏で人間を……。
小さな女の子を……。
襲おうとしていた。
だから、そいつを倒した……というか、殺した。
これを、美紅さんが言う〈影滅〉というのだろう。
「いつ頃から? 影滅を始めたのは?」
「あ、えーと、高校の時からだから、えーと。三年前ぐらい、ですかね」
質問を受け、反射的に美紅さんの瞳に視線を戻すと、頬を掻きながら答えた。
「高校生の時から? でも、たった三年で
「ヘルハウンドって言うんですか? さっきの……えと、影、は?」
「そう、地獄犬。あんな凶暴な影と一人で戦うなんて、大したものよ」
「そう、なんですか……ははは」
「うん! やっぱり! キミを連れて来て正解ね!」
頭を掻きながら照れ笑いをする俺の肩を美紅さんはしなやかに叩いた。
「ところで? あの術は? 何処で覚えたの? 初めて見るけど?」
「あ、あれはですね、テレ――」
「あっ! 着いたわ」
俺の言葉を遮り立ち止まると、美紅さんは右側の何もない白い壁に向いた。
「え? ここですか?」
「そう、ここよ」
美紅さんは頷き答えると、胸元から〈6〉という数字があしらわれた銀色のペンダントを取り出し、それを壁に近付けた。
その〈6〉という数字が仄かに青く輝くと同時に、白い壁が大きな長方形を縁取るように青い輝きを放ち、次の瞬間、その壁がゆっくりと下へとスライドされていった。
「……すごい、ですね」
驚嘆の声を漏らし、スライドされた壁のその先に続く道を眺めた。
「ふふっ! こんなのまだまだ序の口よ」
俺の言葉に美紅さんはウインクをしながら答え、ペンダントを胸元に仕舞った。
「序の口、ですか」
「そうよ」
美紅さんは手招きしながら中に入って行った。
「凄いな。本当に。本当に……」
胸の奥に湧き上がり始めた期待感に頬を緩ませ、後を追った。
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