第8話

 夕方まで気を紛らわすように書きかけの中間レポートの続きをやって、父の帰ってくる時間に合わせて夕食の支度をした。週末の冷蔵庫には大したものは入っておらず、あまり物の卵と玉ねぎ、冷凍していた鶏肉で親子丼を作る。もうほとんど目分量で調味料を入れるので、毎回ちょっとずつ味が違う。一年半前、初めてレシピを見ながら作った親子丼はしょっぱ過ぎて私も父もごはんをおかわりしてなんとか食べ切った。ネットで見つけたレシピはどんな料理でもたいてい味が濃くなってしまうから、結局少なめの目分量が一番ちょうどいいと思うようになった。母に食べさせた親子丼は私にとってはちょうどいい味付けになったけれど、病院食を食べ慣れていた母にはしょっぱかったのだろうか、とふと思う。ぼんやり考えているうちに父が帰ってきて慌てて鍋の火を止めた。

 私は不思議と、母がまだ生きていれば、と望むことはさほどなかった。もちろん死なないで済むのならばそれがいいのだけれど、母が余命宣告を受けた日から、いつかいなくなる日のことを考えていたような気がする。受け止められないのと同時に、母も父も、そして私も消えてなくなってしまうのだ、とどこか無理やり落とし込んだのだ。だから、大学生になった私を母に見てほしいとは思わない。でも、もっといい終わり方はあった。どれだけ悲しくても、ちゃんと終わってしまうことを認めてさよならを伝える時間はあったはずなのに、そうしなかった。それに気づいてしまうと苦しくて、逃れたくて仕方がなくなる。これまではこの苦しみも母への贖罪なのだと思っていた。ろくな親孝行もできないまま、感謝すら伝えられないまま死んだ母への後ろめたさに、ずっと向き合って生きていくべきなのだ、と。こうやって、でも、とだって、を繰り返している。仕方がなかったのだ、とどうして伝えなかったのか、がぐるぐると頭の中をめぐり、疲れ果てた頃ようやく眠りに落ちて、ぐったりしたまま朝を迎えるのだ。

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