シェア婚

@kumosennin710

第1話

 「シェア婚」

 晴れやかな花嫁姿だ。三十歳を過ぎて結婚した親戚の長女。両親もホッとしたに違いない。そんなことを思いながら、【親戚】のテーブルでビールを口にしていた。その恭二に

「恭兄ちゃん、こんにちは。元気でしたか」

 と、女性が声を掛けて来た。

「ああ、諒子ちゃん。元気だったよ。君は?」

永岡涼子と言う、親戚の子ども。母親同士が姉妹なので、それこそ、小学校に上がる前から知っている。恭二は、生まれ故郷の山鹿から、熊本市へ引っ越し、それから小学校へ上がる年に、天草へ引っ越した。その天草の友達より、以前からの知り合いだ。よく遊んだ。恭二のことを『恭兄ちゃん』と、幼いころから呼んでいた。

特に熊本市へ引っ越しても、母が里帰りする時はいつも付いて行ったが、諒子の家の周りには、同じ年ごろの友達がおらず、恭二が遊び相手だった。諒子の上には姉の聡美がいる。三人で遊んだのだが、不思議と三つ下の聡美より、六つ下の諒子の方と気が合った。

諒子の方も、三人で遊ぶと、恭二の方にいつも付いてきた。

「どう、大吾君は元気ですか」

「ああ、無事に大きくなっています。もう、大学卒業です」

「もう、そんなに。時の経つのは早いね。どう」

 恭二はビール瓶を持って、諒子に勧めた。

「ああ、ごめんなさい。私が、お酒を注ぎに来たのに」

 諒子は慌てたように、両手でコップを出した。二重瞼に切れ長の目。かつてのストレートな髪は、栗色に染め、軽くウエーブが掛かっている。ハリウッド映画女優、シャーリーズ・セロンに似た雰囲気である。

「こんにちは、お義姉さん」

 隣に座る妻の美咲に、恭二の肩越しに笑顔を見せた。

 恭二は彼女を見ると、いつも脳裏をよぎることがあった。彼女は、国会議員の息子で、大手書店に勤める男性と、半分強制的に結婚させられた。結婚する前は、年の近い親せきの誰彼構わず電話して、泣いて嫌がっていたそうだ。恭二にも泣いて電話をしてきた。『親に、強制的に結婚させられる。自分はしたくない』と、やはりとても嫌がっていた。

 彼女の父親は、県会議員を長くやっていて、その地方では有力者だった。当然、恭二にも政界進出の声が掛かった。なぜなら、恭二の父親も天草で市会議員をしていたからだ。

 しかし、選挙の裏を知っている恭二は、人の嫌な面が見える選挙が苦手で半導体研究の道を選んだ。

「大変だったけど、それなら良かったね」

 彼女を慰めるように言った。

「はい。でも……」

 ビールの入ったままのコップを見つめながら、諒子の言葉は歯切れが悪い。

「どうしたの。何かあったの」

 周囲の喧騒は、ますます大きくなっている。出席者の酒が回って来たのだろう。椅子を寄せて話をした。

「実は……」

 そこで口ごもった。

“もしかしたら”

 恭二は、想像した。彼女は、幼いころから意地がある。言い換えれば、意志が固い。幼いころ、彼女の姉と恭の三人で遊んでいて、かけっこ遊びをしている時、何回か走ると体力のない姉妹は、年上の恭二に簡単において行かれる。すると、姉の方はすぐに『もうやめる』と音を上げていたが、妹の彼女は泣きながらでも遅れてついて走っていた。それはいつやっても、何度やっても同じだった。しかも、ぜったいに『きついからいやだ』とは言わなかった。年上の恭二は、内心恐れ入ったのだった。

“ひょっとして、離婚か。周囲は体裁を気にする人たちだ。ましてや、県下では名の知れた政治家。身内の離婚という事実が表ざたになると、相互の家がいい気持ちはしないだろう。あれだけ嫌がっていた【結婚】だ。いざ結婚したとなれば、彼女なら意地でも離婚はしないと思っていたが……。何かよほどのきっかけがあったのかもしれない”

 一瞬で恭二は、そこまで想像した。

「離婚したんです」

 恭二はその言葉を聞いて、ドキッとするような、ほんのちょっと嬉しいような、不思議な感覚を持った。その自分が、とてもおかしかった。ドキッとするのは分かる。しかし、その別な感情は、なぜ湧いて来たのか、不可解だった。

「なぜ?大丈夫なの、お父さん」

 心配して聞くと、案の定

「勘当されました。敷居をまたぐな、って」

 肩を小さくしてうつむくと、聞き取るのが難しい声だった。彼女その美しい顔が、すっかり疲れているように見えた。

聞けば、彼女の結婚した相手は、国会議員の親父のあとを継ぎ、ゆくゆくは国へと目論んでいたと、あとで分かったそうだ。まさに戦国時代の政略結婚ではないか。そう言うことが、今の時代に通じる訳はないのだろうに、昔気質の彼女の父親はごり押しをしたのだ。

結婚する際、彼女は彼に『政界にはいかないでほしいという気持ちを伝え、約束もしてくれた』という。

しかし、最近になって、彼の態度が変わり、盛んに政界のことを口にするようになった。

気になった彼女は、当初、はぐらかしてばかりいる彼が、ちょっと政界が気になっているのかなぐらいにしか思っていなかったが、実は、政界進出をねらっていたとわかった。

そこで、結婚当初の約束を持ち出し、話し合おうとしたが『女は男についてくればいいのだ』と言う、彼の考えにとても一緒に入られない、と離婚を持ち出したそうだ。

恭二は、彼女に自分らしさを失ってほしくなかった。自分の気持ちを貫き通してほしかった。彼女の気持ちはもちろんだが、叔父にあたる彼女の父のやり方が、恭二も好きではなかったからだ。さっきの『ほんのちょっと嬉しい』気持ちとは、自分の気持ちを貫いた彼女のことが嬉しかったのだろうか。彼女の姉、聡美も実は、福岡の県議と結婚させられていた。しかし、彼女の場合。父親に従った。これも、小さい頃からの性格そのままだった。

「そりゃあ大変だったね。じゃ、今まで一人で息子さんを育てたんだね」

 彼女はその後、今の近所に狭いアパートを借りて、調理師免許を生かし、近くのスーパーの鮮魚コーナーでパートを続けたそうだ。

「ああ、それはそれは……」

 ビールを口に運び、うなずいた。大変だったことは一目でわかった。恭二も、次の言葉が探せずにいた。すると諒子は眉が曇り、彼女と向き合っていることが、周囲の誤解を招くような雰囲気になった。美咲も、怪訝な顔で二人を見ている。

「あ、ビール。変えようか。暖かくなったろう」

 と、急いでビールを頼むと、コップごと取り換えた。

「まあ、何があったか分からないけど、さ、飲んで」

 やはり、裏切られた思いで悔しかったのか、涙さえ浮かべそうな雰囲気だった。すると、何となく居にくくなったのか、恭二と美咲にビールを注ぐとそそくさと席を立って、どこかへ行ってしまった。

「どうしたの?諒子ちゃん。悲しそうにして……」

 美咲の質問にも、首をひねるしかなかった。恭二本人が、確実なことは分からないので説明のしようがない。その日はそのまま顔を見ることもなかった。そして月日はあっという間に経った。

 数年後。市内のショッピングモールで、偶然にも会った。声をかけると、パッと笑顔になって駆け寄ってきた。

「ああ、久しぶりだね。元気だったかい」

 他愛も無い話をして別れた。その後、妻と二人で買い物を済ませ、帰宅した。夕食時、諒子のことを妻に話した。

『小学校の時期。とても意地っ張りだったこと。その後、高校生まで会えなかったこと。恭が東京の大学に行ったので離れたことと、諒子は理由があって山鹿から、久留米の学校へ行ったこと。そして、大変だったと言う叔父の話など……』

「へえ、諒子ちゃん、大変だったのね」

「ああ、あんな父親だから、小さい頃から反発していたよ。まあ、彼女も意地っ張りだった。やりたいことがあると、やり遂げるまで引かないらしい。そこが彼女と言えば、彼女らしいけど」

 すると妻は、

「優しい顔しているのに、意志が強いのね。凄いわ」

 と、すっかり感心した。

「そんなあ。君だって、凄いじゃないか。俺には、二人の半分も真似できない。いや、最初から、意地を張ろうと思わないだろうな。どっちかって言うと『明日があるさ』の方だな」

「私は逆に、それが羨ましいわ。悩まないなんて、『どうしてできるの』って思っちゃう」

「なあに、悩んで解決すれば、俺だって悩むさ。でも、解決しないだろ。だったら、悩むだけ損。何とかなる、って考えた方が楽だろ」

 二人は、そう話して笑った。

 この春。一番下の息子が大学に行き、恭二の家は美咲と二人になった。

「いよいよ、二人だね。二回目の新婚か。楽しもうね」

 息子をアパートに連れて行った、次の月。ビールで乾杯した。棟続きの母屋は両親がいない。父は六年前に年他界した。母も一昨年他界。研究所の呼びかけに応じ、早期退職し出向の非常勤で働く恭二が、妻に手伝ってもらいながら主に母屋の管理をやっている。

 ある日のこと。いつものように母屋の整理から、自分たちの別棟に帰ってきた恭二に妻は、リビングの台の上に広げた、新聞に目を落としたままつぶやいた。

 恭二は、退職をしてから、子育てのかかわり方に不足だった自分を認識、反省して、食事や掃除、その他畑の管理、母屋の整理、管理等全般的に自分が担当すると妻に宣言した。

 その頃は、高校生と中学生の二人の息子が家にいたが、彼らの弁当も作った。

 恭二は、手慣れた食事の準備をしながら耳を傾けた。

「テレビで言ってたけど、夫婦二人になったら、『もう、恋愛もしないし、おしゃれなんてしなくていいんだ』と、あまり気を抜いたらいけないんだって。いつまでも恋心を忘れないようにしないといけないそうよ」

「どういうことなの」

 新聞から目を離した妻が言うには、『マスコミや雑誌で、誰か憧れの人を見つけ、その人を見る楽しみを持つことが、いつまでも若い気持ちでいられる』と言う。さらに『いつも誰かに見られているかもしれないという緊張感が、生きていくうえで需要だ』と言った。

 そのことがひいては、認知症予防のひとつにつながるというのだ。いつまでも【ときめく】ことが大事、と言うところか。

「ああ、僕はいるいる」

 と、映画の女優の名前を挙げた。恭二は、カトリーヌドヌーブの大ファンだった。学生時代に見た【シェルブールの雨傘】で、一発でファンになった。それ以来ずっとファンだ。

「じゃあ、僕はドヌーブを追いかけよう」

 笑いながら、準備のできた食事に箸をつけた。 

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