発熱
ゆるい坂の途中にある男のアパートからは庭木の青々と茂った近隣が見渡せた。
夜になると窓からは、家々の灯りがぽつりぽつりと燈ってみえた。
男は何を焦っているのか、自分にもわからなかった。
このままではダメだ。という観念が一日数回も頭をかすめるのだった。
何もかも、手遅れかもしれないという絶望感にも似た諦め。
と同時に、まだ41これからさと強気にもなった。早く職に就こう。
夜風にあたりながら坂を下り、コンビニのある通りまで歩いていると、
だからさあ…女の細い囁くような声が聞こえた。
辺りには誰もいない。
男は、声のする揺れる木立の方へ目を凝らしてみた。
庭に出ていたのだろうか窓から漏れる灯りで、この家に住む女の人の声だと思った。
時々ピアノの音が聞こえてくるが弾いているのはこの女なのか…
男はスマホに目を落とし、時間を見た。22時だった。
坂を下り広い通りに出ると右手には明るく照らされているコンビニにの店舗が見えた。
弁当とパン、目新しいドリンク2つ買った。
坂道を歩いて登る。先ほどの灯りの漏れていた家の横を通り過ぎた。
人とすれ違うことも無く、誰の気配も無い。辺りは静まりかえり自分の足音だけが聞こえていた。
部屋に戻り、弁当を食べた。今日は好きなチキンカツ弁当が美味しく感じない。
男は昨日から身体がだ。シャワーを浴びることも無く床に就いた。
どのくらい眠ったのだろうか。熱りを感じ男はトイレに立った。
体がフワッと浮くように感じて少しふらついた。
風邪か?発熱している。
だからね…女の声がする。
窓の外に人の気配を感じ、窓をゆっくり開けた。
虫の音と、ひんやりとした夜気が入ってきた。
暗がりに木の枝がかすかに揺れているが、女の姿は見えない。
気のせいなのか、熱のせいかな。
黒い木々の陰の上には細い月が輝いている。
木々の黒い影を凝視すると、かすかに揺れる5,6m先の木の葉の向こう側の暗がりの中で、女が踊っている。
暗くて顔が見えないが、肩まで垂らした髪が揺れて両手を広げたり挙げたり、身体を揺らし、だからね…と言っている。
自分以外に人はいない。俺に言っているの?だから何だと言っているの?
しかもこんな夜中に、夜気に当たりながら女が一人で外にいることだけでおかしい。
若い女だ。あれは20代だな、と男は思った。
男は黙ったまま身動きもせず、踊る黒い人影をしばらく眺めていた。
女は一度も男の方を見ることも無く、踊っているように見えた。
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