注釈など

 異世界ものでないのは初めて書きました。

 思いつきは斉藤由貴「ひまわり」からです。

 伝言を伝えていないから来るはずがない彼女を、高原の駅で待つ彼を隠れて見ている。その状況に至るまでを書いてみるか、というのが起点でした。

 収録されている「風夢」の発売は1987年、そこに合わせようかとも思いましたが共通一次なんて知らんわ、ということで少し時代を遅らせました。だって1987年は天安門事件、国鉄がJRへ、ルドルフ・ヘスの自殺、ブラックマンデーなど。わからないよね、そんな時代。


◆ポケベル

 1991年はまだポケベル全盛期、加入者数ピークは1996年ですが当然通信料はかかるわけで、91年当時の大学生で持っているのならまあまあウェーイ系じゃないでしょうか。PHSの開始は1995年、ここから急速に携帯電話にとって変わられていきます。

 この当時の高校生たちは個人同士で直接やりとりできる通信手段を持っていませんでした。待ち合わせに失敗してしまったりすると、駅の伝言板以外にフォローしようがないというご時世。


◆1994年のセンター入試

 センター入試導入は1990年、共通一次からの名称変更はともかく受験生を混乱に陥れたのは「マークシート」です。

 高校生がマークシートに触れる機会なんて受験くらい。2Bが良いだのどの消しゴムが綺麗に消えるだの、学校によってはマークシートの練習をさせるところもあったとか。

 1994年はそれまでも難易度を上げていた英語が、更に難易度を増して平均点が100点(200点満点)を切った年ですね。鬼か。


◆第三セクター・特急

 ほくほく線の開通が1997年、同時に「はくたか」が運行されています。それまでは長岡まで行って上越新幹線に乗るしかありませんでした。それでも3時間半から4時間くらい。在来線だと6時間近くかかったんじゃないかな。

 ちなみに直江津、長野、松本を経由して、なんてアホみたいな経路も不可能ではなかったです。鈍行だけで行こうとすると、時間によっては長野で終電なくなるんで朝まで居酒屋で時間潰すしかありませんが。(よりによって冬に経験したアホ談)


◆自動改札

 日本初の自動改札は、実はかなり古く1967年の阪急北千里駅です。本格的に導入されたのは国鉄民営化後。1990年に入ってからですね。当時はもちろんタッチしてピッなんて非接触型はありません、磁気式なので今の切符と同じように投入口に入れる形です。

 駅員が無駄に挟みを回しながら、くるん、ぱちん、くるん、ぱちんとやっている姿を見られなくなりましたね。


◆上野駅・営団地下鉄

 上野駅は北の玄関口。在来線は当時も今もそれほど変わっていませんね。常磐線が上野東京ラインになったくらいでしょうか。

 営団地下鉄は正式には「帝都高速度交通営団」、かっこいい名前です。なぜ名前を変えたのか。東京メトロというくそダサ社名に変わったのは2007年からなので、この当時は営団地下鉄と言われていました。

 初めて東京に来た人の最初の関門は、今も昔も「え?都営と営団で乗り換えどうやるの?切符買い替え?」だったんじゃないかな。あれ?違う?


◆この舞台は結局どこ?

 ……勘の良いガキは嫌いだよ。




 こんなページまでお読みいただき、ありがとうございました。

 反応が良かったらまた異世界もの以外を書くかも知れません。応援していただける奇特な方はぜひ評価、コメントをよろしくお願いします。

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