雪融けを待つプラットホームで

 これは忘れ雪だろう。

 思い出したかのように早朝から降り始めた雪は、鉄錆びた線を二本だけ残して真っ白な山間へと続いている。


 朝7時45分。

 新幹線に間に合うように、彼女はいつもの電車に乗る。

 到着するのはそれでも昼過ぎになるし、そこから引っ越し荷物を受け取って荷ほどきや細々とした買い物などもしなければならないからさほど余裕がある訳ではない。こんな地方路線で一本見逃す訳にもいかないのだ。


 ……そう確認はとってある。

 自分は卑怯だ。

 受験の頃からあの二人の距離が微妙に遠くなっていたのは察していた。

 彼女は受験組だから学校に来ていなかったけれど、自分は指定校推薦でとっくの昔に合格を決めている。かと言って学校に来なければならないということもなかったが、彼との縁を強くするために毎日登校していたのだから。

 ほぼ毎日、声を掛けた。彼女の代わりにとばかりに、朝の駅、昼休み、放課後の昇降口で見かけるたびに声を掛けた。いや、正確に言えば声を掛けるために見つけていた。

 過ごした時間で言えば圧倒的に短い。なにせ向こうは物心ついた時からなのだから。こちらはわずか二年、それも幼馴染の友達である先輩という立場でしかない。その立場から一歩先んじようとしても、怖くて踏み出せなかった。自分がそれほどまでに臆病な人間だと思ってもみなかったから、そのことに自分自身でも驚いた。けれど、それでも彼を諦めようとは思わなかった。

 だから汚い手を使った。

 彼女に兄を紹介し、遣り取りするよう仕向け、わざわざ彼にその影をちらつかせた。彼が彼女を好きなことはわかっていたから。だから諦めさせる、または呆れさせようとした。

 そして自分は空いた場所へ収まろうとした。

 バカバカしい。小狡い小心者の所業だ。そう自覚はしていたのに止まれなかった。

 なぜそこまで彼を想うのかはわからない。きっかけも思い出せない。でも多分そんなものだと思う。だってそれが心というものなのだろうから。彼への想いも卑怯と思う行動も、なぜ、どうしては全くわからないのに立ち止まることができない。理由もなく突き動かされるそれが心なのだとしたら、自分はどうしようもない人間なのだ。

 そうわかっているのに、自分の口は、手は、足は、体は全て勝手に動いてしまっていた。




 今もこうして、ずるいことをしている。

 疎遠になってしまった彼と彼女の関係を利用して、彼女の出発時間を聞き出しておいて彼には別の時間を伝えた。二人は家ぐるみで仲が良いらしいから、もしかしたら親同士のネットワークで聞いているかも知れない。いやその可能性の方が高い。

 もしそうだとしたら、きっと自分は彼にも彼女にも嫌われるだろう。彼と彼女にとっては意味不明な嘘をついていると思われるだろうから。いや、彼にしてみれば最後のチャンスをフイにする嘘だし、彼女にとっては心当たりの悪意ある嘘だ。だからこそ醜さまでも看破されてより嫌われてしまうに違いない。

 それならそれで仕方ない。もう彼女自身が止めようもないのだから。それで彼が手に入るなら、と頭の中で囁き続けている。


 だから一縷の望みに賭けて、こうして早朝からホームに立つ彼女をみている。

 一面真っ白な広い野原の反対側、廃線となった二番線の線路のこちらは木立に隠れて見えない。針葉樹の下でこの地を去る友人を眺める。

 いや、友人ならこうして隠れずちゃんと見送るべきなのだろう。自分の行動がどれだけ醜いことなのか自覚はしているから、友人なんて単語を使うべきではないかも知れない。


 ごめん和。川越君は私にちょうだい。


 言葉に出来ないから心中で呟いた。

 彼女を失う彼を、彼女が失った時間を、自分がもらう。

 こんな自分を彼が好きになってくれるとは思えない。でも、それでも自分はこうせざるを得なかった。こうしてしまった。引き返せないのなら、進むしかない。


 ひらひらと舞う雪が針葉樹の傘に落ちる。

 その下で、自分を責めながら彼が来ないことを祈り続ける時間は、たぶん五分か十分くらいのものだろう。けれど彼女には、それが永遠にも思える長い時間に感じられた。


 腕時計を見た彼女が、きょろきょろと周囲を見渡す。

 ここからでもレールを伝わる振動音が聞こえてきたから、ぎりぎりになっても来ない彼を探しているのだろう。


 もう心中でも言い訳はしない。

 さよなら。

 そう心で呟き、軋んだ音を立てて止まった電車に乗り込んでそれでもドアの前で来ない彼を探す友人を見送る。

 静かな無人駅にディーゼルの音だけが響く。

 閉まる扉に手を当てて彼を探し続ける彼女を、息を止めて表情を殺しながら見つめる。臆病で卑怯な自分にできることは、もうそれしかなかったから。

 ゆっくりと動き出した電車はこの二年、制服の彼と彼女を乗せた時と同じように線路の向こうへ去って行く。幼馴染の他愛ない会話が満ちていた幸せな車内は、きっと今日だけは葬列のように沈鬱な彼女を乗せているのだろう。

 その電車を、彼女をこうして見送る自分は彼女の友人という立場を失った。残されたのはだから、彼の先輩であるという立場だけだ。それももう、学校を卒業した以上「元」先輩でしかない。だから、ここから先は勇気を振り絞って動いて行くしかなくなった。

 小雪の中に消えた車両を送り終えた彼女は、静かに目を閉じる。

 再び開いた時、彼女の耳は雪を踏みしめる足音を捉えた。


「ごめんね」


 コートの前も留めず、傘もささずに走ってくる少年。

 彼女はそっと、言葉を足元の雪に落とした。

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