参・変身

 気が付くと、リリは大きな岩の上に横たわっていた。後ろで両腕と両脚が縛られ、身動きが取れない。裸同然の格好で、寒気がする。


 それなのに、空は一片の雲もなく晴れ渡り、夏の日差しが降り注いでいる。熱せられた地面はカラカラに乾いて、所々ひび割れている。


 岩の周りには四本の竹の棒が立てられ、不思議な模様の紐がその間に張られていた。そして、その向こうから人々が憐れむような、蔑むような眼を向けてきた。


「許しておくれ……」


 その中で、一人の男性がボソリと呟く。リリはその男性を知っていた。


「お父さん……助けて……」


 父は娘の声を聴いて、辛そうに耳を塞ぐ。


「助けて……お父さん……喉、乾いた……」


 リリが父を呼ぶが、彼は耐えられなくなったように、その場を立ち去った。


「誰か……助けて……水……」


 岩の前に集まった人たちに助けを求めるが、誰も水の入った椀を差し出そうとはしなかった。


 それから、リリは何日も岩の上に放置された。その間一粒の米も、一滴の水も口にしなかった。垂れ流しだった糞尿も出なくなり、リリの身体は空っぽになった。乾いた喉が張り付き、もう声も出なかった。


 誰か、水! 水をちょうだい! リリは朦朧とする意識の中で、叫び続けた。目はもう見えず、昼なのか夜なのかもわからない。それでも、岩の前を人が通る気配を感じる度に、残されたわずかな力で身じろぎをし、心の中で必死に叫んだ。


 そしてある日、リリの頬に一滴の水が垂れた。一滴、また一滴と雫がリリの頬に落ち、やがて大雨になった。


 リリは天に向かって口を開け、雨水を飲んだ。甘く冷たい水が喉を潤し、リリは歓喜の叫びを上げる。その声に呼応するように、雨は勢いを増し、雷鳴が轟く。


「ハハハッ! 水だ! 雨だ! 皆が望んでいた雨だッ!」


 自分のものとは思えないような、おぞましい声がリリの喉から聞こえる。ずっと岩の上に横たわって身体が鈍っているはずなのに、不思議と手足に力がみなぎっていく。自分を縛っていた荒縄も、細い糸のように簡単に引きちぎることが出来た。


 リリは岩の上に立ち、辺りを見回す。雨で水量を増した河は、激しい流れで家々や牛馬、そして人々をさらっていく。その茶色い水の中に、必死にもがく父の姿があった。


「助けて! 誰か!」


 父が必死に叫ぶ声を聴いて、リリの胸に冷たいものが宿る。父さんは、お前は娘が助けを求めても、何もしなかったじゃないか? 今さら助けを求めるとは、随分と都合が良い……


 リリは流されていく父を睨みつける。父だけではない。この村の連中は、リリを岩の上に放置し、見殺しにしたのだ。氷のような憎悪がリリの胸を満たし、河は九つの頭を持つ蛇のように村を飲み込んでいく。


 雨は七日七晩降り続いた。八日目の朝にようやく止んだが、その時には、村は湖の底に沈んでいた。


「あーあ……みんな死んじゃった」


 嗜虐的な笑みを浮かべ、リリは湖を覗き込む。しかし、そこに写った自分の姿を見た瞬間、身体がわなわなと震え出した。腹の底から湧き上がった恐怖と絶望が、悲鳴となって喉から噴き出す。


「うわあああああああああっ!」


 湖面に映ったのは、紫色のタテガミを生やした龍だった。

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