想いは巡り、重なり合う(2)

 もうすぐ梅雨が明け、太陽の季節になる。

 日が落ちたというのに、アパートの中は蒸し暑く、顔に湿気が張り付き息苦しい。


 愛用のPCと前掛けをバッグに詰め、アパートを出る。

 先週から職員になった、「午前0時の食卓」の本部である実家の倉庫へ向かう。




 倉庫のドアを開けたとたんに、猛烈な湿気と熱気が密度を持って襲ってきた。

 中にいるスタッフ達の表情も暗い。


「ここさあ、窓が小さくて日光が射しにくいのはいいんだけど、蒸し暑いよねえ」


 女性スタッフの一人が椅子の上で溶けかかっている。


「そうだけどよ、この立地で家賃も光熱費もタダなんだから、十分ありがたいじゃねえか」

「あの」


 わたしの声に皆が一斉に振り返る。


「二階に冷風扇があったと思うから持ってこようか? 多分そんなに涼しくはないと思うんだけど」


 すると皆が声を揃えた。


「ありがとう、れっちゃん!」


 いつの間にか、わたしは皆からも「れっちゃん」と呼ばれていた。正直、「れっちゃん」という歳でもないので恥ずかしいのだが、桔梗が連呼するので定着してしまったのだ。

 冷風扇の前から動かなくなった皆に向かって、桔梗が手を叩く。


「はい。じゃあミーティング始めますよ。今日も頑張ってこー!」




 「午前0時の食卓」はまだ新しい団体なので、知名度が低い。その上世間からはあまりいい印象を持たれていない。

 何をしても、どう訴えても反響がない。その上たまに反響があっても殆どが否定的なものだ。

 ここにいる人達は、桔梗の友人やSNSつながりの人が大半だが、初期の段階でこれだけの同志が集まったこと自体が奇跡だったのだ。そして奇跡は、そう何度も続かない。

 それは仕方がない。最初から分かっていたことだ。しかしそのことで桔梗が無理をしているのが気になる。

 笑顔を振りまき、明るい声を上げ、皆を鼓舞して自らもあちこちへ脚を運ぶ。

 いつの頃からか、その笑顔は本物の「桔梗の笑顔」ではなくなっていた。




「桔梗、ちょっといいかな」


 夜明け前、わたしと桔梗以外のスタッフが帰った後、PCに向かって小さなため息をついていた桔梗を二階へ誘った。


「え、二階は私とかが入らないルールだよ」

「そうだけど、まあ、今回はわたしが入ってくれって言っているんだから」


 二階の灯りを点ける。不安定な青白い光が、桔梗の怪訝そうな顔と、目の下にある隈を浮かび上がらせる。


「突然だけど、桔梗って、神様とか科学で証明できないような不思議な話とか、信じるほう?」

「不思議? え、もしかしておばけ系の話? 私そういうの絶対ダメ。ほら私ってえ、か弱くて繊細だからあ」


 冗談めかしてそう言い、上目遣いで芝居がかったぶりっこポーズをする。その仕草を見てわたしは微笑み、桔梗の頭をぽんと軽く叩いた。


「うん。知っている。桔梗は頑張り屋で強く見せているけれど、内面は危なっかしいくらい繊細だもの」


 背後で息を吸い込むような叫び声を上げている桔梗を残して、例の箱の前で手招きをする。


「おばけの話じゃないよ。これから桔梗と仕事で長くつきあうんだし、この話はしたいと思って。わたしの大事な秘密。わたしがどうして、今みたいに前を向けるようになったのか」

「前……」


 彼女は何かを言いたそうにしていたが、飲み込んでいた。

 わたしが美奈と別れた経緯は、既に話してある。そのことを飲み込んでくれたのかもしれない。

 だが実は、気遣ってくれる必要はもうないのだ。わたしにとって美奈は、自らを形成する過去の一つでしかない。


 箱の中から紅子が写っている写真を取り出す。


「わたしが食べ物を扱う時にいつも使っている前掛け、あるでしょ」

「あの着物地のかっこいいやつね」

「あれを作ってくれたのは、曾祖母なんだ」


 写真の紅子を指さす。


「今年の一月なんだけれど、アパートの近くで、女学生の頃の曾祖母に出会ったんだよ――」




 わたしは紅子との日々を全て話した。彼女との会話、作った料理、そして神様のことも、全て。

 桔梗は初めこそ疑っていたが、話し終わる頃には、言い方は変だが拍子抜けするほどすんなりと受け入れてくれた。


「不思議……。そんなことって、あるんだね」

「え……信じてくれるの?」

「だって本当のことなんでしょ? れっちゃんはそういう嘘は言わないもん」


 写真を手にしてわたしに微笑みかける。


「ひいおばあさま……紅子さんは、れっちゃんの優しさと料理で、前を向けたのかな。そしてれっちゃんは、紅子さんの優しさと食べる姿で前を向けた。面白いね。その人を想う気持ちが巡って、重なって、命が繋がっていったんだ」


 何かを見つめるように下を向く。


「うん。そしてあの前掛けは、紅子のお父さん、つまりわたしの高祖父の着物で作られたんだよ」

「あっ、今の話からするとそうか。わあ、凄い。なんか感動しちゃう」


 そこで彼女はふと動きが止め、何かを考えるしぐさをした。

 しばらくぶつぶつと呟き、あっと小さな声を上げる。


「あのね、ちょっと思ったんだけど。えっと、その、なんの根拠もないんだけど」


 写真をわたしの方に向け、わたしを見る。


「もしかしたら、その『神様』って、紅子さんのお父さまだったんじゃないかな」


 思いもよらない言葉に一瞬驚く。しかしそれを聞いて、わたしの中で欠けていた何かがはまる音がした。


「お父さまは、紅子さんのことが心配で、なんとか助けたかったと思うの。だけど自分は『神様』になっちゃったから、直接助けられない。そこで誰かいないかと子孫を辿ったら、れっちゃんがいた。しかも二人を出逢わせれば、お互いが救われる。そう考えると、ぴたっとくると思うんだけど」

 

 心の中で、想いが巡る綺麗な大きな輪が完成する。


 確かに、そうなのかもしれない。今となっては確かめようがないけれども。

 高祖父は、自分の得た神様としての力を精一杯発揮して、我が子と玄孫を守ってくれたのかもしれない。


 体の奥底から光が溢れ出す。


「れっちゃん、大切な話をしてくれてありがとう。料理って、人を救うんだね。私のことも、神様が見守っていてくれるのかもしれない。なんか元気出たかも。よっしゃあ、頑張るぞう!」


 いつもの桔梗の笑顔が花開く。

 その笑顔に、わたしの心の中にもぱっと花が開いた。


「写真、ありがとう。これ、どこかに飾るかきちんと保存するかしたほうがいいんじゃない? せっかく紅子さんもいい笑顔で写っているんだしさ」


 彼女の言葉に首をかしげる。返された写真を見ると、やはり紅子は緊張で強張った顔だ。


「笑顔?」

「うん。こっち見てにこーってしているじゃない」

「え、こっちを? いや、微妙に視線がずれた強張った顔だよ」

「え……あれ?」


 わたしの手元にある写真を覗き込み、今度は桔梗が首をひねった。


「変だなあ。本当に、さっきまでは笑っていたのよ。なんというか、私を見て微笑んでいるような感じだったの。うーん、気のせいだったのかなあ」

 



 台風の季節が過ぎると、大気の中につんとした冷たさが混じってくる。出かける直前に上着を羽織り、実家へと向かう。

 「午前0時の食卓」の職員として毎日実家の倉庫に通う生活をしていると、一人暮らしをしている意味が分からなくなってくる。それはともかく、今日は仕事ではない。父がわたしと桔梗を招待してくれたのだ。


 家に着くと、既に父と桔梗がリビングで盛り上がっていた。


「なあ烈。最近軌道に乗ってきたみたいじゃないか」


 桔梗が笑顔でスマホを掲げる。


「ねっ。特にこれ。吸血族の家族やパートナーと一緒にお料理するのがテーマの動画がいい調子だしね。おじさま、これ全部、れっちゃんのおかげなんですよ」

「烈だけじゃないぞ。私だってチャンネル登録しているし、毎回グッドボタン押しているんだからな」


 実際にはチャンネル登録だけではなく、あらゆる面で協力してもらっている。父には頭が上がらない。


「しかしなあ。活動に口を出す気はないんだが、あの動画、烈の手元と他のスタッフさんしか映っていないだろ。それより烈と桔梗ちゃんが仲良く顔出しして」

「何言っているんだよ。顔出しなんか恥ずかしいって」

「そうかなあ。いいじゃないか。カップル動画配信者みたいで」

「カ……ッ!」


 わたしと桔梗が同時に叫んだのを尻目に、父はするりと逃げていった。


 なんともいえない沈黙の満ちたリビングで、桔梗と無言で顔を見合わせ、互いに目を逸らす。


 ――父さんってばもう。ごめんね桔梗。冗談にしてもたちが悪いよね。


 そう、言えばいいのかもしれない。そうして二人で笑い飛ばせばいいだけのことなのかもしれない。

 だが、できなかった。いや、したくなかった。

 この気持ちが芽生えたのは、いつからなのだろう。


 沈黙の重圧にもじもじしていると、父が何事もなかったかのように戻ってきた。促されるままに三人でキッチンに入る。

 今日は父が料理を伝授してくれるという。わたしは勿論食べられないので、桔梗のために作ってくれる、というのが真意のようだ。


 実は父の料理を家で食べた記憶が殆どない。母が「家庭の料理は主婦の仕事」と言って、頑なに父をキッチンに立たせなかったからだ。


「これから作るのは、我が家に伝わるおもてなし料理だよ。といっても私がお客様に作るのは、桔梗ちゃんが初めてだけどね」


 桔梗に話しかけながら、冷蔵庫から肉を出してくる。


「我が家では昔から、大切なお客様にはハンバーグをお出ししていたんだ。私の祖母の得意料理がハンバーグでね。どこかで習ったらしくて、味に絶対の自信があったみたいなんだな」


 ハンバーグ。

 父の祖母のハンバーグ。


 心臓が一気に熱くなる。


「そのハンバーグの味を、是非桔梗ちゃんと烈にも継いでほしくて」


 巡る想いが重なり合う。


 父はわたし達に向かって微笑み、牛と豚の薄切り肉をたたき始めた。




「美味しかったあ! あの『巨大粗挽ききのこハンバーグ』、最高過ぎだよ」


 桔梗の家まで、二人で並んで歩く。

 ふわりと風が吹く。ひんやりとした柔らかな風は、秋の匂いを含んでいる。木々が鳴らす葉の音は、どこか楽し気な囁き声のようだ。


 左手の甲に、桔梗の体温を感じる。

 あたたかな空気が、手と手の間に廻る。それを繋ぎとめるように、わたしは桔梗の手に指先を絡ませた。

 彼女の手が小さく震える。驚いたような表情でわたしを見る。

 口元に微笑みを浮かべて俯き、わたしの手を握り返す。


 日々彼女と共にいて、いつの間にかこの気持ちは抑えようがないほどに大きくなっていた。

 幼馴染や気の合う仕事仲間という距離感も悪くない。それを壊すかもしれない恐怖は確かにある。

 けれども。


 今日、美味しそうにハンバーグを食べる桔梗を見て、心を決めた。

 想いが巡る綺麗な大きな輪は完成した。けれどもそれだけではなく、わたしはこの輪を繋いでいきたい。

 桔梗と。

 

 夜風が厚い雲を払い、白くて大きな月がわたし達を光で包む。

 わたしは立ち止まって桔梗に向き合い、繋いだ手に力を込めた。


「桔梗。わたしは――」

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