想いは巡り、重なり合う(1)

※今回と次回のエピソードは、『ハーフ&ハーフ2』のお題とは外れたエピソードです。

お題の中に内容を組み込めず、すみません。

本作の謎解き部分ですので、もしよろしければ薄目でするっと読んでいただけましたら嬉しいです。


💎


「おい烈、もういいだろ。手を動かせって」


 父の声にはっと我に返る。どうやら写真を手にしたまましばらく固まっていたらしい。


「その辺は手を付けなくていいから。このキャビネットを壁際に移動させるぞ」


 父がキャビネットに手を掛けたのを見て立ち上がり、写真の中にいる紅子を指さす。


「この人……」

「うん。だから『こっこ大おばあちゃま』だよ」


 少し面倒そうに答えてくれた言葉を頭の中で繰り返す。

 「こっこ大おばあちゃま」。

 そうだ。確か法事の時とかに、わたしはその名前を口にしている。


「父さん。今更だけど、『こっこ』って、名前じゃないよね」


 箱を閉め、写真をそっと箱の上に乗せる。

 父とキャビネットを移動させながら訊いてみたが、緊張したような棒読み口調になってしまった。


「名前だよ。お祖母さんの名前の『こうこ』を、烈が『こっこ』って発音してな。それが可愛くて、親戚みんな『こっこ』って言うようになったんだよ」

「こうこ……」


 その言葉に、頭の奥がちかりと点滅した。


「あのもしかして、曾祖母さんの名前って、本当は『こうこ』じゃなくて『べにこ』だったり、する……?」

「ああ、そうだったなあ」


 この歳になって初めて曾祖母の名前を知ったという事実も結構衝撃だが、それより紅子が自分の曾祖母だった、という事実に、頭の中で様々な思いが激しく渦巻く。


 曾祖母である紅子は、時を超えて曾孫であるわたしのところへ来、食事をし、時に一緒に料理をし、わたしの未来に光を見せてくれた。

 焼豚をつまみ食いして足踏みをしながら美味しいと言っていた、お下げ髪の女学生は、目の前にいるよわい五十をとうに過ぎた父の祖母。

 お腹を空かせて震えていた少女が、その後結婚し、祖父を産み、その遺伝子はわたしの中にある……。


 フリルのついたエプロンを身に着けて、嬉しそうにくるくると回る紅子の姿を思い出す。

 ふいに目頭が熱くなる。

 わたしは頭を振り、重い段ボール箱を勢いつけて持ち上げた。




 父と二人で、黙々と片づけを進める。

 わたしは父に話したいことがあるし、父もわたしに話しかけたそうだった。それなのに何も言えない。埃がひどいので窓を開けると、清らかな緑の匂いがさらりと流れ込んできた。


「桔梗ちゃんのことな、烈に隠していたのは」


 片づけが進み床が結構見えてきた頃、父はぽつりと言葉を落とした。


「電話やLINEで言うようなもんじゃないと思ったんだよ。だから烈がうちに来た時、先に話そうと思ったんだ。そうしたら桔梗ちゃんと一緒に帰ってくるし」

「そんな。事前に活動内容とか教えてくれたら、桔梗と会った時に、もっと話しやすかったのに」

「活動内容は、な。……烈、桔梗ちゃんからは、なんでああいう団体を立ち上げたのか聞いたか」

「うん。『吸血族となった方々の職業能力の開発と、主に飲食業界での雇用機会拡充のための活動』をするためでしょ」

「だから、そのなんちゃらっていう活動を、どうしてやろうとしたのか、だよ」


 そういえば、団体の理念とか理想とか、これから何をしたいのかは熱く語っていたが、そういう話題は出さなかった。だから父にそう伝えたら、少し躊躇うようなそぶりを見せた。


「あのな。それは、その」


 持っていた籠を床に置き、わたしを指さす。


「きっかけは」




 一階に残っていた我が家のものを全て移動させたタイミングで、桔梗達が倉庫に入ってきた。

 彼らが入ってくるなり、室内にお好み焼きとビールの匂いが充満する。作ったり食べたりしている間はいい匂いに思えるのに、単体で嗅ぐとなかなかに、なかなかだ。まあ、自分も同じ匂いを放っているのだが。


「おじさま、今日はありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします」


 父は桔梗達に挨拶をされて倉庫を後にした。

 去り際、わたしの肩をぽんと叩く。目が合うと、少しだけ口元をほころばせていた。


「ねえれっちゃん、今日は本当に最後まで手伝ってくれるの? お仕事大丈夫?」

「えっ」


 言葉を掛けられ、思わず変な声を上げてしまう。先ほどの父の話を思い出し、どう接したらいいのか戸惑ってしまう。


「あ、うん。今日は、というか、基本的に暇だし」

「パソコンを使ったお仕事って聞いてたけど」

「うん。フリーで動画編集とか、その辺を色々」

「えっ、動画編集できるの!」


 桔梗の大声で何人かが振り向いた。


「あ、いや、そんなに大したことじゃないよ。昔、趣味で料理系の動画を投稿してみようかな、って思っていたことがあってさ、その時にちょっと勉強した程度だから」

「いやいや、れっちゃんの『ちょっと』とか『大したことない』は、いっつも嘘だもん。ってか、自覚ないんだよね。はたから見たら凄い努力しているのに、大したことないって思っている」


 そんなこと言われても、本当に大したことないので返事のしようがない。ただ、桔梗がわたしのことをそのように思っていたんだ、ということを初めて知り、少し照れくさい。

 桔梗の過大評価にいたたまれなくなり、箱のまま倒れていた机を組み立てることにした。


 作業しながら皆と会話をする。料理に関する質問なども結構あり、「さすが」なんて言われると悪い気はしない。

 こうやって話をするのは、やはり楽しい。自分まで「仲間」になった気分になる。


 そういえば、美奈とつきあっていた頃は、彼女にしか目が向いていなかった。彼女の言葉に一喜一憂し、彼女の笑顔のためだけに行動し、わたしの世界の全てが彼女だった。

 だから、わたしが光を失ったのは、吸血族になったせいというよりは、世界から彼女がいなくなったせいだった。

 紅子に出会うまでは。


 そうだ。わたしの周りにも、行く先にも光がある。せっかくそれを知ったのに、また閉じた世界に戻ることはない。

 立ち上がり、桔梗の背後から声を掛ける。


「桔梗」

「わあっ!」


 大音量の叫び声を上げられ、心臓が飛び跳ねる。桔梗はわたしが声を掛けた方の耳を押さえながら、目を見開いてわたしを見た。

 蛍光灯の青白い光の中、彼女の頬にさあっと紅が差す。


「なな何」

「え、ああ、ごめんいきなり。あのさ、さっき言ったように、今、結構時間あるんだよね。だからもしよければ、これからも『午前0時の食卓』の手伝いをしたいと思うんだけど、どうかな」


 このこと自体は、桔梗に再会した時から思っていた。わたしは吸血族で元料理人なのだから、役に立てるのではないか、と。

 しかし父の話を聞いて、躊躇った。躊躇った明確な理由は、言葉にして表現が難しいのだが。

 そして躊躇った後、覚悟を決めた。


 父の言葉が甦る。


 ――きっかけは、烈なんだよ。


 ――烈が退院する頃だったかな、桔梗ちゃんがうちに来たんだ。もう、目が真っ赤で、顔がぱんぱんに腫れていて、一瞬誰だか分らなかったよ。それで私に会うなり、「こういう団体を立ち上げたいんですが、アドバイスいただけますか!」って言ってきてな。あとはもう、あの調子で「午前0時の食卓」の活動内容をがーっとまくし立ててきた。


 ――で、まあ、私も烈の今後が気になっていたし、活動内容も賛同できたから、色々助言した。特定非営利活動法人のこととか、まあ色々な。……ああ、うん。その時、烈の名前は一切出てこなかった。


 ――で、まあ、私が協力する以上、烈のことを話さないのは変だと思って、言ったんだよ。「先日、烈が吸血族になった」って。そうしたら「知っています」って。なんだか思った以上に噂になっていたみたいでな。「彼女さんを助けてのことだって聞いています。私はそんなれっちゃんを尊敬しています」ってさ。……あ、そういえばあの時、言っていなかったな。烈が美奈さんと別れたの。


 ――その翌日、桔梗ちゃんのお母様が、菓子折を持って挨拶にいらしたんだ。「娘が暴走してご迷惑をおかけし申し訳ない」ってね。そこで聞いたんだよ。


 ――桔梗ちゃんは、烈が吸血族になったと聞いて、丸二日、会社を休んで泣き続けたそうだ。そう。丸二日。食事もせずに。そして三日目になっていきなり、お母様に言ったそうなんだ。


 ――「私が今、泣いているのは、『れっちゃんがかわいそう。これから生活が不自由になって、仕事もなくなって、社会から見下されるようになる』って思っているからだ。その考え自体がおかしいんだ。仕事があれば吸血という犯行もなくなる。見下されないだけの強さや立場があれば社会だって変わる。だったら私がそういう社会を作ればいい」だって。そして私と話をしてすぐに退職願を出したっていうんだから凄いよな。


 ――それからも凄かったよ。でも彼女の方から烈の話は出なかった。重いと思われたら嫌だからかな、と思っていたんだけど、多分な、あの様子だと違うな。……いや、推測は話さないよ。烈も大人なんだから自分で考えなさい。

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