第八膳 再会のメニュー(2)

 桔梗と一緒にボウル一杯の生地や山盛りの具材を抱えて庭へ向かうと、既に十数人が大いに盛り上がっていた。

 まるで昼間のバーベキューのようだ。持ち込んだらしいライトがあたりを照らし、人の輪の中心には巨大な鉄板が鎮座している。わたし達が近づくと、皆が一斉に歓声を上げた。


「みんな、お待たせ! こちらが今日手伝ってくれる『れっちゃん』です。元料理人だから今日はプロのお好み焼きが食べられるよう!」


 桔梗の言葉に皆が盛り上がっているようだが、わたしはお好み焼きに関しては素人だ。変に期待されても困る。

 彼女はそんなわたしの思いなどおかまいなしに話を続けた。


「あ、そうそうれっちゃん、この人達も吸血族だから。この人とこの人がホールスタッフ経験者で、この人は調理補助していたの。さ、じゃあ作り始めよっか」


 桔梗にぐいぐい押されるがままに火を点ける。

 おそらくここにいる人達全員、わたしが吸血族なのは知っているのだろう。けれども皆、ごく自然にわたしに話しかけてくるし、吸血族だという飲食業経験者達も、特にわたしを意識せずに鉄板に油を引いたりしていた。


 なんだか、少し懐かしい。

 そうだ。子供の頃、桔梗はよく、おとなしい性格のわたしの手を引っ張っては、様々な所へ連れて行ってくれた。


 ――烈様は、今まで生きてこられた中で、私のような者が現れる、と、考えたことがございますか。


 ふと、紅子の言葉が甦る。

 あれは、ちらし寿司を作った日のことだ。もう美奈ほど愛せる人に出会えないと言ったわたしに、掛けてくれた言葉。

 

 ――だって、この地球には、何十億という人がいるのですもの。色々な人がいるのですもの。このちらし寿司の具よりも、もっともっと色々な。


 本当に、そうだ。

 美奈と同棲を始めてからは、彼女と職場の同僚以外の人と関わることが殆どなかった。彼女と別れてからは、仕事関係の人とすらオンラインでしか関わっていなかった。

 それなのに今、こうして皆と自然に話せているのは、桔梗やここにいる人達の人柄によるところもあるけども、紅子と出会って前を向けるようになったから、というのが大きいだろう。


 星のない夜空を見上げ、紅子のいる時代に思いを向ける。

 紅子、お腹を空かせていないだろうか。



 大量の生地をいくつかに分け、好みの具を混ぜながら鉄板に落としていく。

 温まった鉄板にタネを落とすと、じゅうっという音と湯気が立ち昇る。


 鉄板わきのテーブルの上には、幾つもの具が用意されていた。

 キャベツの他に、豚バラ、エビ、イカ、餅、明太子、チーズ、牛すじ、こんにゃく、長ネギ、キムチなどなど……。


 あれとあれを混ぜよう、とか、これとこれはダメだろ、とか、皆で好きなようにどんどん組み合わせていく。


 キャベツと豚バラで豚玉。

 牛すじとこんにゃくですじこん。

 餅、明太子、チーズは、名付けて『カロリー凝縮焼き』。

 ツナとコーンは、子供が好きそうなので『ちびっこ焼き』。

 キャベツ、長ネギ、こんにゃくは……『デトックス焼き』?


 どう考えても美味しくなさそうな組み合わせもあるが、こういう場では「美味しくない」ことすら楽しい。

 あたりに香ばしい香りが漂う。焼けたものからひっくり返していくと、ヘラでお好み焼きをぎゅうぎゅうと押し付けている人がいた。

 すかさず誰かが「押し付けないの!」と注意する。まあ、よくある光景だ。

 

 焼きあがったお好み焼きにソースをたっぷり塗る。鉄板に垂れたソースがじゅわじゅわと弾け、ソースの焦げた匂いに「旨そう!」の声が上がる。

 屋外なのに煙と匂いがもくもくと充満し、服や髪まで香ばしくなる。


「ねえ見てこのマヨネーズ! 小さい穴が三つ開いているから、お店のみたいに仕上げられるんだって!」


 一人が誇らしげにマヨネーズを掲げている。一つ穴タイプのマヨネーズを手にした人が羨ましそうにしていたので声を掛けた。


「すみません。それ、ちょっとお借りしていいですか」


 ソースが塗られたお好み焼きの上にマヨネーズを渦巻き状に絞り出し、串で放射線状の筋をつける。するとお好み焼きの上にマヨネーズの花が咲いた。


「ああっ、お好み焼き粉のパッケージとかにあるやつ!」


 せがまれるままにマヨネーズで様々な模様を描く。

 切り分けたお好み焼きを皆で分け合う。

 花かつおがゆらゆらと踊り、青のりが舞う。


「美味しいね! カリカリとふわふわが押し寄せる!」

「このずっしり感! どれも旨い! ソースって誰が考えたんだろ。神だろ神」

「お腹いっぱいだよう。胃がもう一つ欲しいい」


 そこかしこで笑顔が弾け、話が弾む。


 何も食べていないのに心が満ち、凄く楽しい。

 ああ、やっぱり、わたしは人が食べ物で笑顔になるのを見るのが好きだ。


「れっちゃん」


 肩を叩かれたので振り返ると、桔梗が微笑んでいた。

 周囲を見回した後、わたしに体を寄せて声を落とす。


「あの、もう……大丈夫? その、彼女さんの」

「え?」


 桔梗は何か言いにくそうに視線を泳がせている。


「ええと……えっと、楽しんでる?」


 その問いに笑顔で頷いてみたが、彼女が訊きたかったのはそれではないだろう。どうしたんだと言おうと口を開いたとき、誰かが大声を上げた。


「社長! 今日はありがとうございますっ」


 こちらに来る父に向かって、皆が頭を下げる。父は差し入れらしい缶ビールの箱を抱えてよたよたと歩きながらも、人懐っこい笑顔を見せていた。

 皆から挨拶を受けている。一通りの挨拶が終わった後、わたしに声を掛けた。


「一足先に私と倉庫の片づけをしないか。ほら、皆さんに見られたらまずいものとか隠しておかないといけないしさ」


 そんなことをわざわざ言うということは、「まずいもの」などないのだろう。

 わたしは頷き、皆に挨拶をして倉庫に向かった。




 倉庫のあたりは暗く、庭から聞こえる声も遠い。

 髪や服についた匂いが、先ほどまでの時間を思い返して楽しそうに囁いている。


「今日はごめんな烈。何も言わずに呼び出して」


 先ほどまでの気さくな雰囲気とは違う、父本来の穏やかな笑みを浮かべている。


「びっくりしたよ、団体の代表が桔梗だったなんて。でもいいの? 桔梗の考えは素晴らしいと思うけれど、現状では色々言う人がいるんじゃないの。例えば、ほら」

「母さんとか、だろ」


 ふいと顔を逸らし、倉庫の扉を開ける。


「まあ気にするな。あ、あとで挨拶していきなさい。その服に付いたお好み焼きの匂いが薄まってから」


 薄紙一枚を噛んだような物言いに引っ掛かりを感じたものの、父の思っていることを感覚で理解する。




 実は、倉庫に入ったことは数えるほどしかない。

 基本的に古いものを取っておく場所なので、中に入る必要性はほぼないし、子供の頃は暗くて埃っぽくて恐かったからだ。


 倉庫の一階にあった我が家のものは大体撤去済みだった。灯りを点けると、青白い蛍光灯が頼りなげに震えて光る。

 一階にあったものは無理矢理二階に押し込んだらしい。どう見ても取っておく必要がなさそうなものが、不安定に積み上げられている。床、大丈夫だろうか。


「これをどうにかしながら、烈とふたりきりで話がしたくてね」


 おそらく、そういうことなのだろうと思っていた。無言で頷き、まずは何が置かれているのか確認する。


 奥の方にあるものは、本当に古そうだ。木製の大きな箱に書かれている文字は、かすれて読めなくなっている。

 蓋を開けてみると、古びた本のようなものや日用品、着物らしきものなどが詰まっていた。

 紙袋があったので中身を見てみる。なにかお宝でも出てくるかと思ったが、ぼろぼろの白黒写真が何枚か入っているだけだった。


「ほら、余計なことしているんじゃない」


 背後から父の声が飛んでくる。

 しまった。「片付けあるある」にはまってしまっていた。


「その辺はお祖母ばあさんのものだよ。烈から見ると曾祖母ひいばあさん」

 

 父方の曾祖父母は、両親が結婚した時には既にいなかった。なんとなく興味が湧いて袋の中にある写真を取り出してみた。


 一枚を手に取る。

 それは、家族写真のようだった。写真館で撮ったものらしい。

 緊張で強張った表情をした、和装の夫婦らしき人達と、袴を履いた少年。母親の腕には赤ん坊。少年のお祝い事か何かなのだろう。

 不安定な光の中、写真を覗き込む。


 目を瞑る。

 目を開き、再び見る。

 指先が冷たくなる。

 これは……。


「この子がお祖父さんだよ。可愛いよな」


 父の声が頭の奥に響く。


 赤ん坊を抱いた母親。

 古い掠れた写真だし、大人になってはいるけれども。


「そしてこれが曾祖父さんと曾祖母さん」


 気がつかなかった。歳をとった姿の写真しか見たことがなかったし、話題にのぼることも殆どなかったので、思いつきもしなかったから。

 しかし。


 彼女は、紅子だ。

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