第八膳 再会のメニュー(1)
紅子との出会いは偶然。
別れは突然。
そう思っていた。
しかしそれらは全て必然だったのかもしれない。
では、この再会は。
父に呼ばれて数か月ぶりに実家へ帰ったのは、桜が散り緑の匂いが深くなった頃だった。
昔から家族との付き合いは薄い。父は多忙であまり家にいないし、母は厳しく、何でも話せる雰囲気ではないからだ。
さらにわたしが吸血鬼になってからは、こちらから連絡をしないようにしていた。
飲食業を営む家に吸血鬼が出入りしていると、世間から何を言われるか分からない。
それなのに、一昨日、突然父から電話があった。
「あるNPO法人を支援することにした。その事務所として我が家の倉庫の一階を貸すことにした。だから一階部分の片づけをするから手伝いに来い」とのことだ。
倉庫は二階建てで、わたしのアパートの隣にある一軒家くらいの大きさがある。しかしろくにメンテナンスもしていないし、お世辞にも綺麗とは言い難い。どうせ協力するなら家の一室を貸せばいいのにと言ったのだが、それではだめなのだそうだ。
その団体がどういったものなのかなど、全く教えてくれない。「まあいいから」とはぐらかされる。
ただ、その声はどこか楽しそうだった。
日が落ちてすぐに実家を訪ねると、門の前に一人の女性が佇んでいるのが見えた。
「紅、子……?」
あの日、捨てられた犬とか猫みたいに、一人でポツンと佇んでいた紅子の姿が甦る。しかしそこに立っていたのは紅子ではなかった。
「えっ、
そこにいたのは、実家の近所に住んでいる幼馴染の桔梗だった。
高校卒業以来だから、本当に久しぶりの再会。高校生の頃より少しふっくらとして髪も短くなっているが、昔の面影がそのまま残っている。
わたしの言葉に彼女は目を上げた。
視線が交わった瞬間に、夜の闇を吹き飛ばすような笑顔が弾ける。
「れっちゃん! 久しぶり。手伝ってくれるんでしょ。ありがとう」
「うん、って、え、桔梗ってそのなんかNPOの関係者だったりするの」
「関係者ってか一応代表だよ。おじさまから聞いてない? はいこれ」
芝居がかった仕草で
――特定非営利活動法人 午前0時の食卓 代表理事
何をする団体なのか皆目見当がつかない。「食卓」という言葉が使われているし、父が支援しているのだから、飲食関係なのかな、とは思う。
それなら何故、父はわたしを手伝いに呼んだのだろう。
そして桔梗は、わたしが吸血鬼なのを知っているのか。
と、桔梗の手にエコバッグがあるのに気付いた。ぱんぱんに膨らんでおり、いかにも重そうだ。
「それ、持とうか」
「ううん大丈夫。ありがとう」
「中に
「うん。私と一緒に来たスタッフの他に、お手伝いしてくれる人がもうすぐ来るんだ。でね、今日、お庭借りてみんなでお好み焼き食べるんだけど、思ったより大勢の人が来てくれることになったからさ、これ、追加食材」
そう言ってバッグを開いて中身を見せてくれた。
中にはキャベツが一玉と、値引きシールの張られた豚肉のパック。
「皆さんは倉庫の片付けの前に食べるのかな。それならわたしはその間に片づけを始めているよ」
「えー。寂しいじゃない。みんなと一緒にいようよ」
「そうはいかないよ。実はわたしは食事が摂れなくて」
「いや、吸血族の人にお好み焼き食べさせるようなことしないってば」
物凄くさらりとそう言ってのけた桔梗を見て、私の脳みそが一瞬停止した。
「え……。知っていたの。わたしが、吸血鬼だって」
「そりゃ勿論。あ、あとね、うちでは吸血『鬼』は禁止だから。今、『吸血族』っていう呼称を広めようとしているの。あれえ、これもおじさまにお伝えしたんだけどなあ」
とにかく話が見えない。わたしが父に何も聞いていないことを伝えると、桔梗は困ったような笑みを浮かべた。
「おじさまってばもう。サプライズのつもりだったのかな。じゃあ、れっちゃんは何も知らないで手伝いに来てくれたんだ。本当ありがとう。あのね、うちは」
そこで彼女のスマホが鳴った。どうやら後から来る人の到着が遅くなりそうなので、桔梗は先に準備をしてくれという連絡だったらしい。
通話が終わった彼女はわたしに向き直り、腰に手を当てて笑顔を見せた。
その笑顔はまるで、闇を祓う初夏の太陽のような。
「うちはね、『吸血族となった方々の職業能力の開発と、主に飲食業界での雇用機会拡充のための活動』をすることを目的として設立したんだよ」
木々がざわざわと鳴り、夜風に緑の匂いが舞う。
そろそろ昼の太陽は暑さを増しているのだろう。けれども月明かりの下で吹く風はまだ、ひんやりと心地いい。
わたしたちは昔の話をしながら、門から家までの道を一緒に歩いた。
二人でこうして歩くのは久しぶりだ。
いろんな思い出が甦る。とはいえわたしは小学校からは男子校に通っていたし、高校卒業と同時に家を出たから、遊んだ思い出の殆どは、幼稚園時代のものや夏休みのものくらいだ。
それでも思い出してしまうのは、あの時間がわたしにとってなにより大事な時間だったからだろう。
あの頃は、そんなことを意識していなかったけれども。
桔梗は家に着くとエプロンを巻き、一人でキッチンに入った。
わたしはキッチンから追い出されてしまった。どうやら全部一人で下準備をする気らしい。
キッチンからはリズミカルではないが丁寧な包丁の音が聞こえてくる。
不意にわたしの目から涙が流れる。
どうして流れたのか自分でもよく分からないのだけれども。
ただ、涙を流しているというのに、わたしの胸にはちいさな初夏の太陽のぬくもりが宿っていた。
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