第五膳 おでかけとちらし寿司(3)

 酢飯や具材が完成したので、盛り付けに入る。

 詳しい話は後で聞くことにするが、どうもこれから来るであろうおめでたいことを前もって祝うつもりらしい。それならばとセルクル(底のないケーキ型)を取り出した。


「詳しいことは後でがっつり聞くけどさ、お祝いだ、というなら、ちょっと特別なちらし寿司にしようか」


 きょとんとした表情の紅子に微笑みかける。

 お祝いといえばケーキだ。セルクルを置いて中に酢飯を薄く敷き、その上に海苔や椎茸、人参などを敷く。さらに残りの酢飯を乗せ、崩れないように整える。

 たっぷりの錦糸卵をまんべんなくかけ、花型の酢蓮を置く。さらに薄切りのマグロやサーモンをくるりと巻いて花に見立てる。最後にきぬさやを散らすと、テーブルの上に一足早い春が舞い降りた。


「うわあ、美味しそうなお花畑です!」


 紅子の表情にも花が咲く。

 わたしは今、自分の顔を見たくない。きっとみっともないほど満面のドヤ顔だ。


「さあ、召し上がれ」


 食べやすいよう切り分けて勧めると、紅子は丁寧な挨拶の後、がしっと巨大な一口を口に入れた。


「Oh!」


 飲み込むと同時に、国籍不明の叫びが響く。箸を置き、前のめりになって目を見開いた。


「見た目もお味も素晴らしゅうございます! 酢飯はつんと澄ましているようでまろやかな優しさを覗かせていて、お野菜はお醤油達と一つになって、錦糸卵がふんわり笑いながら皆を抱きしめていて、酢蓮の元気よさとお刺身の落ち着いた佇まいが見事に手を取り合っていて、それで、その、もう、おいしゅうございます!」


 ちょっと何言っているか分からない食レポを聞いていると、ちらし寿司が色々な人からなる一つの町のように見えてくる。まあ、とにかく、美味しかったのであれば良かった。


「ちらし寿司もそうだけどさ、食べ物って、色々な思い出と結びついていたりするよね」

「はい。今までご馳走になったお料理の中にも、大切な思い出と結びついているお料理がございました」


 今日はいつもより話をしてくれる。彼女は取りかけた箸を再び置き、遠くを見つめた。


「私の父は普段、台所に入りませんでした。それでも稀に、家族にライスカレーを作ってくれたのです。以前、烈様が作ってくださったカレーよりも黄色くて、お野菜は大きく硬いものでした。あのカレーは、私にとって大切な思い出の味です」


 そういえば、以前牛すじカレーを作った時、紅子は食べて涙を流していた。あの時は涙の理由を語らなかったが、そういうことだったのか。


「そうか。カレーもちらし寿司も、紅子さんのお宅では特別なものなんだね」


 家庭で食べる料理には、その家の歴史と思い出がある。それを繋ぎ紡いでいく、ということが、いかに大切で尊いことなのかに気づかされた。


 胸が苦しい。


 わたしは料理が出来る。

 だが、歴史と思い出を繋ぐことも紡ぐことも出来ない。

 絶対に。


「烈、様?」


 気がつくと、紅子が心配そうな顔をしてわたしのことを覗き込んでいた。慌てて作り笑いを返しても、表情が変わらない。


「ああ、ごめんね。いや、食事で家の歴史を紡いでいくのって、なんかいいなあ、って思ってさ」

「あ……。申し訳ない事でございます。私ったら、なんてことを。烈様が、お食事を」

「ごめんごめん。せっかくのお祝いご飯が台無しになっちゃうよね。それにほら、前に言ったでしょ。わたしは自分が食べられなくなったことに関しては受け入れているって」


 勿論、食事を楽しみたい気持ちは残っている。だがわたしが今、紅子を前に沈んでしまったのはそのことではない。


「これも先週言ったけど、ほら、恋人に逃げられちゃったからさ、ああ、家族の歴史はもう、作れないんだなって。本当ごめん。女々しいよねえ」


 女子高生――女学生かもしれないが――の前で情けない。ごまかして話を変えようとするのだが、紅子は難しい顔をしてわたしを見た。


「確か烈様の罹っていらっしゃる病気って、頸から血を吸われなければ感染しないのですよね」

「うん」

「それなら家族は持てるのではありませんか。奥様はお迎えになれますよね」

「うん。まあ、そうなんだけれども」


 確かに、理屈上はそうだ。吸血「鬼」といっても、吸血行為さえしなければ「人」なのだから。

 とはいえ吸血鬼は見下されることが多いので、結婚となると家や世間の問題がある。それで悩む吸血鬼は多い。

 しかし、わたしの場合はそれだけではない。


「わたしは、自分が結婚や同棲をする未来が見えないんだ」


 一番の問題は。


「わたしは今後、美奈ほど愛せる人が現れるとは思えない」


 そうだ。わたしは女々しいのだ。

 あんなに、魂の全てを傾けるほど愛せる人は、永遠に現れるわけがない。


 紅子は腕を組んで少し考えるそぶりをした後、口を開いた。


「烈様は、今まで生きてこられた中で、私のような者が現れる、と、考えたことがございますか」


 わたしは大きく大きくかぶりを振った。


「いや、ないねえ」

「そうですよね。おそらく、それと同じではないでしょうか」


 彼女が僅かに頬を染める。


「私はまだ、恋というものを知りません。それでももしかしたら、今後、心ときめくような殿方と出逢えるかもしれ……きゃっ……えっと、そういうことがあるかもしれません。だって、この地球には、何十億という人がいるのですもの。色々な人がいるのですもの。このちらし寿司の具よりも、もっともっと色々な」


 羽毛のように柔らかな微笑みを浮かべる。

 

 ぱかっ、と目から何かが外れた。

 ああ、「目からうろこが落ちる」って、本当に鱗が落ちたような感覚を覚えるんだ。


 今の段階では、わたしがまたあのような恋をするとは思えない。それでもこれからの人生で、思いもかけない出会いはあるかもしれないな、と、思う。


 そうだよな。紅子と出逢うなんて、考えもしなかった。


 いつの間にかホールケーキサイズのちらし寿司を完食していた紅子に笑いかける。

 その時、光の関係か、一瞬、彼女が透けたように見えた。




 洗い物をしながらお茶の準備をする。さあこれから色々訊くぞ、とテーブルの方を見たら、紅子がテーブルに突っ伏して眠っていた。

 揺すっても声を掛けても起きない。


 これは困った。

 相手は女子高生だ。わたしは、おっさんが――わたしはまだそれほどおっさんではないが――女子高生を拾ってラブコメが始まる展開は望んでいない。本当頼むから起きてくれと思うのだが、起きない。


 仕方なく抱きかかえてベッドに寝かせる。ここまで来たら夜中帰らせるより却って安全だろうと思うことにし、片付けの後、リビングにPCを持ってきて仕事をした。




 翌朝、起こそうと寝室に入ると、紅子の姿がなかった。

 ドアも窓も、鍵が掛かっているというのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る