第三膳 シチューと苦手料理(1)

 吸血鬼専用夜間病院からの帰り道、コートの上から肘の内側に触れてみる。

 注射針を穿した痕が鈍く痛む。


 吸血鬼は通常、週に一度、病院で瀉血しゃけつ(血管に針を穿して血を抜く)と輸血を行う。

 自治体の補助を引いた費用は、二つ合わせて一回六千円。一か月で二万四千円だが、飲食の費用が一切かからないことを考えると、まあ仕方ないか、と思う。


 けれどもこの六千円が払えない吸血鬼は多い。世間の差別もあるし、太陽の光を浴びると命を落としてしまうので、なかなか働き口がないのだ。


 あの日美奈を襲った吸血鬼も、そうして追い込まれた末の犯行なのだろう。

 なにしろ人の首筋から吸血すれば、新鮮な血が無料タダで飲めるのだから。


 俯き、夜空を見上げる。

 パチンコ屋のネオンを受けてもなお輝こうとする星々の瞬きを眺める。

 強めに地面を蹴り、スーパーへ向かう。

 今日は、金曜日だ。




 今夜のメインはホワイトシチュー。

 理由は二つ。単純に先週の玉ねぎ、人参、ジャガイモが余っているから、ということと、紅子に栄養のあるものを食べてもらいたい、ということ。


 あの様子では、普段きちんとした食事をしていない気がする。今は大人としての体を作る大事な時期なのに。週に一度の食事でどうなるものでもないかもしれないが、たっぷりの牛乳と具沢山のシチューで少しでも栄養を摂ってほしい。


 人間の体は、食べたもので作られる。

 一生人間から血を貰って生きることになったわたしとは違うのだから。




 先週と同じく、アパートの斜め前のラーメン屋が灯りを落とす頃に紅子はやってきた。

 今日の手土産――紅子は「カレーのお礼」と言っている――は、先週のブックカバーと同じ布で作られた、小ぶりのペンケースだ。


「まぁ、食べてみなよ」


 わたしは紅子が目を輝かせるところを見る気満々で、シチューを出した。

 実家から持ってきた白いジャカード織りのテーブルクロスの上で、シチューはほかほかと白い湯気を立てている。

 だが、彼女は珍しいことにスプーンにも手を付けず、その両手は膝の上に乗ったままだった。しかも泣きそうな顔をしてじっとシチューを見つめている。


 まさか、牛乳が苦手だったか。

 微妙な空気がわたしたちの間に流れる。


 まぁ誰にでも苦手な食べ物はある。だから食べたくない気持ちもよくわかる。


「もしかして、牛乳が苦手だったかな」


 その言葉にキョトンとした顔でわたしの顔を見つめてくる。


「もしそうなら無理する必要はないよ。でもね、ちょっと味見だけでもしてみたらどうかな」


 知り合ったばかりなのに、ちょっと強引だったかもしれない。牛乳の摂取に関しては否定的な意見もあるし、今の時代、他の食品からでも栄養素を補うことはできる。

 それでも、これをきっかけに牛乳を使ったたくさんの料理が大好物になってくれたら、食生活がちょっと楽しくなると思う。


 ニッと笑ってそう言うと、覚悟を決めたのか紅子は神妙な面持ちでうなずいた。


「い、いただきます」


 それから慎重に、おっかなびっくり、スプーンの先をシチューにひたした。

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