第一膳 出会いとお茶漬け(2)
棚に残っていたパックごはんが役に立った。一緒に暮らしていた元彼女の
「あの、おそれいります」
わたしが棚を漁っていた時、
「夜分にご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ないことでございます」
「ああうん、気にしないで。たいしたものは作れないからさ」
小鍋で湯を沸かし、火を止める。そこへ鰹節をたっぷり放り込んだ。
途端に華やかで優しい香りがふわりと広がり、鰹節がゆらゆらと手を振りながら沈んでいく。
こうして出汁を引くのは、あの日以来だ。
「紅子さん、本当にご家族に連絡しなくていいの」
「はい。お気遣いくださいまして、ありがとう存じます」
両手をハの字にして丁寧に座礼をする紅子を見て、違和感しか覚えなかった。
着ているクラシカルなセーラー服からして、この近くにある女子高の生徒だろう。だが、彼女のように古風なお下げ髪をしてこんな喋り方をする生徒など、見たことがない。
夜中、道端で一人震えていたからつい連れてきてしまったが、名前以外何も事情を話してくれない。
もしかしたら、紅子は名家のお嬢様で、望まぬ政略結婚かなにかを親に強要されて逃げてきたのかな、なんて想像してみる。そういう世界が現実にあるのかは知らないが。
美奈が使っていた茶碗にご飯を盛る。
真っ白な肌をつやつやと光らせながら甘い香りの湯気を纏う白飯は、わたしの大好物だった。
そこに梅干。梅干を見ると、今でも頬の後ろがきゅうっとなるのがおかしくもあり、悲しくもある。軽くほぐすと、とろりと柔らかな紅い果肉が白いご飯の上にしなだれかかった。
醤油を垂らした山吹色の出汁を掛けると、ご飯がじんわりと緩んでいく。
最後に海苔とひねった胡麻を振りかける。
指先で胡麻のこうばしい香りがはじける。
「まぁ、ただのお茶漬けだけどさ、食べてみなよ、たぶんおいしいから」
紅子は手を合わせた後、今までの佇まいが嘘のような勢いでお茶漬けをかき込んだ。
熱いのも、息をするのも食べる勢いに追いつかないかのように。
そして暫くしてから顔を上げ、口のわきにご飯粒をつけたまま満面の笑みを見せた。
「おいしゅうございますっ」
それを聞いて、自分がドヤ顔になっているのを自覚する。そう。この言葉。これが聞きたくて料理人をやっていたのだ。
自分の首筋にある、二つの傷跡に触れる。
わたしは食べ物で人を笑顔にすることができる。だが、わたしが食べ物を口にすることは二度とない。
それでも。
あの日。吸血鬼に襲われた美奈を守ろうとして、自分が毒牙に掛かって吸血鬼となり果ててしまった事に、一片の悔いもない。彼女を守ることが出来たのだから。
たとえその直後、美奈が他の男と逃げてしまったとしても。
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