第91話
「えっと、こ、これでいいですか――」
「ありがとう! 俺、クロちゃんの写真見てからずっと会ってみたいと思ってて、エルフって本当にいるんだね! その長い耳以外にも人間と違うところってあるのかな? 手は人間と一緒みたいだけど……。手首細いなあ!」
「あの、その辺にしてもらっていいですか――」
「飯村さん! ここにサインしてください! あ、写真もお願いしまーす!」
クロに握手を求めてきたファンがしつこくその手をこねくり回す。これにはクロも嫌そうな顔を隠す事が出来ず、言葉にする事はないが、手をひねったりしてそれとなく振り解こうとする。
だが、ファンはそれを許す事なく、更に手に力が入ったのが見て取れた。クロはそれに反応して、身体をピクリと動かす。ぎゅっと掴まれた事で痛みがあったのだろう。
俺は流石にやりすぎているファンに注意を促そうとするが、サインを求める人の所為で助ける事が出来ない。アイドルの握手会があんなに厳重な状況下で行われているのか、それをこんな形で強く理解させられるとは……。
「あの、すみません。そろそろやめてもらっても――」
「えー、もうちょっといいでしょ。どうせこの後も飯村さんとイチャイチャするだけなんでしょ? 『ダンジョンの異常を解消するどころか、女といちゃつく有名探索者』って記事書かれる位なら『ファンサービスに明け暮れる探索者とエルフ』っていう記事の方が良くない?」
ファンの男はこっそりと盗撮していた動画をクロに見せ、脅す様な素振りを見せる。
「それは――」
「ねぇねぇ、その耳も触っていいかな? いいよね?」
「やめてっ!」
ファンの男の手がクロの耳に触れる。
「え? やだ、まさかそこまでする人がいるなんて……」
朱音も拓海もまさかといった表情でクロを見つめる。罪悪感からか急いでクロの助けに入ろうとするが、二人もこの人の多さに飲まれて中々移動出来ないらしい。
「考えが甘いっていうかなんというか……。朱音! 俺をあの男と入れ替えるか、クロの側まで移動させてくれ!」
「飯村君気付いて……。ごめんなさい。私そのここまでは……」
「分かってる! それより早く!」
「う、うん」
クロとファンの男が密着しているからか、朱音は俺とファンの男の位置を入れ替えるのではなく、その側にいた人と俺を入れ替えた。
「クロ!」
「一也さん!」
また自分の周りに人だかりが出来てしまう前に俺はクロの手を握った。
しかし、俺がクロを連れていくのを阻止する為か、ファンの男が俺の右手を掴んだ。
「飯村さん、あなただけいい思いをするなんておかしくないですか? 『パラライズバースト』」
「なっ?」
ファンの男に掴まれた箇所が痛みと共に痺れを帯びた。
朱音の存在に気付いた時、あの爆ぜた様な音の原因は『空間爆発』によるものだと思ったが、まさかこいつが原因か?
体型は中年男で弛んだ体型。探索者という風貌ではない一般人で間違いないと思うが……もうこんなに強力なスキルを持った一般人が生まれだしているのか。
「くっ!」
「一也さん!」
「あれ? さっきはあんなに痛そうにしてたのに……」
一瞬怯んだ俺の顔を見てファンの男性は不思議そうな顔をして掴む手の力を緩めた。俺はその隙を突いてファンの男の手を払い、痺れが残る左手で男の胸ぐらを掴む。
すると、男は恐怖心からか、クロから手を離すと、泣き出しそうな顔を見せる。好き勝手やっておいて追い込まれたらこの反応。
俺よりも年上に見えるが、情けない大人が居るもんだな。
「く、くそ! は、なせぇええええええええええ! 『パラライズバースト』」
ファンの男性は追い込まれた状況で逆上すると俺の左手を掴んでスキルを発動せた。
激痛が左手を襲う。だが、その痛みなんかよりも俺はファンの男を睨む事と怒りに頭を支配され、この男をどうしてやろうかという事にしか意識がいかない。
「ちょっと位痛い目に合わせた方がいいよな?」
「ひっ!」
危機を感じ取ったのかファンの男性は身を捩って逃げようとする。こおこまでくると滑稽としか言いようがない。
「一也さん! 私大丈夫だから! 親密度を上げてダンジョン深層攻略作戦を続けよう!」
「親密度? 作戦?」
「……そういう事だ。動画か何かで脅そうとしたところで無駄。今日の行動は探索者窓口にも報告済み。これは仕事の一環に過ぎない。悪いが、他の人達もこれ以上対応していると仕事に影響が出る。サインも写真も握手もここまでにさせてもらう。行くぞクロ」
「う、うん」
「それと朱音! そんな回りくどい事をしなくても気に入らない事があれば言ってくれ。……全てを受け入れる事は出来ないが、出来るだけ善処するから」
遠くに見える朱音に伝わっているかどうかは分からないが、言い終えると俺はクロの手を掴み、その場から離れる。
少し落ち着く必要も考えると、やはり観覧車がいいか……。
「――空いてるな。クロ、これに乗ってちょっと落ち着こう」
「う、うん」
俺はクロを引き連れてそのまま観覧車に乗車。対面で座り息を整える。
「その、ごめんなさい」
「何が?」
「私、一也さんの邪魔になってたよね? 私が居なければもっとすんなり場を収められた、それに脅しみたいな事もされなかった……」
「……俺こそ、ごめん。ああなる事を何となく察する事が出来たのに」
お互いに謝罪をする観覧車の中は重い空気に包まれ、その進みは遅く感じられる。
まずいな。こんな時どうやって切り出せばいいのか……。
「つっ!」
「一也さん大丈夫? もしかしてさっきのスキルで……」
困り果てつい左手で頭を掻くと、指に痛みが走った。
そんな俺の様子を心配してたか、クロは俺の横に移動してそっと左手首を両手で触れる。
「だ、大丈夫だ」
「血は出てないみたいだけど……『リジェネ』。どう?少しは痛みが和らいだ?」
「あ、ああ。でも、そのちょっと近くてな」
横に座ったクロは必要以上に近づき、その顔は今までにないくらい近づいているかもしれなかった。
「あっ! ……い、嫌?」
「嫌じゃない……。クロこそ嫌じゃないか?」
「ううん全然。むしろ……」
「クロ?」
「一也さんが私の為に怒ってくれた時、凄く嬉しくて、でも今日の事を仕事って言ってたのが凄い悲しくて……。なんか私、一也さんと一緒にいると……その言葉の一つ一つに気持ちが簡単に揺れて、おかしくて……。だからこれも私がおかしいから、だから……」
観覧車が終わりに差し掛かる頃、俺の頬に柔らかい感触が伝った。
「へへ。今はみなみちゃんの事があるからこの気持ちとおかしな自分は一旦終わり。あんな事があったけど、仕事だとしても、私は今日凄く楽しかったよ。ありがとう」
「……俺も、今まで一番楽しかった――」
『親密度が上がりました。サポーターによる一部武器への【遡行】エンチャントが可能になりました。又、濃厚接触した対象の状態を、対象が了承済みに限り【遡行】させる事が可能になりました』
自分の気持ち、今日一日の本当の感想を伝えようと口を開くと、アナウンスが流れた。
「親密度、上がったね。そうだ! 今ので一也さんに『遡行』を使えるみたいなんだけど、これを使ってその痺れを取り除いちゃおう!」
「そうだな。お願いするよ」
俺の手を掴むクロの手が薄ぼんやりと発光する。
すると痺れは徐々に無くなり――
「うっ! はぁはぁはぁはぁはぁはぁ、なんだ、これ……」
「一也さん! 一也さん! なんで……なんでっ!」
それと引き換えの様に何故か急に胸が苦しくなり、俺は原因不明の不安感や焦燥感に駆り立てられ、、今にも吐きそうな程気持ちが悪くなった。
『スキル【フルオート】の副作用が解消されました。通常獲得出来る筈だった弓スキルを開放しました。弓使い【属性】と弓使い【魔弓】が統合されました』
「【フルオート】? 副、作用?」
俺は覚えの無い内容のアナウンスを聞きながら、ゆっくりと意識を失ったのだった。
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